表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/44

怪我と薬とツンデレと

 木漏れ日が差すサロンにて、楽しげな声が響く。テーブルを挟んだ向かい側に座る女性はとても楽しそうで、表情が生き生きとしている。

 輝かんばりの笑顔を見せてくれるその人に少しむず痒さを覚えたけど、身分を考えると馴れ馴れしい態度は取れない。取ろうとも思わないけど。


 右隣では退屈そうにハロルド様が座っていて、クッキーを一つ掴み口に放り込む。隣から返事を求められても生返事をするばかり。これが俗にいう反抗期というものなのか。


 と、興味深げにハロルド様を見ていれば。僕の視線に気付いた彼は何を思ったのか、自身の手の上にあるクッキーを見て、欲しいのかと訊いてきた。ハロルド様には物欲しそうに見えていたのかと思いつつ首を横に振ると、彼は躊躇なく手の上にあるクッキーも口に放り込んだ。


 その様子を見た向かい側の女性は、行儀が悪いと言いたげに綺麗な眉に皺を作った。


「ハロルド、お下品ですよ。もっと優雅に食べなさい」


 女性に叱責されても、ハロルド様は意に介さない。興味なさげに視線をやった彼は抑揚のない声で返事をした。


「はいはい」


「返事は一回! もう、何度同じ事を言わせる気ですか」


 呆れ果てた女性は若干怒りながらも諦めの境地に至っているのか、それ以上叱責する事はなかった。代わりに僕の方へ視線を移し、苦笑いで問いかける。


「お見苦しいところを見せましたわね。ハロルドは常にこんな感じですが、彼とは仲良くやれていますでしょうか?」


 女性が不意にした質問に、ハロルド様が敏感に反応する。僕が何か言う前にテーブルから身を乗り出し、女性の質問に答えていた。


「仲良くしているに決まっているでしょう。なぜそんな事を訊くのです? 母上」


 ハロルド様に母上と呼ばれた女性──皇后様はその美しいご尊顔に弧を描き、真っ直ぐに息子を見つめた。

 強い意志が宿るその瞳と目を合わせた瞬間、ハロルド様が僅かに肩を揺らしたのが見えた。


「あら、それはあなたがこのか弱き子を虐めていないか心配だからですよ? まあ、ハロルドが割って入った時点で答えは解った様なものだけれど」


 皇后様が話すにつれハロルド様から血の気が引いて行く様を目の当たりにした僕は、この皇子でも怖いものはあるんだなぁ。と悟った。


 そして皇后様に視線を逸らす。


 本来なら、僕みたいな人間は一生お目にかかる事は無いだろう貴い身分の方。この国を統治する皇帝を影から支える皇后様に会える人物は限定されている。なのになぜ僕が皇后様と一緒の空間でお茶を飲んでいるのかというと。それは今朝の時間までに遡る。




 馬車から窓の景色を眺めていると、向かい側に座るハロルド様が頬杖を付きながら僕に声を掛けた。その表情は険しい。


「深夜にあった大捕物、知ってるか」


「……ああ、夜遅いのに外が騒がしかったのって、その大捕物の所為だったんですか」


 国を支える大臣の一人が捕縛されたとの事で、深夜にもかかわらず宮廷内は一時騒然としたものだ。もちろんその件は深く関わっているーーどころか、当事者であるのだから知らないはずないんだけど。それをハロルド様に知られるわけにはいかない。

 機密を漏らすなとわざわざ騎士団長を通してゼス様に釘を刺した程だ。それが破られたなど知られたら……考えたくもない。だから僕はしらを切る。


 全く知らなかったという風に答えたが、ハロルド様は疑っているみたいで探る様な目付きになった。翡翠の瞳から目を逸らす事なく相手をじっと見る。


「何か?」


「まさかとは思うが、この件に関わってねーよな?」


 ハロルド様の鋭い問いにも笑顔で往なす。


「どうして関わっていると? 雇用主の意思に反する様な真似はしませんよ。信用されなくなっちゃうので」


 そう笑顔で語ったのが効果を成したのか、ハロルド様はそうか。と言ったきり追及して来ない。上手く欺けたらしい。

 それにしても、野生の勘というのか。ハロルド様は察しが良すぎる。どれだけ取り繕っても心の裏側すら見透かされてしまいそうで、警戒しなくてもいいのに勝手に身構えてしまう。


 絶対にハロルド様には昨晩の行動は気取られない様にしようと固く誓った。


 暫くそのまま車窓に目を向けていたハロルド様は、何かを思い出した様に此方に顔を向ける。再び翡翠の瞳と目が合って、知らずのうちに生唾を呑んだ。


「アディ、お前放課後暇だよな?」


 確認する様に問われたその言葉に迷いなく頷く。以前であれば何かしらのバイトをしていたので暇じゃないと言っただろうが、ゼス様の下で働き始めた今ではそこそこ自由な時間があった。


