それは最早ストーカーです
皇后様とのお茶会を終え、ゼス様の仕事を手伝い自分の部屋に戻って来ると。それは居た。他人の部屋だというのに自分の部屋の様にソファーで寛いでいる一人の悪魔に近付いて声を掛ける。
「何してるの」
「やあ、こんばんはお嬢さん。今宵も月が綺麗だね」
「何しれっと不法侵入してんの。しかも今夜は新月で月なんか見えないし」
「随分冷たいな〜。ハロルドとイチャイチャして皇后様とは楽しくお茶飲んでたのに」
一体どこで見ていたのかこの腹黒悪魔は。優雅に座りながら紅茶を嗜むリックに二の句が継げなくなっていると彼はもう一つティーカップを用意し紅茶を注ぐ。美味しいから飲んで。と渡された紅茶を躊躇なく飲めばリックはへぇ。と目を開く。
「本当に躊躇なく飲んだり食べたりするんだね。相手がヴァンパイアだろうが悪魔だろうが」
「勘違いされがちだけど、毒が入った物を口にするのは僕だって嫌だよ」
誰が好き好んで毒入りの物を食べたいと思うだろうか。僕は絶対にごめんだ。色で判断しているだけである。
けれどリックは納得がいかないのか、天色の瞳を細めて此方へ視線をやった。その眼差しからそっと顔を逸らし窓の向こうを見る。一面真っ暗で何も見えないけど。
「何でここに居るの」
「家に行ったらアディが居なかったから。まさか宮廷内に住んでるとは思わなかったよ。まああの皇子様ならやりそうだけどね〜」
のんびりと答えるリックは次の瞬間恐ろしい事を口にした。
「まあ昨日の夜から居たんだけどね」
さらりと言ったリックに咄嗟に距離を置く。けれどリック自身はどうしたの? なんて不思議そうに首を傾げている。どうしたもこうしたもない。昨日の夜から? どんな冗談だ。僕の気付かぬうちに部屋に入り浸るって、ちょっとしたホラーだ。時間が時間なだけに。
しかも昨日って、大臣を捕縛する任務に向かった頃だ。その後部屋に戻ったけど、誰の気配もしなかった。いやでも夜中だというのに結構な数の人達が廊下を駆け回っていたし、僕も久々の任務で疲れていたから本当に気づかなかったのかも。
「あ、一応言っておくけど昨日は様子を見に来ただけですぐ帰ったよ。アディは大臣を捕まえるのに必死そうだったから」
何でもないように言うリックにもうどこから突っ込めば良いのか解らない。彼はなぜ僕の行動の全てを把握しているのか。それが一番の謎だ。おまけに昨夜の出来事は思いっきり知られてるみたいだし。
「昨日の昼も散々だったらしいね、あの竜の王子様の所為かな」
「……もしかして監視してるの?」
あまりの把握っぷりに若干引きながらも尋ねると、リックは首を横に振った。
「監視? 違うよ〜、アディが心配で追跡魔法を掛けただけ。位置を特定しつつ誰と何をしているか判るから、魔界では結構重宝されてるんだ」
なんという悪魔だろうか。やってる事はほぼストーカーだ。しかも本人はいたって無自覚。尚更タチが悪い。こういう時どうすればいいんだと思考を巡らせていると、リックが近くまで来ていた。
気配にビクつきながら距離を取ろうとすれば問答無用と言わんばかりに腕を掴まれた。ぐっとお互いの距離が近付いて、反射的に顔を逸らす。
それに不満を感じたのか、顎に指を這わせると強引に顔を上げさせられる。澄んだ青空のような天色の瞳とかちりと視線が合わさって、どうしようもないほど心が騒ついた。一方でリックは愉しそうに僕を眺めていて、心を掻き乱されているのは自分だけなんだと悔しく思う。
魔王の部屋でキスをされた時から、リックの事が頭から離れなかった。何かに集中していないと、他の事を考えていないとあの時の事ばかり思い出してしまって。
これじゃあリックの思う壺なんじゃないかと思い、あまり気にしない様にした。悪魔特有の気まぐれか何かだと思い直した。
けれどリックを見ると鮮明に思い出してしまうので直視しない様にする。例え目の前に居る彼がお気に召さない行動だとしても。
今までに無いほど鼓動が早鐘を打っていても、表面上は平然として見える態度を取り繕う。しかしそれも長くは続かなかった。
唇に柔らかい触感を感じて茫然とする。
まただ。また、突然の。キスをされたという感覚が追いつく前に舌が割って入り絡めとる。逃げたくても腰に腕を回されがっちりホールドされている。その間にも深くて激しいキスは続き頭がぼうっとしてきた。
長い長い、長すぎる程のキスにどうすれば良いのかすら解らなくて、不本意だがずっと身体を預けている状態だ。いい加減この体勢から抜け出したい。
