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絶望の中

新作投稿です。しばらくは毎日更新します。

「はあ、はあ、はあ」


1人の少女が走る。酷く息を切らし、大量の汗を額に浮かべている。


「はは………これは、さすがにまずいな………」


その少女の少し後ろを一人の青年が同様に走る。二人の表情は恐怖に染まっている。その隣を一匹の狼が並走する。


「クゥン………」


その狼は何かを恐れるかのように、時々後ろを振り返る。


「ウォルフ、俺たちに合わせる必要はないぞ!」


青年が狼に向かって叫ぶ。その言葉に狼は一度、ビクッと震えると小さくなる。それでも二人の傍から離れることはしない。明らかに地力は狼にある。それでも距離が離れないのは、狼が二人の走るペースに合わせている証拠だ。


「お前は………」


青年が走りながら笑う。そこには確かな信頼が感じられた。


「兄さん………」


少女が振り返る。直後、その顔が引きつった。


「もう追いついてきた!」


その言葉に青年が振り返る。その視線の先に、それはいた。蟻だ。数は5匹。独特な黒い光沢がある。問題は、その大きさだ。高さが1メートルほどある。超特大の蟻である。それが猛スピードで2人と1匹を追いかけていた。明らかに二人より早い。しかも、走り続けている二人と比較して、疲弊している様子はない。


「キュイ!」


否、2人と2匹だ。少女の服のフードから青い小柄な生き物が顔を出す。耳が長く、額に宝石が嵌まっているのが特徴の生き物。カーバンクルと呼ばれる存在だ。


「カーちゃん、顔出しちゃダメ!」


少女がカーバンクルを叱る。それでもカーバンクルはフードから外に出て、2人と並走を始める。小柄なのでたいした重さはないのだが、少しでも少女の負担を減らそうとしたのだろう。狼同様、二人よりだいぶ早く走れそうなのだが、離れることはない。その上、長い尻尾をこれでもか、と振りまくり蟻の意識を自分に誘導させようとしていた。ちょくちょく二人から離れたりして意識が自分に向いているかの確認もしている。


だが、蟻にそんなことは関係ない。少女がカーバンクルをフードの中に入れていたことに特別な意味はない。ただただ少女の自己満足でしかない。そもそも蟻は、カーバンクルに対する興味がない。何故なら、蟻は自分たちの食事を集めているだけなのだ。それなら肉付きのよい、大きい獲物を狙う。他に獲物がないのならカーバンクルだろうが狙うだろうが、人間という大きいのろまな別の獲物がいるのなら、最初にそちらを狙う。


「くそっ!」


青年が悪態をつく。それから急に振り返り、立ち止まる。


「兄さん!」


それに気付いた少女も足を止めようとする。狼とカーバンクルも急ブレーキをかけた。


「止まるな、走れ!リア、お前は逃げろ!意地でも生き残れ!」


青年が懐からナイフを取り出す。巨大な蟻に対し、それはあまりにもちっぽけな武器だ。リアと呼ばれた少女は一瞬、躊躇うもすぐに走り出す。兄に背を向けて。カーバンクルもそれに並走した。


「グルルルル………」


それに対し、狼は青年の元に戻る。だが、それすら青年は叱責する。


「ウォルフ!お前はリアを守ってくれ!可能な限り、俺が時間を稼ぐ!」


その言葉に、狼はまた小さくなる。狼は非常に知能が高く、人語を理解していた。また、これから起こる惨劇も理解している。


蟲。それはいつからいたのかはわからない。それでも確かにこの世界に存在し、世界を食い荒らす存在だ。非常に大きく、力強く、堅い。間違ってもナイフ一本で勝てるような相手ではない。そもそもまともな兵器では、傷すらつけられない。2人を追いかけていた蟻は、この蟲だ。特に蟻型の蟲は数が多い。一度巣を作ってしまえばその周辺しか現れないのだが、誤ってその縄張りに入り込んでしまえば、あらゆる生物が餌となる。それは青年も、狼も同じだった。


「クゥン………」


狼は一度、小さく鳴くと青年に鼻を押し付けてから少女を追いかける。


「人間を、舐めるなあ!」


青年が叫ぶ。それから蟻に向かって走り出す。一気に肉薄すると、ナイフを蟻の頭に突き立てた。ガキン、と硬質な音が響き渡る。それと同時にナイフの刃が飛び散り、青年の目に刺さった。苦痛にその顔が歪む。


