唐突に始まる追いかけっこ
ギィッと錆びついた音を立てる扉を開けながら、数週間振りの我が家へ足を踏み入れる。数週間も家主が居なかったわりには小綺麗な状態を保つ家を一瞥しながら、上手く浄化魔法が効いているらしいと内心喜ぶ。
なぜ今僕が自分の家に居るのかというと、ある物を取りに帰ってきた。いつものように学校から馬車に乗って帰る際、突然家に帰りたいと言い出した僕にハロルド様は慈悲をお与えにならなかった。散々反対された挙句着いて行くと言うハロルド様に、家がある場所は人間保護地区だと伝えるとどうにか折れてくれたが日が暮れるまでには宮殿に帰ると約束させられた。
ハロルド様との約束を守るためにもさっさと目的の物を回収して宮殿に帰らないと。そう思いながら部屋に入り机の引き出しを開けると、それはすぐに見つかった。古びた小さい手鏡を手に取り、状態を確認する。
一見ただの手鏡にしか見えないが、これは凡ゆる邪気、瘴気、魔、闇を祓える『神光の鏡』と呼ばれるものだ。実家に居た頃から持たされていたもので、家を出る際も唯一手放さなかった。しかし宮殿に住むようになってから家に帰らなかったので、うっかりこれの存在を忘れていたのだ。鏡自体、希少なものだからずっとこの部屋に放置しているわけにもいかないし、何より忘れてならないのは勝手に人ん家に上がり込むリックだ。彼にこの手鏡を見られるのは少々厄介だ。見つかる前に回収するに越した事はないだろう。
手鏡を懐にしまいながら、さて宮殿に行くか。と玄関を出て空間魔法を発動しようとした時。複数人の気配を感じ取った。建物の影に隠れるように身を潜める何者かの存在に気付き、無詠唱で展開していた空間魔法を解除する。
そしてやおら彼らの方に足を向けると、何を思ったのか一人が矢を放ってきた。それをあっさり避けながら魔剣を抜き、彼らが目で追えないほどのスピードで氷柱を放つ。二、三人は氷柱で壁に縫えつける事が出来たが、残りの奴らは寸でで避けたらしい。反射神経が良いんだなと思いながら、それ以上追撃する事なく僕は建物の屋根に飛び移り屋根と屋根の間を駆け抜けた。逃げた僕を追いかける複数の足音を聞きながら、どこへ逃げようかとこの街の土地ルートを頭の中から引っ張る。
僕が今住んでいる家は人間保護地区という場所で、ここに住んでいる住人はほぼ人間だ。自分に関係のない他人には興味ないけど、それでも同族が傷付くのはあまり見たくない。そのため追ってくる彼らを始末するなら、せめて保護地区から離れた場所の方が都合が良い。
屋根を駆ける僕に向かって、時々矢が放たれる。その攻撃にどうしても違和感を感じざるを得ない。彼らからは明らかに僕を捕らえようという気があるのに、魔法を一切使わないのだ。確かにこんな所で魔法を使えば目立つし、魔力の残穢が残る事になる。その残穢から相手の正体を知る事も出来るから、なるべく残したくないという理由は解るけど……
違和感はまだある。僕がこうして家の屋根を駆け回っているのに、彼らは矢を放つだけで登ってこようとしないのだ。此方の攻撃を警戒しているのか、屋根に登れない理由があるのか。攻撃を仕掛けられた時から感じていた疑問が、ここに来て首をもたげ始めた。
(まさか、彼らは人間……?)