「学校終わったら会わせたい人が居る」


 手短にそう伝えられ、少し気になりながらも了承する。

 誰に会うのかと訊きたかったけど、ハロルド様が幾分ゲンナリとした顔付きになっていたから訊くのは憚られた。


 学園に着くと互いの教室に向かうためハロルド様と別れた。しかし放課後の予定が気になりその後の授業に集中出来ない。


 ハロルド様が直接紹介するってことは、相手は貴族とか? そんな風に相手を想像していて、手元を良く見ていなかったからなのか。実験中だというのに他の事に気を取られて目の前のものを疎かにしていた。その事に気付いた時には手の甲に薬品が掛かっていて。

 ジュワッと肉が焼ける良い音がした瞬間、鋭い痛みが走る。慌てて試験管を置き、先生の方へ目を向ける。先生は此方に背を向けて他の生徒に話しかけていた。服の裾を引っ張り手を隠すと何事も無かった様に実験を続ける。


 すると、横からずいっと何かが目に飛び込んでくる。実験の手を止めて横に視線をずらせば、猫獣人と思われる女の子が僕を睨んでいる。

 唖然としていると彼女が持っている薬品を手に押しつけられた。


「あんた、バカなの? その薬品ちょー危険なんだから放置するんじゃないわよ」


 小声で怒られ首を竦める。どうやら猫獣人の彼女に一部始終を見られていたらしい。でも、何で助ける様な真似を……?


 彼女の真意が分からず薬品を持て余していると、猫耳がピクピクと動き尻尾が苛立った様に揺れる。


「い、一応言っとくけど、ただの傷薬だから」


 頬を若干染めながらそう言う猫獣人の彼女は嘘を吐いてない。

 使わないのも失礼だと思って素早く薬を手の甲に塗り込むと少し痛みが引いた。

 本当にただの傷薬だったみたい。


「ちゃんと保健室行きなさいよ」


 実験が終わって教室へ戻る途中、猫獣人の彼女にすれ違い様に言われた言葉。先を歩く彼女をよく観察すれば耳のふちが真っ赤に染まっている事に気付いて、目を細める。


 思わず足を止めた僕の肩に黒い手袋をした手が置かれた。ハッとして後ろを振り返ると先程まで授業を教えていた魔術薬学の先生が立っている。ざっと音がしそうなほど血の気が引いた僕を見下ろした先生はにこりと笑って。


「よくもこの私の授業で怪我をしてくれましたね」


 ガシッと首根っこを掴まれ、抵抗虚しく保健室に連れて行かれた。


 保健医の先生は大きな目を更に大きくさせて此方を凝視している。そりゃ教師が生徒の首根っこを掴んで宙ぶらりんにしていたらそんな反応にもなるだろう。


「魔術薬学の実験をしている際に怪我をしたようで。診てもらえますか?」


 魔術薬学担当のルドエル先生の言葉によって、保健医のリーフェ先生が納得した顔つきになる。


「あっ、そういう事でしたか! じゃあアディさん、この椅子に座ってください」


 ニコニコと心癒される笑顔を向けられ、これからこの笑顔が悲しみに歪むのだと思うと申し訳ない気持ちになった。隠していた手の甲を見せると案の定、リーフェ先生から笑顔が消えた。


「薬を塗ったみたいですが、被った薬品自体が危険物なので気やすめ程度でしょうね」


 痛々しく真っ赤に腫れ上がり皮膚が爛れている手を見ながらルドエル先生は淡々とした声で言う。その声に含まれる微かな怒りを感じ取って、首を竦めるしかない。

 ルドエル先生は自分の授業で生徒が怪我をするのを一番嫌っている。理由は、学内で教師としての評価が下がるから。


 最初に先生を見た時は神経質そうな人だなと思った。実際そうだった。彼は周りの評価が高ければ高いほど満足するみたいで、今回の様に生徒が怪我をすれば自分への評価が下がると考えている。


 見ていてその事はなんとなく察していたから咄嗟に怪我を隠した。けれど世話焼きな性格なのか、怪我をした生徒を責める様な事はせずこうして保健室に運んで保健医に診させる。良い先生、だと思う。魔学担当のロイド先生と比べれば遥かに。


 リーフェ先生の治癒魔法で治してもらい、保健室を出て行こうとした僕にリーフェ先生が声を掛けた。

 振り返ると何故か先生は思い詰めたような顔をしている。


「アディさん……大丈夫ですか? 竜族の王子と揉めたと聞いたんですが……」


 そう言い募る彼女の表情は真剣で、本気で心配している事が伝わってくる。だから僕は明るい笑顔を見せて頷いた。


「大丈夫ですよ。もう解決しましたから」


 リーフェ先生は安堵の表情を浮かべたのにルドエル先生は疑うような眼差しを向けてくる。それに目を逸らしながら今度こそ保健室を後にした。


 ……あーあ、次の授業サボりたいなぁ。なんとなくそう思って、浅くため息を吐いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