カーバンクルの好み
「それじゃ、今日はカーバンクルが何を好きなのか、町に出て確かめてみようか」
リリアーヌはコッペに視線を合わせ、ニコリと笑う。コッペの両腕には不貞腐れたように彼女の魔物たるカーバンクルが抱きしめられていた。昨日の暴れようが嘘のように大人しい。
「はい!今までバルちゃんを外に連れてってあげられなかったですし、色々見せてあげたいです!」
「きゅー」
コッペがバルに頬ずりする。バルは嫌そうに鳴き声を出した。
「ますばバルちゃんを解放してあげようか。あんまり抱きしめてると、嫌われるよ?」
「あ、はい!」
リリアーヌの言葉にコッペは素直に従い、バルを解放する。自由になったバルは、その場で自分の尻尾を追うように数回転する。
「それと1つ忠告だけど、カーバンクルが自分の尻尾を追いかける時は気を付けてね。ストレス溜めてる場合が多いから」
「きゅきゅい!」
リリアーヌの言葉にカーちゃんが反応する。自分の尻尾を追いかけるように、その場で激しく回転した。
「きゅい〜」
そして目を回し、ひっくり返った。
「………カーちゃんは例外ね。なんか慣れてきたら、よくわからない行動するようになったから。多分、カーバンクルとして幼いんだと思う」
リリアーヌは自分の相棒を無視し、話を進める。
「カーバンクルはストレスに弱い。これは本当の事だから、普段から行動には注意して。ある程度慣れてくると、ストレス溜めてるのがわかるようになるから、可能な限り発散させてあげて」
「はい!」
リリアーヌの言葉にコッペは大きく返事をする。すると、フン、とバルが鼻を鳴らす。
「きゅい〜」
カーちゃんは構って?みたいな表情でリリアーヌを見上げていた。
「まず食事ね。カーバンクルって、結構グルメだから美味しいもの食べると喜ぶよ」
「きゅい!」
リリアーヌの言葉にカーちゃんが起き上がる。結構現金だった。
「え、魔物って食事を必要としないんじゃないんですか?」
逆にコッペはリリアーヌの言葉に驚く。魔物は食事を必要としない。理由はわかっていないが、確固たる事実として知られている事だ。リリアーヌはその事実と異なる事を口にしたのである。
「あー、そうね。魔物はマーーとあるものを栄養としてるから基本的に食事を必要としない。だけど、嗜好品として食事を好む魔物もいるよ。カーバンクルなんかは特に食事を好むから、一緒に食事をしてあげるといいと思う。食べ物は私達と同じもので平気だから」
「きゅい!」
ご飯、と言わんばかりにカーちゃんがリリアーヌの周囲を走り回る。よく見ると、バルも期待するようにリリアーヌを見上げていた。
「わかりました!おとーさんにお願いして、バルちゃんの食事も毎回、用意してもらいます!」
コッペがリリアーヌの言葉を受け入れると、少しばかりバルが期待するようにコッペを見上げた。
「それじゃ、何が好きなのか探してみようか。ちなみにカーちゃんは果物類が好きだよね?」
「きゅ!」
リリアーヌがポケットからさくらんぼを取り出して投げると、カーちゃんは嬉しそうに齧り付いた。そのまま種ごと飲み込んでしまう。
「こればかりは個体によって差があるから、バルちゃんが何が好きなのかを確かめる必要があるわけ。後は魔物用の玩具で、どのような物に興味を示すかを確認する必要がある。目的はこの2つね」
「はい!」
「それじゃ、行こうか」
リリアーヌがコッペと手を繋ぎ、歩き出す。2匹のカーバンクルはその後を追いかけた。とてつもない問題を抱えているという事実に気付くことなく。
「………まずい、迷った」
街のカフェでリリアーヌががっくりと肩を落とす。
「あ、ははは………」
一緒に迷子になったコッペが乾いた笑い声を出す。笑い事ではないから、このような笑い声しか出なかった。
冷静に考えればわかったはずである。区に来たばかりのリリアーヌと子供であり、そこまで行動範囲の広くないコッペリア。知らない場所に繰り出せば、迷うのは必然だった。
