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第118話

 来人と二人きりになると、やっとお互いに笑みが漏れた。

「ごめんな、なんか変なとこ見せちゃって……」

 私は来人の言葉に意外さを感じ、それを伝えた。

「何言ってんだか。そういう気遣いするなって言ったの、来人のほうじゃん」

「……だね」

 早速並べられた料理を前に、私は来人に徳利を差し出す。来人は盃を持ち上げた。


「……昔さ、犬、拾ったんだ」

 一口含むと来人が静かに話し始めた。

「仔犬。捨て犬だな。茶色くて小さくてふわふわで。俺、家に連れて帰った。全部自分で世話するから飼っていいか、って。珍しくOKもらえたから嬉しくて毎日散歩して世話したよ。でもさ」

 盃を卓へ置く。

「学校でテストがあった。算数。前回より五点悪かった。それで……捨てられた、犬、親父に」

 私は息を飲む。そして思い出したのだろう、辛そうに顔を歪める来人を見つめた。

「犬なんか拾うからだ、って。遊んでばかりで勉強しないお前が悪いって。……でもこれだけじゃない、そんなことたくさんあった。消防士になりたいと言えば進学したくない言い訳だと決めつけられ、医者になりたいと言えばお前みたいな根性なしに務まる仕事じゃないって。やりたいこと全部否定された」


 来人の声も顔も、どんどん感情が引いていく。まるで他人のエピソードを話しているように。

「でさ。親父が俺にどうなってほしいと思ったと思う?」

「……公務員、とか?」

「サラリーマン」

 え?

「大学出て民間企業に勤めてサラリーマンになれって。しかも営業職一択。万が一その会社を辞めることになっても営業なら転職しやすいだろうって。俺に向いてるとか、営業が楽しい仕事だからとかですらないんだよ」

 意外な答えに言葉に詰まる。自分の子、しかも男の子なら男親が色々夢を託すことは想像に難くないが、サラリーマンとは。


「今考えれば、親父に反対されたくらいで諦めた俺もいけないんだけどね。本気で消防士になりたかったなら、バイトでもなんでもしてばあちゃん家に居候でもして目指せばよかったんだから」

 でも、何かにつけて道を塞がれ続けたら、そういう気力も思考も働かなくなるだろう。大人になったからこそ思いつくことで、子どもであれば親の下から抜け出すのは口で言うほど容易ではない。


「今の仕事には満足してるよ。それに今の俺にとって、守りたいのは千早だけだ。万が一親父が千早に俺にしたのと同じような真似をしたら、と思うと耐えられない。俺の妻なら、自分の所有物と勘違いしたっておかしくない男なんだ」

 私はさっき二、三言交わした会話を思い出す。今のところ来人が危惧するような雰囲気は無いが、どんどん親しんでいけば分からない。実の息子の懸念なのだから。


「ね、俺が実家を切り離したい理由分かっただろ。千早は自分から実家と関わろうとした。だから俺は応援した。でも俺は関わる気は一切ない。だからこれでいいんだよ」

 

 私は来人の言葉に頷きかけ、それでもまだ違和感が残っていることに気づく。

 本人の意思を尊重するのは大事だ。それを無視して和解を進めるのは、来人のお父さんが彼にし続けて来たことと本質的に変わらない。

 だけど、来人の《《この気持ち》》だけを優先して諦めることが本当に彼のためになるのだろうか。そこに、はっきりとイエスと言い切れない。


 ……あれ?

「来人は、今私に言ってくれ話、お父さんにした? お父さん、なんて言ってた?」

 私の素朴な疑問に、来人の表情が止まった。


◇◆◇


「佐々木だ、入っていいかな」

 襖の向こうから声が聞こえた。来人が頷くので、私は襖を開けた。

「悪いな、二人きりのところ……。なんだ、全然食ってないじゃないか。まあ、そんな気分になれないか」


「で、何の用だよ」

 こら。

「親父さん、連れてきてもいいか?」

 私はぎょっとする。今さっきの話を思い出すと、来人にお父さんと向き合う意志も心の準備も無いはずだ。また言い合いになる可能性のほうが高い。

「さっきも言ったが、ここで決裂したら次に会うのは誰かの葬式だ。それはさすがに避けたいんだよ。俺が、というより、お母さんがな」

「だったらなんでお袋が自分で動かないで、おじさんばっか頼ってるんだよ」

「無理言うな。友子さんに立花を制御しろってか」

「夫婦だろ」

「そうだ。だが夫婦なんて十組あれば十通りのかかわり方があるんだ。お前たちはお前たちの理想の夫婦になればいい。ただしそれを他所の夫婦に押し付けるな」


 来人は黙り込む。きっと彼は夫婦が、というより、母親としてもっと自分寄りで関わってほしいと言いたいのだろうが、甘えているようで常務には言えないのだろう。


「立花には俺、来人君には成瀬君。何かあればストッパーになれる人間がいる状況で話をしよう。……いいか?」

 私は来人の返事を待つ。彼は小さく、首を動かして頷いた。


 


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