第121話
襖が開くと、来人と彼のお父さんが並んで立っていた。私と常務を見て驚いたらしい来人が絶句している。
私のほうから声を掛けた。
「ごめんね、試すようなことして」
「……帰ったのかと」
「帰るわけないじゃん、来人だけ大変なところに置いて」
緊張が抜けたのだろう、来人はそこへ座り込んでしまった。私は彼のそばに膝をついた。肩に掛けようとした手を掴まれる。来人の手は震えていた。
「さっきの、嘘だよね、結婚しないって」
「……ちゃんと話しよう? お父さんも、お母さんも、おばあちゃんもいるところで」
そう言うと来人の両手を取って引っ張る。素直に立ち上がると、手を繋いだままおばあちゃん達が待つ部屋へ移動した。
◇◆◇
「立花、二人で何か話したんならそれ教えてくれ」
また常務が口火を切ってくれる。来人のお父さんは一瞬目を泳がせ、話し出した。
「大したこと話してない……。ただ、こいつに約束した。今後一切こいつの決めたことに俺は口出ししないと」
私はもちろん、おばあちゃん達はもっと驚いたようにフリーズしている。来人が何も言わないところを見ると本当らしい。
「ついでに謝った。……俺がしてきたことは、相当ダメージを与えていたみたいだから」
驚きを隠せない表情のまま、おばあちゃんが呆れたように呟く。
「当たり前だね、来人の言うこと、浩司さんは全部否定してきたいね」
両隣でお母さんも常務もうんうん頷く。
「来人は、納得したんかい?」
おばあちゃんが来人へ声を掛ける。そこでやっと顔を上げた。手は私を掴んだままだ。
「……親父と仲直りしないと、千早が結婚しない、って……」
「千早ちゃん、本当かい」
お父さんの話を聞いたときよりも驚いているように、おばあちゃんがこちらを見る。
「はい、そう言いました。この状況で強行するほど結婚に意味はないと思ったので」
お父さんの目がぐっと詰まる。自分のせいだと思ってるのかな。
「来人と別れるつもりはありません。ただ、結婚はやめようと」
淡々と話す私をおばあちゃんがじっと見つめてくる。冷たい女だと思っているのかもしれない。それでも私は、自分の言葉を引っ込めるつもりはない。
しかしおばあちゃんは、目を伏せると息を吐いて、ゆっくり頷いた。
「そうだね、心から祝ってもらえないなら……籍を入れても家族にはなれないね」
そして再び来人を見つめた。
「あんたはそれでいいんか?」
「いいわけない! 俺は……俺は、千早が……」
「だったら何がどうあっても、お父さんと仲直りせんね」
ぐずぐず言い募りそうな来人を遮り、おばあちゃんがピシャリと言い放つ。そしてお父さんのほうに向きなおった。
「浩司さん、さっきの言葉は約束だよ。もう来人を言いなりにしようとしないね。いいかい?」
お父さんは無言だが、しっかりと頷いた。私は来人の手を叩く。
「来人は? お父さんがこう言ってくださるなら、もう拘りはない?」
「……俺のことは、もういい。だけど……だけど! ゴンタを捨てたことだけは手ついて謝ってほしい!」
何かを押し殺すような声に場が圧倒される。
私は先ほどの話を思い出す。飼い犬をテストの点が悪かっただけで捨てられた話。 なるほど、そこが一番のネックだったのか。これはどうしたら……。
「あー、それ、うちに居たから」
のんびりした常務の声に、お父さん以外が皆驚いて振り向く。
「ゴンタな、うちに来たんだ。立花が連れてきてな。飼ってくれって。二年前に死んじゃったけどな」
「おじさんの……家に?」
「ああ。ただ来人君には絶対バレないようにしてくれって言われてな、そこだけ苦労したなー。君が遊びに来る時はペットホテルに預けたり長時間散歩したり。ほんと、立花の無茶ぶりには……」
「ホントに?! ゴンタ、捨てられたんじゃなかったの?」
「ほんとだって。今度写真も見せるよ。うちの庭に墓もある。今度おいで」
何度目か分からない呆れ目で、おばあちゃんとお母さんに見つめられたお父さんは、ばつが悪そうに横を向く。
「あなた……なんでそんな。来人が悲しがってたの、見ていたでしょう」
「生きてたんだからいいじゃないか」
「そう言う問題じゃありません! 来人は……」
「友子、浩司さんの話もちゃんと聞かんね。浩司さん、あんたなんでそんなこと……」
「……来人が、ゴンタの散歩中に車にぶつかりかけたと聞いて……」
もごもごと言いづらそういに言い訳する。来人はきょとんとしながらそんなお父さんを見ていた。
「でも、ぶつかってない。俺もゴンタも」
「その時はたまたまそうだっただろうが、子どもが犬の力に引き摺られる可能性はあるだろう。お前が怪我したら……」
そこまで聞いて、私は思わず笑いをもらしてしまった。どうやら声になっていたらしく、全員がこちらを向く。やぱ。
「ごめんなさい……、でも可笑しくて」
すると常務も笑い出した。
「だな、成瀬君の言う通りだ……。立花、空回りしすぎ。来人君完全に被害者だな。この上成瀬君まで取り上げたら、殴られるどころじゃ済まないぞ」
「佐々木さん、なんてことを……」
「友子さんも。立花に気を使い過ぎるな。これからは成瀬君と協力して仲裁に入ってよ。こいつ、最後はあなたの言うことしか聞かないから」
お母さんは少し赤くなってお父さんを見る。お父さんはもう顔が上げていられないらしい。背を丸くして項垂れている。
「ってことで、ここまででいいか? 成瀬君」
常務が私に確認する。私は頷き返した。
「……どういうこと?」
来人が私を覗き込んできた。