最も、それに気付くまでに物凄い時間がかかっており、既にお昼を回っていた。その上、2人の周囲には幾つもの紙袋がある。リリアーヌとコッペの戦果である。区に来たばかりでジークに一文無しと思われているリリアーヌだが、実は1ヶ月は余裕で遊んで暮らせるだけのお金を手元に置いていた。そのため、必要経費として、このくらいの買い物は問題なかったりする。コッペも今回は父親から、魔物に関する経費として僅かばかりだが、軍資金を貰っていた。
ちなみにこの間にバルの好みがわかった。食事としては肉が好みで、玩具より服に興味を示した。今も魔物用の服を着て、ご満悦そうである。ちなみにカーちゃんは新しいボールを転がして遊んでいる。
「都合よく知り合いがいたりは………しないよねえ」
そもそもリリアーヌの知り合いは少ない。その殆どがハンター関連の人物であり、この場を通りかかる可能性は低い。
「ハンター本部への道を誰かに聞いてみるのはどうですか?」
「それが1番か………」
コッペの意見をリリアーヌは受け入れ、重い腰を上げる。直接リーリャン公爵家の場所を聞いてもいいのだが、それだと余計な事件に巻き込まれる可能性がある。それならハンター本部に行き、リースあたりに案内してもらった方がよかった。
「きゅ?」
リリアーヌが腰をあげると同時に、カーちゃんの遊んでいたボールが不自然な弾み方をし、転がっていく。それを見ていたのはカーちゃんのみで、他の誰も気付かなかった。カーちゃんは首を傾げていたが、特に問題なさそうなのでそのまま追いかける。
「あら?」
そのボールはカーちゃんが止めるより早く、1人の女性にぶつかる。
「これ、あなたの?」
女性は腰を下げ、カーちゃんにボールを示す。カーちゃんは素直にそれを受け取らず、警戒するようにその女性を見た。
綺麗な女性だった。軽くウェーブした金髪に、翡翠色の瞳。肌も白く、人形じみた美しさがあった。それ故に、カーちゃんは違和感を覚え、警戒してしまった。
「ちょっとカーちゃん!ごめんなさい、お怪我はないですか?」
会計を済ませたリリアーヌが、慌ててカーちゃんの側にやって来て謝る。
「いえ、お気になさらないでください。このボールが私の足に当たっただけです。カーバンクルはとても珍しいので、少し興味を持ちまして」
女性が立ち上がり、リリアーヌにボールを手渡す。リリアーヌはお礼と共にボールを受け取る。その際に、女性の容姿に息を飲みそうになった。
(凄い綺麗………。まるで人形じゃないみたい)
リリアーヌもそれなりに容姿は整っている方だが、この女性には決して敵わない。それがはっきりとわかった。
「きゅー」
カーちゃんが警戒するようにリリアーヌに縋る。だが、その意図をリリアーヌが察する前に女性が口を開いた。
「あら、随分とカーバンクルが懐いていられるんですね!とても懐きにくいとお話を聞いていましたので、驚きです!」
「ありがとうございます。私も最初はなかなか懐いてくれず、色々と苦労したんですが、今は仲良しなんです」
リリアーヌは女性のペースに巻き込まれ、会話を続ける。
「そうなんですか!あの、もしよかったら触らせて貰えませんか?」
「きゅ!?」
突然の女性の申し出にカーちゃんが驚く。
「カーちゃん、いい?」
「きゅきゅきゅ!」
必死にカーちゃんが首を横に振る。それを見た女性はおっとりと人差し指を頬に当てた。
「あら、残念です」
「カーちゃん?」
何時もと様子の違うカーちゃんに、リリアーヌが眉を顰めた。基本、カーちゃんは人に慣れているので、余程の事がない限り、簡単に触らせてくれる。それを今、明確に拒否した。
「あ、名乗るのが遅くなってしまいました。私はリラと申します」
女性ーーリラがリリアーヌが考えをまとめるより早く、名乗り出て握手を求めてきた。
「リリアーヌです。よろしくお願いします」
リリアーヌは思考を中断し、その手を握る。
(………?何?)