そう思ったのが伝わったのかリックは一瞬視線を走らせ、近くにあったソファーに僕を押し倒した。口が離れたので空気を吸おうとしたら息ごと唇を喰われる。吸いつかれ貪られ、精神的に限界だった。生理的な涙が目尻から溢れると、すかさずリックがそれを舐めとる。
ヂュッと吸われとうとう羞恥が限界まで来たからなのか、気付けば右足でリックの腹を蹴り倒していた。突然の抵抗に防御が間に合わなかったリックは見事に蹴りを喰らい、背中からソファーの下に転げ落ちて行く。むくりと起き上がれば、リックが痛そうに頭を押さえているのが見えた。心配になって咄嗟に手を伸ばそうとすると、ぶわりと部屋中に殺気が広がった。
あまりの濃い殺気に眉を顰めながらリックの首元にナイフの刃を突きつけているアサシンに声を掛ける。
「エリオットさん」
名を呼ばれたエリオットさんはナイフを下ろす事はせず、視線だけを此方に向けた。その目はどこか責めている様な気がして思わず苦笑いを零す。対してリックは首元にナイフを向けられているというのに、口元に笑みを象り自分を殺さんと殺気を放つアサシンに気安い感じで話しかけた。
「そんなに警戒しなくてもさ〜、俺は何もする気無いよ?」
「不審者は拘束、ゼス様の方針」
ギロリと睨むエリオットさん。その目は完全に敵意剥き出しだ。
そんなエリオットさんを一瞥したリックは瞬きする間も無くその場から消え、少し離れた場所に現れた。
詠唱なしで転移魔法を発動したリックに驚きを隠せないのか、エリオットさんは目を見開いた。しかし次には開いていた距離を一気に縮めナイフを振り下ろす。それを躱しながらナイフを持つ腕を掴み、足を引っかけたリックは倒れ込んだエリオットさんを愉しそうに見下ろした。
「身のこなしは申し分ないし気配なく標的に近付けたのは流石アサシンといったところかな。でも足を引っかけられて転んでる様じゃまだまだだね。俺くらいの相手なら、もっと上手くやらなきゃ」
意外にも丁寧にアドバイスをしているリック。あの愉しげな笑みを浮かべているし、案外エリオットさんの事を気に入ったのかもしれない。そう考えると胸の奥がモヤモヤして、前にもこんな気持ちを抱いたな。と思い出す。けれどこれがどういう感情なのか分からず内心首を傾げていれば、リックがのほほんとした声で言った。
「そもそも俺不審者じゃないし」
「……? どう見ても、不審者」
自分を不審者じゃないと言い張るリックにエリオットさんはそれはそれは冷たい視線を向けた。まあ気持ちは分かる。同僚の部屋に知らない人物が居て、あまつさえその同僚を襲っていたら僕だって不審者とみなして攻撃の一つや二つしただろう。おまけに此処は宮殿内。見回りの騎士たちの目を盗み部屋に忍び込んだ人物など……怪しさマックスだ。
うんうん。と僕がエリオットさんに同意の頷きをすればリックは苦虫を噛み潰したような表情になる。エリオットさんの腕を放すと真っ直ぐ此方へ歩み寄った。
「酷いな〜、俺はただアディに会いに来ただけなのに、不審者扱い? あんなに熱いキスを交わしたのに?」
揶揄うように、唄うようにそう言うリック。同僚の前で先程の行為を暴露されて、恥ずかしさが怒りを上回った。羞恥のあまり返す言葉を失ったがそれでもなんとか睨みつけたは良いが、真っ赤になって可愛いね。とリックに指摘され余計墓穴を掘ってしまう。
「……恋人?」
僕らのやり取りを見ていてそう勘違いしたんだろう。エリオットさんが首を傾げながらそう訊いて来た。誤解を解くために慌てて首を振り、違う。と叫んだ。必死の訴えが伝わったのかエリオットさんは再度リックに冷たい視線をやった。
「じゃあ、やっぱり不審者」
「やだな〜、照れてるだけだよ。アディは素直じゃないから」
リックは僕の肩に腕を回し抱き寄せるとエリオットさんに微笑んだ。何をいい加減な事を。と口を開きかけたが意外にもエリオットさんが肯定した。
「君はもっと素直になっていい」
「……僕ってそんなに素直じゃないですか」
問い掛けると二人同時に頷く有り様。内心複雑な思いで居ると、不意にリックの唇が髪に触れた。ビクッと肩を揺らした僕を見て愉しそうに笑い片手を振る。
「俺そろそろ帰るね〜。また来るから」
もう来なくていいっ! と叫ぼうとしたがそれより早くリックはどこかへと転移してしまった。最初から最後まで振り回されっぱなしだったのが気に入らなくて、さっきまでリックが居た場所を睨みつけているとエリオットさんが首を傾げて言う。
「やっぱり恋人……?」
「断じて違います!」
またもリックを恋人だと勘違いするエリオットさんの誤解を解いていくうちに、長い夜は更けていった。




