リラの願い
「リラ、さん」
まさか逃げた当日にいきなり現れると思っていなかったリリアーヌは、突然現れたリラに心の底から驚いた。現れるとしてももう少し時間をおいて現れるとばかり思っていた。ジークもそれは同じ考えだったのか、まだハンター達を必要な数、集められていない。そのため、2人の護衛もいなかった。
「………あなたは本当に魔物、なんですか?」
すぐに手を出してこないリラに、リリアーヌは何を言うべきか悩み、聞いたのはそんなことだった。不思議そうにコッペが2人を見る。
「あら、バレてしまいましたか。その通りです。私は人間じゃなく、魔物です。同じ言語が話せるのは、この世界に呼ばれた際に無理やり、こちらの言語の情報を頭の中に叩き込まれたからでしょうね。特に私は人間と同じ体の構造をしてますから、同じ音を口から出すことができます」
リラは特に驚いた様子もなく、あっさりと自分が魔物であることを肯定した。そのことにリリアーヌはコッペを背中に庇う。
「何が目的?コッペちゃんは傷つけさないよ」
「私もコッペさんを傷つけるつもりはありませんよ。そもそも私にも使い魔としての契約がわずかに存在しています。無条件に私が直接、誰かを傷つけることはできません」
リリアーヌの言動に、リラは苦笑した。その言葉が本当なのかどうかはわからないが、手を出してこないことを考えると、それは概ね正しいのだろう。
「私の目的も単純です。元いた世界に帰ること。それだけです」
「………そのために魔物を暴走させる必要があったの?」
リリアーヌが確認のため、リラに質問を重ねる。もっと攻撃的に対応してくるかと推測していたが、リラはリラだった。リリアーヌやコッペに対して友好的に接してくる。
「厳密に言いますと、ありませんね。私が帰る方法は2つあり、どちらかを叶えれば帰れます。魔物の暴走は関係ありません」
ニコリ、とリラが笑う。
「その方法のうち1つが、私をこの世界に縛り付けている使い魔契約を破棄することです。その練習台として他の魔物の契約に茶々を入れさせていただきました。それと同時に、理不尽な扱いを受けている私たちの同胞に復讐の機会を与えたに過ぎません」
「………だからおおよそ、暴走した魔物は主人との関係を拗らせている場合が多かったのね」
魔物暴走の相手は、リラが選んでいたに過ぎなかった、ということだ。リリアーヌの中で、リラは純粋な悪ではないと判断する。
「でもそれだと、自分の契約は切れなかったんだ?切れたらここにいないもんね」
「そうですね。ほとんど制約を受けない所までズダズダに破壊することはできたんですが、それ以上はどうしても削れません。正直、信じられないです」
リリアーヌの推測をリラは肯定した。帰れないから帰る方法を模索している、ということか。
「ですからもう一つの方法ーー私の召喚主を殺すことにしました」
あまりにもあっさり言ったリラの言葉に、リリアーヌは一瞬、思考が停止した。
「………正気?」
「ええ、これ以上はないくらい正気です。だってそうでしょう?魔界の管理者である天族の一柱がなんで、こんな世界の人間に支配されなければならないのですか?それは理に反します。これは世界の意思、神罰です」
その言葉を聞き、リリアーヌはゾッとした。価値観が違いすぎる、と。あまりにもリラは、命を軽く見ていた。
「増え過ぎた個体は減らす。減り過ぎた個体は保護し、増やす。私から見れば、貴方達人間は増えすぎです。まあ蟲とか呼ばれてる怪物も増えすぎですが、私はこの世界の管理者になるつもりはありません。1人殺すだけで消えますよ。ここまで増えてるんですから、1個体消えたところで、種の保存には問題ないでしょう?」
なんでもないことのように、リラは言葉を発する。管理者、という言葉がリリアーヌに重くのしかかった。ただの自称ではない。本当に、リラは管理者なのだ。だから命を軽く見る。
「………あんた達はみんな、そうなの?」
リリアーヌは思わず、そんなことを聞いてしまう。
「当然です。それが我々の使命なんですから。一部、出来損ないの例外はいますが、彼らは皆、私たちにとって恥ずべき存在です」
それを聞いたリリアーヌは天を仰ぐ。あまりにも価値観が違いすぎていた。
「よくわかった。リラ、貴方は危険よ」
悪ではない。それは間違っていない。だが、善でもない。リラはあまりにも、価値観が超越しすぎている。種族的にそのような傾向にあるみたいだが、到底野放しにできる相手ではなかった。
「あら、どうしてでしょうか。私は私たちの使命を全うしたいだけです。そのために帰りたいんですよ」
リラは本気でわからない、と首を傾げる。
「帰らせないよ。私が貴方のその価値観、矯正してあげる」
