故郷
「人間君、お前さんの故郷はどこだ?」
タバコの煙を吐きながら灰色の瞳がじっと僕を見つめている。核心に触れる様なその質問は充分な威力を持って僕を凍りつかせた。灰色の双眸は一切僕から逸らされる事は無いというのに、全く視線が合わない。それは僕が薬学の先生の目を見る事が出来ないでいるからだ。
故郷はどこだと訊かれてバカ正直に答えるつもりは無い。けれど先生の口振りからして、彼は僕がこの国の出身では無い事を知っているらしかった。鎌をかけている可能性も考えたが、面倒事を嫌う薬学の先生が遠回しな言葉を使うとは思えない。
背中を大量の冷や汗が滑り落ちて行くのを感じながら、ようやっと冷たい灰色の眼差しに視線を合わせ貼り付けた笑顔を浮かべる。
「そんな事を訊いて、先生に何かメリットでもあるんですか?」
わざと質問には答えず、逆に先生に問いかける。僕が偽りの笑顔を浮かべた事に気付いたのか、薬学の先生は咥えていたタバコを灰皿に押し付け火を消した。灰色の双眸から凡ゆる感情が消え失せたのを確認し、口元が引き攣りそうになるのを必死に堪える。
薬学の先生は暫く窓辺に寄り掛かっていたが、身体を起こすと僕の正面の席に座り直した。頬杖をつきながらニヤニヤと悪どい笑みを此方に向ける先生に内心戸惑っていると、先生の背後でゆらりと尻尾が揺れた。矢印の様な三角形のそれは、悪魔を表す身体的特徴だった。ゆらゆらと揺れる糸のように細い尻尾を目で追いかけていれば、テーブルの下に潜り込んで視界から消えてしまう。
「メリット云々じゃねぇよ。ただ興味が湧いただけだ」
僕の質問に答えた薬学の先生は愉しそうに目を細めて更に笑みを深くした。冷酷な笑い方に似たそれはたまにゼス様もする様な笑みで、至近距離から直視してしまった僕は背筋が凍りつく思いをする。
「最初は竜の小僧に目を付けられた哀れな人間としか思っていなかったさ。竜に勝ったっていう話も噂でしか聞かなかったからな。だが実際に見た人間君はこっちがドン引きする量の霊力を身体に宿し、しかも魔王様が無傷で返した人間だ。リックの助けがあったとは言え、あの方が拐った人間を素直に解放するなんざあり得ない。竜や魔王が太刀打ち出来ない人間なんて、悪魔からすりゃ最高の愉しみになるに決まってる」
冷たい笑みを浮かべたままそう言い放った先生は、獲物を狙う獣のような鋭い眼差しを僕に向けた。目の前の先生という皮を被る悪魔が恐ろしいと感じる一方、どこか愉しげな雰囲気を漂わせる薬学の先生から目が離せない。
そうだ、この人なんだかんだでリックに似てるんだ。ふとそう思った。突然現れて人を振り回す様な行動とか、人を喰った様な言い回しとか。どれだけ穏やかそうな雰囲気を纏っていても、どれだけ親しみのある笑顔を浮かべていても。その『眼』の奥は常に冷たい色を宿している。人間と魔族との違いをまざまざと見せつけられた瞬間だった。
(この人には、本当のことを言っちゃだめだ)
僕がどこで生まれて、どう育ってきたか。どんな苦痛を味わい、今日まで生きてきたか。家の事について、家族の事について、先祖の事について。魔王に語った時のように話すのは簡単だ、僕はもうあの家とは一切関係が無いのだから。けれど目の前で真実を知りたがっている先生には、教えてはいけない気がする。否、話してはいけないんだ。
そう決心する僕はかなり物憂げな表情をしていたのか、突然薬学の先生は「やめだやめだ」と手を振った。急に大声を出されたのでついビクッと肩が跳ねる。なんだと思い先生の方を見ると、彼は片手で目元を覆い天井へ顔を上向かせていた。
「ど、どうしたんですか……」
「いんや、ちょっと自分の見通しが甘かった事を痛感させられただけだ。悪かったな、恐がらせるつもりは全く無かったんだが……やれやれ、アイツに事を知られたら面倒だな。人間君、不躾な質問をした詫びとして好きなスイーツ奢ってやるから、今日の事は黙っててくれねぇか」
「え……は、はい……」
本当に申し訳無さそうにする薬学の先生にはどうやら悪意も敵意も無かったらしい。リックに似ていると思い込んでしまい、ついつい悪魔の思考を読もうとしたが考えすぎだったようで。次の休日に美味しいスイーツを奢ってもらうという約束でこの話は終わり、薬学の先生は二本目のタバコを吸い出す。その姿を眺めながら、ずっと心の中で燻っていた疑問が口から溢れた。
「先生はどうして教職に就いてるんですか」
タバコの煙を吐き出していた先生は一瞬動きを止め、視線を彷徨わせた。壁から壁へ移動する視線を追わずに机の下から顔を覗かせた尻尾に目をやっていると、先生がタバコを咥えたまま笑い出す。
「悪魔が教師なんて柄じゃねぇってか?」
「そういうんじゃなくて……何で教師だったのかなって」
薬学の先生は他の誰も気付かなかった僕の目を特殊だとすぐに見抜いた。特殊な目であることはバレても気にしないけど、余計な詮索をされたくなかったからある程度隠してはいたのに。それにリックと対等に話していたし、どう考えても上級悪魔だと思う。けれど上級悪魔が魔界ではない他国で教職に就く理由が見つからない。薬学の先生はやる気が感じられず無気力そうではあれど、能力が低いというわけでも無いみたいだし。
先生はじっと僕の顔を見つめていたが、まあ隠す事でもねぇか。と話を切り出した。
「別に大した理由は無い。魔界に居るとやれ軍に属せだのと周りが喧しくてな、煩わしくて魔界から去り、趣味である薬学の研究ができるっつー条件をここの理事長が示してくれたから居座ってるだけだ。まあ後で理事長と魔王様が旧知の仲だと知った時は腹に据えかねたがな」
薬学の先生って狡猾そうなのにうちの理事長にしてやられたのか。と内心思っていると、予鈴十分前のチャイムが部屋の中に響く。
しまった、お昼ご飯食べ損ねたぁ!! せっかくハロルド様とお昼を取るようになってから内容がグレードアップしてたのに……!