次の瞬間、何かが手を伝って流れ込んだ気がした。だがそれは、特に意味をなさず消滅する。そのことにリラの眉が一瞬、動いた。リリアーヌはそれに気付かなかった。
「わー、綺麗なお姉ちゃん!」
コッペもリラを見上げる。リラはにこりと笑いかけると、コッペに視線を合わせた。
「へえ、貴方もカーバンクルを連れているのね」
リラがコッペの後ろをご満悦そうについてきているバルを見る。
「はい!バルちゃんです!」
コッペの紹介に、バルはフンスと鼻を鳴らす。同じカーバンクルでもここまで違うのか、とリリアーヌはカーちゃんを見た。カーちゃんはずっとリラを睨んでいる。
「カーちゃん?」
やはり気のせいではない。リリアーヌは自分の相棒に声をかける。するとカーちゃんは少し俯き、その場をとことこ歩く。自分でもなんでリラをこんなに警戒しているのか、わかっていないらしい。
「きゅ〜」
しばらくして、カーちゃんがリラに鼻を押し付ける。
「あら、触らせて頂けるのですか?」
リラがカーちゃんに触れようと腰を下ろす。するとカーちゃんは何かに気付いたようにビクッ、と体を震わせる。
「きゅきゅう!きゅう!」
それからリラの手をすり抜け、リリアーヌの足元で何かを訴えるようにぐるぐるする。大きく尻尾を揺らし、その匂いを嗅ぐ真似をした。
「カーちゃん、さっきからどうしたの?」
リリアーヌは困惑する。自分の相棒がこのような行動をする理由がわからなかった。普段から好奇心旺盛で好き勝手やっているが、リリアーヌを困惑させるような行動は今までしたことがなかった。
「きゅ〜」
言いたいことが伝わらない事に、カーちゃんはしょんぼりした。
「こちらの子はいい子ですね」
リラはカーちゃんの代わりにバルを撫でていた。バルはご満悦そうである。
「お姉さん、凄いです!バルは普段から大人しくしていることないんですけど、凄く落ち着いてます!」
コッペも大人しくしているバルに喜ぶ。
「へえ、そうなんですか。こんなにいい子なのに」
瞬間、リラの目が見開かれる。
「まだ絆はできていないようですね」
その呟きは、誰にも聞き取れなかった。
「お二方はどうしてこのような場所にいらっしゃるのですか?普段、ここにいませんよね?」
十分にバルを愛でたリラは立ち上がり、リリアーヌに尋ねる。リリアーヌは頬をかく。
「あはは………。はい、恥ずかしながらここに来るのは初めてです。それで迷ってしまいまして」
渡りに船、とリリアーヌは現状を話し、周辺について詳しそうなリラに助けを求めることにした。するとリラは手を合わせる。
「まあ、そうなんですか!それは大変ですね!よろしかったら私がハンター本部まで案内しますよ」
「え、そこまでしていただくのは申し訳ないですよ」
リラの申し出にリリアーヌは遠慮する。道を聞ければいいので、わざわざ付き合ってもらう必要はない、という判断だ。
「いえ、大丈夫です。実は私もハンター本部にちょうど用がありまして、向かう途中だったんです。袖振り合うも多生の縁と言いますし、ご遠慮なさらずに」
「そういうことなら、お言葉に甘えます」
今度はリラの申し出をリリアーヌは素直に受け取る。本当にハンター本部に用があるのかは不明だが、わざわざそのような事を言ってくれたのだ。これ以上遠慮するのは無礼だと思った。
「きゅ〜」
それをカーちゃんは、心配そうに見上げていた。