リリアーヌが一歩、前に出る。リラの持つ力が惜しいのもある。だけど、この価値観はあまりにも危険すぎる。本当に彼女の世界を思うなら、そんな超越した考え方は間違っている。
「あら、それは無理な相談です。だってもう、私が帰る手筈は済んでいますから」
リラが無邪気に手を合わせる。それを皮切りに、遠くで何かが弾ける音がした。
「え、何!?」
「申し訳ないですが、何体か壁の外にいる怪物ーー蟲を壁の中に転移させていただきました。私が帰る時にはきっちり壁の外に出しますので、その点はご安心を」
驚いたリリアーヌにリラが何をしたのかを回答した。それを聞いたリリアーヌの顔が引き攣る。
「な、何考えてるの、あなたは!関係ない人も死ぬよ!?」
「私だってこのような手は取りたくありませんでした。最初は勝手に壁の外で散ってくれるかと思っていたんですが、思いの外私の主人は慎重で強かったので、半年待っても一切怪我する事自体がありませんでした。ですから契約破壊の作戦に移り、半年間実験検証を繰り返したのです。それも失敗し、人質でも取って壁の外に誘き出すつもりだったんですが、それもあなたの手で防がれてしまいました」
リリアーヌの焦りは何処吹く風でリラが独白する。それを聞いたリリアーヌは何かがストン、と落ちる音がした。
「リラ、あなたの主人は、誰?」
一種の核心を持ち、リリアーヌは尋ねる。
「化物ですよ。あの人の姿をした」
それを聞いたリリアーヌは、尚更リラの作戦を成功させるわけにはいかなくなった。誰が主人なのか、はっきりとわかってしまった。
「………ジークなんだね、あなたの主人は」
「その名を私に聞かせないでください」
考えてみればおかしな事だったのだ。ジークの魔物召喚に失敗するなんて話は聞いたことがない。その後、召喚自体が出来なくなったと聞いて、尚更おかしいと思っていた。
その答えが、これだ。召喚された瞬間、リラが逃げた。最高峰の魔物であるリラなら、そのくらいのことをやってのけても不思議ではない。リラがただ待っていた半年間と、実験検証を繰り返していた半年間、合わせて1年と期間が一致する。
「………1年間、マナの補充はどうしてたの?1度も補充することなく、耐えていたとでも言うの?」
「ええ。ひたすらに節制に節制を重ね、命を繋いできました。正直、それだけで私は我慢ならなかったです。天族たる私が、何故そのような不毛なことをしなければならないのか。まあお陰さまで、マナの扱いは上手くなりました。これは一つの経験となるでしょう」
リリアーヌの確認に、リラが頷く。それも規格外だ。カーちゃんならマナの補充なければ、耐えられたとしても1週間が限界である。それを1年間、耐えた。マナの保有量が桁違いに多いのだ。そしてそのマナを補給した、人造英雄であるジーク。どちらも規格外すぎる。
「………あら?どうしてリリアーヌさんはマナをご存知なんですか?この世界の人間は、マナの存在を認識していませんよね?」
今度はリラが首を傾げる。何気ないリリアーヌの言葉だったが、リラからすれば違和感のある言葉だった。この世界の人間にマナという概念が存在しないのは、リラも調査済みである。それなのに、リリアーヌはマナという言葉を口にした。
「私もマナが使えるからよ」
リリアーヌが手をあげる。それに応じて、周囲の空気が僅かに揺れる。言葉を聞いたリラは、驚いたように目を見開く。
「あら、こちらの人間もマナが使えるたんですね。驚きです」
「全員じゃない。使える人間はごく少数。一般的にマナの存在に無知だから、魔法使いって呼ばれてる。これなら、あなたに牙を向けることができる」
リリアーヌの秘密。それがこれだ。魔法使い。極めて希少な魔法使いは人攫いに狙われることが多かった。そのために汚い護身術を身につけ、危険な蟲を目の前にしたら最優先で逃げさせられた。
「あら、そうなんですか。ですが、その程度で私に対して、何かできるとお思いですか?」
リリアーヌが首を傾げる。それから背中に2対4枚の純白の翼が現れる。その姿は何処か神々しく、管理者たる威厳があった。
「魔界を統べる管理者、天族が一柱ーーリラ。いくら魔法使いと言えど、あなたのような管理されるべき弱小な存在が、私に牙を向けると思っていますか?」
リラが口上を述べる。それは以前、リリアーヌが馬鹿にしたことだった。だけど今、その口上は確かな力を持ってリリアーヌを襲う。圧倒的格上の存在に、たったそれだけで圧倒されそうになる。
「ですが安心してください。管理者は慈悲深くなければなりません。少しくらい噛まれたって気にしませんよ」
リラが優雅に笑う。それだけ余裕がある、ということなのだろう。
