宰相ゼス
「……ディ、ア……アディ……おい、アディってば!!」
ハロルド様の大声に、ふと我に返る。無意識に窓の外に向けていた視線を彼の方に移すと、翡翠色の瞳が怪訝そうな色を浮かべている。
「ほんとにお前大丈夫か? さっきからずっとうわの空だぞ」
「ああ……大丈夫です」
僕のぼんやりとした答えにハロルド様は呆れたようにため息を吐いた。
正直、まだショックから立ち直れていない。
魔王の私室で話していたら、乗り込んで来たリックにいきなりキスをされた。その衝撃は凄まじく、暫く茫然としていた。魔王の私室から学園の西校舎に戻って来たことにも気付かなかったほど。
リックは僕を解放すると、迎えがもうすぐ来るからと他の悪魔たちと一緒に居なくなってしまった。
キスをした理由も告げぬまま。
その場に立ち竦んでいた僕を迎えに来たのは、レイモンドだった。ずっと探していたらしい。
その後ハロルド様のところまで連れて行かれ、問答無用で豪奢な馬車に乗せられた。
これで宮殿まで行くみたい。
馬車が宮殿に着き降りると、目の前に白と金の色で造られた宮殿がそびえ立っている。久しぶりに来たけど、相変わらずでかいなぁ。と思いながら見ていれば、騎士団長が声を掛けた。
「アディ、行きますよ」
騎士団長の言葉に従って彼の後を追うが、ハロルド様が居ない。
「あの、ハロルド様は……?」
「殿下は先程、側近たちに連れて行かれました。学生とは言え皇族の公務もあるので、暫く執務室からは出られないでしょうね」
その話を聞き、ハロルド様はやっぱり皇子なんだと改めて認識させられる。忘れたわけじゃないけど、ハロルド様があまりにも親しげに接してくれるから気が緩んでしまう。
廊下を歩く度にすれ違う獣人の人達から訝しげな視線を向けられ、胃が痛くなった。
騎士団長が一緒に居る手前、誰も何も言わないけど。
何で人間が。という感情は隠しきれていない。
そんな針の筵状態のまま歩き続け、ようやく騎士団長の歩みが止まる。目の前に重厚感のある両開きのドアが鎮座していて、ゼス様の執務室だと唾を呑んだ。
ゼス様と会うのは久しぶりだから、少しだけ緊張する。騎士団長がドアをノックし、中から声が聞こえた。
ドアを開けるとソファーに座る一人の男性ーー宰相ゼスが微笑んだ。
「これはこれは、騎士団長。此処まで連れて来てくれてありがとう。殿下の下に帰って構わないよ」
開口一番で騎士団長を追い返そうとするゼス様に、頬が引きつる。
(まだ騎士団長の事嫌いなんだなぁ……)
言われた騎士団長は戸惑った顔をするけど、ゼス様は意にも介さない。優雅に紅茶に口を付け、話は終わったアピールをする。
仕方なくゼス様の前に出ると、彼は冷たい笑みの中に熱を灯らせた。
「ゼス様、お久しぶりです。今日からまたよろしくお願いします」
そう言って頭を下げるとゼス様の優しい眼差しが注がれ、柔らかい声音が言葉を紡いだ。
「久しぶりだね、アディ。頭を上げなさい、俺の前ではそう畏まらなくて良いんだよ。さあ、隣においで」
宮廷内で冷酷非常と呼ばれている悪魔の様な宰相が見せた蕩けた笑みに、騎士団長は口を開けたまま石化している。
無理もない。普段のゼス様とはギャップがあり過ぎるから。まあゼス様のこの態度も僕と気に入った者の前くらいだけど。
「そ、その前にゼス様。騎士団長様の話を聞いてもらえませんか?」
僕のお願いにゼス様は一瞬怪訝そうな顔をしたけれど、早く追い出したいのか、手短に。と騎士団長を促した。
それにより騎士団長は石化が解け、咳払いしながら話し出す。
「最初にお伝えした通り、貴方の役目はあくまで監視の延長なので、彼女に重要書類などは見せないこと、殿下の許可なしに連れ回さないこと、毎日アディの様子を報告すること。これらを守って下さい。それと魔術師団にはあまり近寄らせない方が宜しいかと」
