第102話
唐突にキレた千早に、私は驚いて反応が出来なかった。
何も感じない、何も考えていないかのようだった妹が、私に向かって初めて怒った、感情を口にした。
そして『羨ましかった』といった一言で、逆にこっちが混乱してしまった。
千早が、私を?
頭が良くて、大人の受けも良くて、行儀が良くて大人しくて、小さなときから整った顔立ちしてた。ちんちくりんの私とは反対に何を着ても似合った。成人式の晴れ着写真は未だにトラウマだ。同じ振袖なのにどうしてこうも違うのか、と。
全てにおいて劣っている私のことを、千早が、羨ましく思っていた。
「あんたがそんな風に思ってるなんて思わなかった」
思わず口にした言葉は、更に千早を怒らせたようだった。でも本心だ。千早は、私を見下しこそすれ羨ましがるなんて想像すらしたことなかった。
そして、私のせいで人間関係を築けなくなっている、なんて。
この子を嫌う人なんているんだろうか。そんなの、この世に私だけだと思ってた。千早の一番近くにいる、全ての面で千早に劣っている私だけだと。
千早は泣くのを我慢しているのか、目を真っ赤にして震えている。今までの恐怖に満ちた目ではなく、明らかに私への怒りを全身で表わしていた。
『全部全部、お姉ちゃんのせいなの!』
心臓を、直に殴られたような衝撃だった。
◇◆◇
……なんで黙ってるんだろう。
いつものお姉ちゃんなら、私の倍、いや十倍くらいにして言い返してきそうなのに。
びっくりしたような顔のまま、動くことも口を開く気配も無かった。
私は少しずつ気持ちが静まってきたので、椅子に座り直す。途中だった食事を機械的に食べ進めた。味なんて全く感じなかったけど。
私が食べ終わって食器を片付けても、お姉ちゃんは動かず、食卓に座ったままだった。
声を掛ける気も起こらず、私は黙って自分の部屋へ入った。
スマホにメッセージ受信ランプがついていたので見てみると、来人だった。
『お父さん、大丈夫だった?』
私は大丈夫、と返信しようとしたが、その気力も無くて、電話を掛けた。ワンコールが鳴り終わらないうちに来人が出てくれた。
「ごめんね、連絡遅くなって」
『いや。お父さん、どうだった?』
「骨にひびが入ってるんだって。年だから少し入院するって」
『そっか。大変だな』
「うん……」
正直、お父さんのことよりその後の、そして今のほうがずっと大変だ。私にとっては。
思わず黙ってしまったせいで、案の定来人には色々伝わってしまったようだった。
『何か、あったのか?』
「あのね……、今、お姉ちゃんがうちに来てて」
電話の向こうで来人が息を飲む気配がする。だよね、お正月のアレ見てるしね。
『なんで?!』
「行くところ無いから、今夜だけって、お父さんに頼まれて……」
『だって……、千早、大丈夫なの?! 俺、これから行こうか?』
「ううん、それは大丈夫。色々と……ぶちまけちゃったし」
我ながら思い返すとよく言えたもんだと思う。何もかもお姉ちゃんのせいとか、随分と自分に都合のいい言い分だ。かといって謝る気はさらさらない。やはりあれは、私の本音なのだ。
『千早が大丈夫って言うなら……。何かあったらすぐ連絡しろよ。夜中でもなんでも。一緒にいたくないなら千早が俺ん家くればいいんだし』
どこまでも甘やかしてくれる来人に笑いが漏れる。本当に、過保護すぎるって。
「ありがとう。もし万が一のことがあれば、連絡するね」
『おう。二十四時間体制で待ってるぞ』
だから、過保護だって。明日仕事だよ?
来人の声を聞いて、やっと平常心が戻ってきた。私は礼を言って電話を切った。
お風呂の準備をしようと立ち上がったところで、お姉ちゃんが入ってきた。
「今の、彼氏?」
……聞いてたんだ。
「うん」
「何よ、他人が怖いとかいって彼氏はいるんじゃん」
来人のおかげで落ち着いた心がまた波立ち始める。だから? 来人だから今こうしていられる。他の他人は怖いままだよ。
「お姉ちゃんに関係ない」
話をする気になれず、そのまま浴室へ行こうとしたが、すれ違いざまに腕を掴まれた。瞬間、お姉ちゃんへの慣れ親しんだ恐怖が込み上げて小さく悲鳴を上げる。
「いつからよ」
「……なんのこと」
来人のこと?
「私が羨ましいって、私のせいで人が怖くなったって」
いつから、って、そんなの。
「ずっとだよ。物心ついた時から。……いつもいつもお母さんから、お姉ちゃんと比べて何やってもダメな子だって言われ続けたもん」
苦い思い出が蘇る。どんなに努力しても、全ては覆され認めてもらえなかった。そして私は、二人に愛されることを諦めた。
世間一般がいうような温かいイメージを、家族に、母に、姉に持つことが出来ない。そこは私にとって拒絶と否定の場でしかなかった。
「お姉ちゃんみたいにすればお母さんに褒めてもらえるかと思って頑張ったこともあったよ。でも、そもそも話も聞いてもらえなかった、見てくれなかった。もし私がお姉ちゃんだったら、って、小さい時はいつも思ってたよ……」
今になって訴えたところで全く意味が無い幼い頃の愚痴が口から零れ落ちる。この人に話しても無駄だってわかってるのに、何故か止めることが出来ない。
「お母さんはお姉ちゃんしか見てなかった。そしてお姉ちゃんも……それが分かってて私をいじめたよね。でもそれは……私がお姉ちゃんとこれっぽっちも似てなかったのが気に入らないんだよね。だから、もし私がお姉ちゃんみたいだったら、って、思ってた」
絶対に叶わない願いを、毎夜神様に祈り続けた。
顔でも、性格でも、特技でもいい。どこか一つでも似たところが出来れば、世界はもっと楽しいものになるのではないかと期待して。
でもその願いは、常にお母さんとお姉ちゃんによって踏みにじられ続けた。