「ならその慢心に溺れないようにしなさい。私は全力で、あなたをジークの元に引き摺ってでも連れて行く」
その言葉にリラの笑みが消える。
「ーーふざけないでください。あの化物は、今頃中位の蟲との争いで死にかけています。億に一つの可能性で仮に私を倒せても、既に化物は蟲の胃の中でしょう」
「あなたことふざけるな。ジークは負けない。あいつを殺したければ、上位の蟲を連れてこい。最も、そんなの相手にしたら、転移する前にあなたが食われるだろうけど」
ズン、とリリアーヌの傍の地面が爆ぜる。完全に表情を消したリラが、感情の篭らない瞳をリリアーヌに向けていた。リリアーヌは咄嗟に爆ぜた地面から舞い上がった砂埃を避ける。
「攻撃できないんじゃなかったの!?」
突然攻撃されたリリアーヌは困惑する。さっきまでは攻撃できないと言っていたが、平然と攻撃を放ってきた。
「直接の攻撃ができないだけです。地面を破壊し、間接的にダメージを与えることはできます。そうでなければ他の魔物や、蟲で攻撃なんてできるはずないでしょう」
表情を歪め、怒りの形相を浮かべたリラが種を明かす。
「ここまでイラついたのは初めてです。少しばかり、きついお仕置きですよ。ああ、私のマナの心配はしないでください。もう私がこの世界にいることはありませんので、残ったマナを使い切るつもりですので」
本当にイラついた様子でリラが呟く。
「本気で終わらせるつもりなんだ」
捨身にも等しいリラに、リリアーヌは覚悟を決める。本気でいかなければ、到底及ばないと。
「ああそうそう、あなたはそこにいてくださいね。危ないですから」
リリアーヌが魔法を使おうとすると、リラが自分の隣にいつの間にか移動していた。光の球体に包まれたコッペを見る。コッペは気を失っているようだった。守っているように見えなくもないが、見方を変えれば人質である。
「………最低」
「心外ですね。私はこれからあなたと私の戦いに巻き込まれないよう、守って差し上げているのですよ?」
リリアーヌが吐き捨てると、リラは本気で心外だと首を傾げる。だが、その笑みが消えることはなかった。
「シャー!」
一緒に光の球体に包まれているバルが、リラに向けて威嚇した。
「あなたも魔界に帰りましょう。カーバンクルであるあなたは、魔界でも稀少な存在です。帰って子を増やさなければなりません」
「やめて!」
リラが手を閉じる。それと同時にリリアーヌが叫ぶが、それより早く、2人の契約が裂けた。
「その中ならあなたの感じた怒りを主人にぶつけられるでしょう。しばし、御自由になさってください」
「シャー!」
バルがコッペの手に噛み付く。
「っ!?」
その痛みにコッペが目を覚ます。それから自分の周囲を確認し、最後にバルを見た。
「バル、ちゃん?」
「グルルルル………」
血が滲むほど、バルがコッペを強く噛む。それを確認したコッペは何が起きたのかを把握する。
「………そっか。バルちゃんとの契約、壊れちゃったんだ」
弱々しくコッペが笑う。それから噛まれている手とは反対の手でゆっくりとバルの頭を撫でた。
「辛かったよね。私みたいな人が主人で。本当は自由に生きたかったのに、縛ってごめんね」
コッペが静かに涙を流す。何度もごめん、と謝りながら。
「謝ったところであなたの罪は消えませんよ」
リラがそれを冷めた目で見る。
「カーバンクルは魔界でも稀少な魔物なんです。適切に管理しなければなりません」
「グルルルル………………」
バルちゃんが唸る。だが、その唸りがゆっくりと小さくなっていく。
「バルちゃん………?」
コッペが泣きながら目を開く。バルはゆっくりと噛んでいた手を離し、傷口を舐めた。すると、その手の噛んだ跡が、静かに消えた。
「きゅー………」
バルがコッペに擦り寄る。それを見たコッペに笑みが、リラに共学の表情が浮かぶ。
「バルちゃん!」
「な、なんで?カーバンクルが人に懐くなんて………!」
コッペがバルを抱きしめる。バルは迷惑そうに尻尾を振り回していたが、腕の中でおとなしくしていた。
「………いつまでもよそ見してんじゃない!」
リリアーヌが叫ぶ。それと同時に、リリアーヌの感情に呼応するように大地から無数の木の根が伸びた。それがリラを絡めとろうとする。リラは慌てて空へ逃げる。
「な、これほどの規模の魔法が使えるなんて………!」
「悪いけど、私も魔法使いとしたら規格外なの!」
一瞬で地形を変えるほどの木の根を生やしたリリアーヌが叫ぶ。
「“大地の神子”リリアーヌ=レヴィン=アルンガム、意地でもあんたをジークの足元に叩きつけてやる!」
リラの口上に負けないよう、リリアーヌも本当の自分を高々と叫んだ。