机に突っ伏して悔しがる僕を見て思うところがあったのだろう、薬学の先生は同情したような表情で、スイーツだけじゃなく美味しいものも奢ってやる。と約束してくれた。絶対ですよ。
次の授業もあるので薬学準備室から出ようとドアの取っ手に手を掛けたところで、一瞬だけ動きを止めて薬学の先生を振り返った。タバコを吸いながらこちらを不思議そうに見ている先生に、一言だけ告げた。
「僕は東の最果てで生まれ育ちました」
思い出したくもない過去。故郷とも呼びたくない忌まわしき生家。先祖の過去の栄光にしがみついて、自分達の子供になんの意味もない使命を負わせようとした醜い身内。二度とあの家に帰る事は無いけれど、これぐらいなら教えても良いと思った。まあ、念は押させてもらうけど。
「内緒ですよ?」
「……ああ」
口にした言葉に力を込めて言い放つと、薬学の先生のほうけた声が聞こえた。上級悪魔にも通用するなら、今度リックにも試してみるか。そう考えながら茫然自失状態の先生を置いて廊下に出た。早く教室に行かなきゃと早足になりながら角を曲がろうとした途端、見知った気配が近づいてくるのが分かった。驚いてその場で立ち止まると、すぐにその気配の持ち主が角の向こう側から姿を現した。
瑠璃色の髪に黄金の瞳。転生しても忘れられずに記憶の奥底に焼き付いているその姿。あの方であれば無性に泣きたくなるようなこの想いも、それが未熟な竜だとわかってしまえばどんどん胸の奥が冷えて行く。
向こうも僕に気付いたのか、気まずそうな表情を隠しもしない。無表情が多いあの方と違って感情表現は豊かなんだよなぁ……となんとはなしに、あの方の遺伝子をがっつり受け継いでますと言わんばかりの顔をじろじろ見ていると、目の前の竜は緊張した顔で一歩僕に近づいた。
「あ、アディ……その……」
僕を見れば癇癪を起こすか下に見るかのように傲慢に振る舞っていた竜族の王子が、今日はやけにしおらしい。よく見ればお付きの竜達は居らず、ついに側近たちから見放されたのだろうか。まあ学園内とはいえ公衆の面前で敗北の姿を見せてしまったら見限られるのも頷けるけど、一応この竜王太子なのに放ったらかしてて大丈夫なの? 知ったこっちゃないけど。
未だに緊張したままの竜族の王子を真正面から観察しつつ、そういえば癇癪を起こしていない王子を見るのは初めてだということに気付く。といってもまだ出会って三回目なんだけど。あんだけ傲慢だった竜の変わりように、よっぽどベルティナに近づくなと言ったのが堪えたのか。もしかして、許しを請いに来たとか? いやあ、エベレスト級の高いプライドを持つ竜族の王子に限ってそれは無いか。
と、考え込んでいる間も竜族の王子は話を切り出さない。僕の反応を窺ってるみたいだけど、これじゃ本格的に授業に間に合わないと判断し、此方から口を開いた。
「竜族の王子が、一体何の用ですか?」
少し冷たい言い方になったが、僕と彼の関係を考えればこの程度の距離が正解だろう。そう思って竜族の王子に目を向ければ、覚悟が決まったのか何かを言おうと口を開いた。しかしその言葉が音になって僕の耳に届く前に、本鈴のチャイムがその場に鳴り響き竜族の王子の声をかき消してしまう。ちらっと横目で竜族の王子の様子を確認すれば、いつ出したのか竜翼をはためかせて飛んで行ってしまった。唖然としながら遠ざかって行く後ろ姿を見送っていると、次の授業担当の先生が通りかかり、遅刻をチャラにする代わりに実験道具の荷物を持たせられる羽目になった。
(……結局、竜族の王子は僕に何を伝えたかったんだろう)




