第115話
「……何、じっと見て」
「なんでもない」
無意識に来人をガン見していたらしい。私は慌てず視線を外す。
来人のおばあちゃんの家でお母さんと会い、おばあちゃんから『来人と実家が和解するために力を貸してほしい』と言われてから、ずっと考え続けている。
来人が実家と和解する方法、とは。
やはり一度は実家に顔を出さなければならないだろう。
しかし少し突いただけで真顔になるくらい来人にとって実家は地雷らしい。少し前まで自分もそうだったから痛いほどわかる。きっと私であっても触れて欲しくない部分だろう。
来人が自ら関わろうと思わない限り。
出来れば自然に彼から実家へのつなぎを取りたいと思うまで待ちたい。
しかし今の時点でその気配が全くない上に、放っておくとどんどん結婚へ準備を進めてしまう。今も色んな式場のパンフレットを床中に広げているのだ。
「ねえ、そんなに慌てなくても……。大体まだ会社にも言ってないんだし」
少しでも時間稼ぎしたくて会社を口実に引き留めると、やけに怖い顔をしてこっちを見た。
「千早は何を気にしてるの?」
ギクリ。え、もしかして今ので分かっちゃったの、私とおばあちゃんたちの計画。
「もしかして、矢崎さん?」
……は?
「会社じゃなくて、矢崎さんに何て言うかで悩んでるんじゃないの」
……そっちかー。なんだ。
私は安心して、しかしそう気づかれないために悩んでいるふりの溜息をついた。
「だって、ほら、私矢崎さんのダミーの恋人役だし」
「あれ、もう半年以上前のことじゃん。色々あって別れましたって言っても通じるよ」
あっさり片付けられた。時間稼ぎにならない。
「とにかく、そんなに急がなくても」
「もしかして後悔してるとか?」
今度はそっち?
「まさか。それはない、絶対」
「ばあちゃんがさ」
ギクリギクリ。
「女の人にとって結婚は一大事だって。好きとか嫌いで決められることじゃないから、千早がどうしたいのかをちゃんと考えろって言われた……。でもプロポーズした時はあっさりOKくれたから」
そんな話してたんだ。
「それは、嬉しかったし」
「じゃ、何が問題?」
うーーーー、それは言えない……。
私はついに黙ってしまい、来人の視線に耐え切れず下を向いてしまった。それは隠し事をしている後ろめたさ故なんだけど。
私の態度を違う理由に解釈したらしい来人が、隣に来て肩を抱いてくれた。
「ごめん……、千早には千早のペースがあるのに。俺、急ぎ過ぎたね」
ごめん、ほんとごめん。でも……。
私は顔を上げて両手で来人の頬を包んで正面から向き合った。
「来人との結婚がイヤだとか躊躇してるとか、それは絶対に無いから。それは、信じて?」
そう言うと、来人は嬉しそうに破顔した。
◇◆◇
『私が入院したことにしたらどうね?』
おばあちゃんが物騒な提案をしてくる。電話越しだが私は慌てた。
「それはちょっと……。きっと本気で心配するでしょうし、嘘だと分かったときが怖いので」
『だめかねぇ。でもそうね、心配かけるのは可哀想だいね』
おばあちゃんの急病ならどこであろうと飛んでいくだろうけど。これがご両親ならきっと行かない。本心はどう思っていたとしても。
「すみません、すぐにいい案が出てこなくて」
『なんね、せっかちな来人を引き留めててくれるだけでありがたいよ。ちょっと友子にも考えさせるかね。またね、千早ちゃん』
私はおばあちゃんとの電話を終わる。
来人がブチ切れないように自然な形でご両親と顔を合わせる、というシチュエーション。中々ないもんだわ。
「千早、ご飯出来たよ」
ノックしながら来人がドアを開ける。私は飛び上がるほど驚いたが、来人と目が合うまでには何とか普通の顔に戻し、返事をすることが出来た。
◇◆◇
「成瀬、明日の夜時間あるか?」
休憩スペースで一息入れていると、矢崎さんに声かけられた。
「はい、大丈夫ですけど……」
また何か重大事が起きたとかじゃないですよね?
「そんな強張った顔するな。ちょっとお前に会わせたい人がいてな。食事に同席してほしいんだ」
「はい、大丈夫です。また新しいプロジェクトとかですか?」
「ああ、まあ、そんなとこだ」
矢崎さんは珍しく歯切れ悪く頭をガリガリ掻く。
「じゃ、明日は残業しないように頼むな。十八時半にロビーで」
私は手を振って戻って行く矢崎さんに会釈した。
ちょっと来人の反応が気になるけど、仕事関係なら問題ないよね。
「おまたせ。行こうか」
翌日の約束の時間ぴったりに矢崎さんがロビーにやってきた。九月とはいえまだまだ暑い。それなのにきちんとネクタイを締めてジャケットも着ている。
夏場のオフィスファッションでいえば、絶対に女性のほうが楽だ。ネクタイなんてハイネック着てるのと同じだもんね。
矢崎さんと二人でタクシーに乗る。
「お相手はどちらの、どんな方がいらっしゃるんですか?」
「ああ、まあ……行けばわかるさ」
まただ。昨日同様微妙な反応。
出来れば社名くらい事前に聞いておきたかった。全く前情報が無いと、会話の糸口もつかめない。
「お前は何も心配しなくていい。座ってればいいから」
納得がいかないまま、しかし頷いて、私は矢崎さんについて行った。
「お連れ様お越しになりました」
和服姿の店員さんが手を付いて静かに襖を開けた。
その向こうに。
「……千早」
来人達がいた。