「はは………何やってるんだか………」


それから自嘲気味に笑う。ナイフを振り下ろした蟻は、傷一つついていなかった。逆にナイフは、たった一度蟻にぶつかっただけで、折れてしまった。それどころか、一切蟻は比怯まない。そもそも怯む、ということを知らなかった。ただ死ぬまで、機械的に獲物を狩り、巣に持ち帰る。それだけの存在にすぎない。


青年は目に刺さったナイフを破片と取ることはなく、後ろに飛ぶ。既に自分の命は捨てていた。妹を守るために捨てた。ギリギリまで逃げ回り、時間を稼ぐだけだ。痛みなど、無視すればよい。


それなのに、後ろに飛んだ青年の体は動かなかった。着地に失敗したのだ、ドサッ、と乾いた音がする。青年が驚いて蟻を見ると、目の前まで肉薄していた蟻の口には、人の足が咥えられていた。その事実を知ると同時に、青年は今まで感じたことのない痛みを知った。


「ああああああっ!」


それは青年の足だった。青年が逃げるより早く、蟻が食いちぎっていた。叫び、脂汗を浮かべる青年に、他の蟻が群がる。


それからしばらく、青年の叫び声が響いた。それが、青年にできる、最後の抵抗だった。







「ウォルフ!?兄さんは!?」


少女は自分に追いついてきた狼を見て驚く。狼は耳を垂れ下げ、首を横に振った。それを見た少女の目に、大粒の涙が浮かぶ。それを乱暴に拭うと、少女はさらにスピードを上げる。兄が自分のために命を投げ出したのだ、それを無駄にはできない、と。


「クゥン………」


狼が申し訳なさそうに立ち止まる。少女はちらりとそちらを見て、呟く。


「ウォルフのせいじゃないよ………。みんな、みんな、あいつらが悪いんだ………」


少女は蟲に対する悪態をつく。あらゆる生物を食い物とする蟲。これに抵抗する手段は数少ない。人類の叡智で何とか撃破することができるが、生身ではどうしようもない。他の生物ではとても抵抗することができない。少女はそのことを深く理解していた。


「ありがとね、ウォルフ。ほんとは臆病なのに、こんな私たちについてきてくれて」


少女は泣きながら笑う。狼は申し訳なさそうに、スピードを落とし、やがて止まる。それに対し、少女は足を止めない。


「オオオオォォォン!!」


狼が振り向き、一度悲し気に吠える。次の瞬間、その体が柔らかい光に包まれて、消えた。


「キュウ………」


それに気付いたカーバンクルが立ち止まる。それでもすぐに走り出した。


「ごめんね、カーちゃん。最悪、あなただけでも逃げて。魔物であるあなたたちは、契約者である私たちの方が先に死ねば、元居た世界に帰れるから」


少女は振り返らず、カーバンクルに対して呟く。カーバンクルは少女の足元に寄り添う。最後まで一緒だよ、と言わんばかりに。


魔物。それは人類が蟲に対抗する手段として編み出した生物兵器だ。生物兵器、と言っても一から育てているわけではない。異世界の住人を自分たちを守らせるために呼びだしているのだ。その異世界を魔界と呼び、そこに住む生物だから、魔物。呼び出した魔物と主従関係を結び、蟲に抵抗する手段として確立したのだ。


その魔物には様々な種類がある。先ほどの狼も、現在少女の足に寄り添っているカーバンクルも、その魔物の一種だ。魔物は総じて特殊な能力を持つ。魔法、と呼ばれる奇跡の力だ。この力は蟲を殺すのに役立つ。


だが、それも確実ではない。少なくとも先ほど消えた狼と、カーバンクルの魔法は蟲を殺せなかった。だから逃げの一手を打つしかなった。魔物の召喚にも制約があり、一度召喚してしまうと、二度と召喚することができない。強力な魔物を召喚するまで何度も行えるわけじゃないのだ。また、魔物も生き物であり、十分な信頼関係がなければそもそも力を貸してくれないこともある。契約の効果で、直接攻撃されることはないのだが、あえて蟲を見逃す、くらいは平気でやられる。また、強力な使い魔をずっと戦力として保管することもできない。契約主が死んでしまえば、魔物はこの世界にとどまれず元の世界に帰ってしまう。また、魔物自身の寿命の問題もあった。大抵の魔物は長生きなので寿命で死ぬことはほとんどないが、年老いた魔物を召喚してしまえば、この限りではない。