いくら獣人とはいえ、この国では保護地区の許可が無いと獣人は保護地区内に入れない。獣人だけを拒む結界が辺り一面に張り巡らされているからだ。その結界を作っているのは僕なので、竜王であるあの方でもやって来ない限り破られる事はない。因みに結界を張るとき獣人限定にしてしまったので、魔族であるリックは簡単に出入りできる。……今度結界を張り直す時に魔族も追加しよう。
そして許可を貰うには、この地区を管理している宰相に正当な理由を申し出なければならない。なぜゼス様が管理担当なのかはここでは割愛するけど、とにかくそんな申し出があればゼス様が教えてくれる。直近でゼス様からそのような話は聞いていないから、十中八九彼らは人間なはずだ。けれど僕には同族から狙われる理由がない。否、思い当たる事はいくつかあるけど、同じ人間とはいえ彼らが僕を捕まえられると本気で思ってるんだろうか。彼らを雇った雇用主は頭が良くないのかな。
なんて失礼なことを考えている間に保護地区の出口に辿り着いた。
空間魔法で作った収納ボックスから黒のローブを取り出し、フードを深く被る。そのまま風を斬るように出口を走り抜け、歩く人たちにぶつからないように注意しつつ走り、裏路地に逃げ込む。路地から辺りの様子を窺うが、獣人が多い通りでは彼らは追って来れないらしくもう気配はしなかった。ほっと一息ついたところで、突然後ろから抱きすくめられ声が出せないよう口を押さえられる。僕が気配に気付けないなんて相当な手練れと思い反撃しようと手に炎を宿らせると、僕の身体を抱きすくめる相手から聞き覚えのある声が発せられた。
「アディ、僕です」
その声は紛れもないヒオネさんの声で、抵抗しようとしていた力が一気に抜けた。すぐにヒオネさんは身体を離したが、周りを警戒するように視線で辺りを見たあと僕の腕を掴んで歩き出した。どこへ向かうのだろう、そもそもどうして居るのだろう。そんな疑念が胸にあったが何も言わず彼に着いて行った。ヒオネさんは僕に冷たい態度を取るけど、人間だと知っても差別的な態度は取らなかった。だから僕はある程度ヒオネさんを信用している。
裏路地を暫く歩いたのち、ヒオネさんは一軒の家の白い壁に手を当てた。すると陣が浮き上がり隠し扉が出現した。なんか隠し扉って忍者みたいだな。と思っていると、ヒオネさんは再度刺客が居ないか周りを見て僕を招き入れた。中はそこそこ広いリビングで、隠し扉を閉じたヒオネさんはまるで自分の家の様にソファーにくつろぐ。そして徐ろに自分の隣を叩くので、大人しく彼の傍に座った。ヒオネさんの顔色を窺いつつどこから突っ込もうかと考えていると、大丈夫ですか? とヒオネさんが僕に訊く。
「大丈夫です……あの、どうしてここにヒオネさんが?」
「最近ギルドで貴方の姿を見ていないとアメリアが騒ぐので、僕が様子を見に来たんです。と言っても保護地区には入れないので空から窺うだけでしたが。そうしたら貴方が追われているのを見つけ、助けるべきだと判断しました」
「そうでしたか。ありがとうございます、助かりました」
「いえ、無事でなによりです。それより、なぜ同じ人間に襲われていたんですか?」
眉を顰めて訝しそうな表情をするヒオネさんは、人間同士で争う意味が解らないと言いたげだった。人間はこの世界で最も弱く、それゆえに他種族から虐げられやすい。そんな状況下で互いの命を削り合うメリットなんか無い。けれど、それは獣人側の考え方であって、人間の考え方とは少し異なる。
そもそも地上に存在する人間の数は、他種族と比べると多いのだ。竜族が人間の庇護を辞めた今でも、人間の王が統治する国はあるにはあるし、その国で人間を保護している。まあ人間の数が多い所為で国に住めないって人達も居るけど、そういう人間達のために他国で人間用の保護地区が用意された。
人間は他種族、特に獣人から迫害されるし、奴隷の様に扱われる事もある。しかしそれは地域によって異なるため、人間が絶滅するなんてことはあり得ない。それこそ未曾有の天災でも起きない限り。だから人間が一人死のうが、この世界から見れば大した出来事ではないのだ。まあ、同族を大事にする種族からすれば理解できない考えかもしれないが。
「思い当たる理由はいくつかありますが、相手の目的までは分かりません」
これ以上余計な迷惑をヒオネさんに掛けたくないので淡々と先程の質問に答え、明確な言葉は避ける。僕を狙った理由はなんとなく思い付いているけど、確信はない。それにハーフとはいえ竜族の血を引いているヒオネさんをあまり巻き込みたくなかった。もし今回の件に竜族が関わっているとしたら、人間を庇ったヒオネさんの行動は同族から非難されるだろう。それに加え竜騎士団の団長かもしれない立場なら尚のこと。僕のせいでヒオネさんが中傷の対象となるのは嫌だった。
彼は出会った時から冷たい態度を取っていて、人間である僕を毛嫌いするのは当たり前だと思いながらも苦手と感じる事が多かった。しかし冷たい態度とは裏腹に、ヒオネさんが僕に掛ける言葉や行動はいつも心配や気遣いに満ちていた。非常に解りにくくて最近まで気付かなかったが、そもそも本当にヒオネさんが人間を嫌っているのなら、毎回僕が選ぶ討伐に付いてきて共闘するなんてありえない。それに、ヒオネさんは人間や他種族を侮蔑する様な言葉を僕の前で一切言った事はなかった。本来のヒオネさんも、僕だけに見せるヒオネさんも冷たさはあるが、優しさを感じさせる冷たさだった。だから、こんな茶番に付き合わせたくない。
「でも、もう大丈夫です。ほんとうにありがとうございました」
今出来る最上の笑顔を浮かべながらヒオネさんに再度お礼を伝えれば、彼は金色の瞳を限界まで見開き息を呑んだ。平素ならばお目にかかれないヒオネさんのレアな表情を眺めつつ、この場に留まるリスクが脳裏を過ったので建物から出ようと立ち上がった瞬間、問答無用と言わんばかりに強く腕を掴まれた。今までヒオネさんに乱暴な扱いを受けたことが無かったから驚いて彼の方へ視線を向けた。
ヒオネさんは力強く僕の腕を掴んでいるのにその表情は今にも泣き出しそうで弱々しく、今度はこちらが息を呑んだ。なぜヒオネさんがそんな顔をするのか理解できず戸惑っていると、ヒオネさんは空いていた右手で僕の肩を掴んだ。素の力ではヒオネさんに敵わないので、完全にこの場から去る事が出来なくなった。
「ヒ、ヒオネさん……?」
色を見なくてもわかるほど物憂げな眼差しを浮かべるヒオネさんに恐る恐る声を掛ければ、彼はその美しくも冷たい容貌を思いきり歪ませ、強く僕を睨んだ。次いで、ヒオネさんが悲痛を含んだ声で叫ぶ。
──もう貴方を失いたくない!
それは、彼と出会って以来初めて見た、激情にかられる姿だった。唖然とする僕の前で何度も、行かないでほしい、今度こそ護ってみせる、二度も失いたくない。と言い募ったヒオネさんは、突然跪き首を垂れる。そして普段は歩行に支障が無いようにと背中に仕舞われている竜翼を目一杯広げた。それは誇り高い種族として知られる竜族の、最高位にあたる敬礼で。次の瞬間どこかの大空で竜が咆哮を上げる映像が脳内に浮かび、咄嗟に顔を両手で覆った。
見てはいけない、これは見ては『駄目なもの』だ。そう強く思っていると、僕の様子に気付いたヒオネさんが困惑した表情であの名前を呼ぶ。
「メルレディス様……?」
ヒュッとか細くも鋭い呼吸が喉を通り過ぎていく。気付かれた、最悪だ。もしバレたのがハロルド様であればここまで動揺しなかっただろうが、混血とはいえ竜族であるヒオネさんに正体を知られてしまったのはかなりまずい。否、いずれこうなる事は分かっていた。ヒオネさんがあの日、リックと闘った時から、僕がメルレディスだと見破られるんじゃないかと不安で、だからギルドにも顔を出しづらくなっていた。