先ほど狼は、自分の契約主である青年を失って、この世界に留まれなくなってしまい、消えたのだ。その直前に青年の守護の任を諦めていたが、それは狼にとっての本意ではない。青年が自分の命より、妹の命を優先させたから、その意志を尊重したのだ。1人と1匹の信頼関係は十分にあった。それは少女とカーバンクルも同様だった。


カーバンクルは少女を見殺しにしたくなかったが、小柄で力もない。少女を守るための魔法もない。小さくキュイ、と鳴いて再び距離を取る。その上で少女に気付かれないよう、徐々にスピードを落とした。小柄な分、足の速い自分なら、あの蟻たちの意識を自分に向けさせたうえで、逃げられると信じて。


「あっ!」


そのカーバンクルの願いも虚しく、疲労の溜まった少女は、小さい石に躓いてしまう。転倒し、大きく膝を擦りむいた。それに気付いたカーバンクルはすぐに少女に駆け寄り、己の魔法の力を行使する。


治癒。あらゆる怪我や病気、疲労をなかったことにする魔法だ。強力な魔法だが、使える魔物も少ない。また、蟲に対する決定打にはならない。また、一撃で命を奪われてしまえば、治すことなどできやしない。それに、魔物との仲がよくなければ、使ってくれないこともある。その点で言えば、少女とカーバンクルの仲は十分すぎるほどに良好だった。一切の躊躇いもなく、カーバンクルは主に対して治癒の力を行使したのが、その証拠である。


「カーちゃん、ありがと」


赤い目で少女がカーバンクルを撫でる。カーバンクルは服の袖を咥え、少女に急ぐように促した。


「キュ!」


それからカーバンクルが耳を逆立てる。驚いた少女が背後を振り返ると、3匹の蟻が見えた。蟻も少女をその視界に捕らえると、スピードを上げる。


少女は慌てて立ち上がり、駆け出す。カーバンクルもそれに並走する――ように見せかけて徐々にペースを落とし、蟻に接近する。その上で尻尾を振り回す。


「キュキュイ、キュイ!」


鳴き声を上げて注意を引く。それからわかりやすいくらいに大きく軌道を逸らした。こっちにこい、と言わんばかりに。


――だが、カーバンクルの努力も虚しく、蟻は全て少女の方に向かってしまう。体の小さいカーバンクルなど興味がないように。その事実に慌ててカーバンクルは戻る。そのまま蟻の足に噛みつこうとして、吹き飛ばされた。


「キュ!」


「カーちゃん!そのまま逃げて!」


少女は自分を守ろうとしたカーバンクルにそれだけ言い残し、スピードをさらに上げる。先ほどの治癒のおかげで、ある程度体力は戻っていた。


だが、それだけだった。そもそもスピードが蟻に対して負けていた。振り切れるはずもない。少しだけ回復した体力もすぐに底をつき、再び小石に躓く。その隙を蟻が見逃すわけがなかった。


「ごめん、ごめん、兄さん。みんな………」


少女は泣いて呟く。悔しかった。逃げきれなかった自分が。守ってくれようとした兄の努力を無駄にしたことが。少女はたまらなく悔しかった。


そんな少女に蟻が顎を広げる。これ以上逃げられないように足を食いちぎろうとして――


「ふんっ!」


――脇からぶん殴られて吹っ飛んだ。バキッ、という何かが砕ける音がした。


「――へ?」


驚いた少女が顔を上げる。


「オラァ!」


いつの間にか、少女と蟻の間には、一人の青年がいた。少女の兄ではない。その青年は驚いたことに残り2匹の蟻を、蹴って吹っ飛ばしていた。その事実に少女が唖然とする。


「ふ、蟻型ごとき、この俺の筋肉の敵ではないわ!」


少年が叫ぶ。それから謎のポーズを決めた。少女は絶望の中、あ、こいつは関わるべきじゃない、と何となく思った。

!!空気崩壊注意報発令!!

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