騎士団長の話を遮ることなく黙って聞いていたゼス様は、納得した様に頷いた。
「分かったよ。帰ってよし」
ゼス様のとことん上からな言い方に焦りを覚えるが、騎士団長は特に気にした様子はなく部屋を出て行った。
そんな騎士団長の行動にゼス様の愚痴は止まらない。
「相変わらずいけ好かないヤツだ、見ているだけで腹が立つ。大体アイツはいつも……」
ぶつぶつと文句を言い始めたゼス様にため息を吐いてしまうが、騎士団長に会った後のゼス様はいつもこんな感じだ。
ゼス様と騎士団長は以前少しイザコザが有り、それ以来ゼス様は彼を毛嫌いしているらしい。イザコザと言ってももうかなり昔のことでーーしかも騎士団長の様子を見る限り忘れてるっぽいしーーゼス様も気にしなきゃ良いのに。と思ってしまう。
ゼス様の隣に腰を下ろして、彼のティーカップに紅茶を注ぐとようやくゼス様は落ち着いた。
「ありがとう、アディ。良く俺の下に戻って来たね」
そう言ってふわりと笑うゼス様は本当に嬉しそうで、心の中で安堵する。ゼス様に限って有り得ないだろうが、もし迷惑がられていたらどうしようかと考えていた。
自分が拾った養い子の世話をし、学校にまで通わせたというのにその先で竜族と揉め事を起こした。
養育者からすればせっかく金を払ってまで入れたのだから面子丸潰れだろうし、縁を切られてもおかしくない。
なのにゼス様は監視する立場を買って出て、庇ってくれた。
「……ゼス様には助けて頂いてばかりですね」
僕がこの方にしてあげられる事なんて殆どない。魔剣や魔法が使えても、人間である限り力なんてなんの役にも立たないと知っている。
あの家から何も考えず飛び出した先でゼス様に拾われていなかったら、今ごろどうしていただろう。
「アディ、また余計な事考えてるの? 言ったでしょ、俺の意志で決めた事なんだから気にするなと」
確かに、そう言われた。
「それに俺がアディを助けたいと思ったんだ。それで充分のはずだよ」
そう言ってゼス様は紅茶を飲み干し、机の上に置いてあった書類を僕に渡した。それに目を通してうっ。と息が詰まる。
「ゼス様、これって……」
「早速で悪いけど、仕事を一つ熟してもらうよ。アディならそれくらい簡単だろう?」
極上の笑みを浮かべる冷徹悪魔の宰相サマからは、断りたくても断れない様な圧を感じる。けれど僕だって引き下がれない。
なぜならこの書類は……
「思いっきり機密事項が書かれてるじゃないですか! 良いんですか、騎士団長が見せるなって言ってましたよね?」
「そんなの機密の内に入らないさ。それにアディが仕事をしたとバレなければ問題ないよ」
下手したらこの国の根幹に関わるかもしれないのに、ゼス様は至ってどこ吹く風だ。その姿を見るに、本当に機密という程の書類では無いのかもしれない。が、学園だけでなく城でも問題を起こせば責任を取らされるのは間違いなく僕だ。
その場合、どうなるんだろう。まず間違いなく命は無いと考えた方がいい。
人間の扱いなんてどの国も大して変わらない。迫害とまでは行かなくとも、人間が生きる上での環境を考えたらどこもマシな所なんてなかった。
常に他種族に怯えて暮らす日々。先祖が愚かな事をしなければ、と考えている人間は多いだろう。或いはなぜ自分達がこんな扱いを受けねばならないと不満を抱いているかもしれない。
人間が生きるには他種族である獣人たちに逆らってはいけない。逆鱗にさえ触れなければ、彼らは関わろうとさえしないのだから。
そう、逆鱗にさえ触れなければ……
「これ、どう考えても宰相の仕事じゃないですよね。殺し屋と間違えてませんか」
その書類には、内密に大臣の一人を捕縛しろと書かれていた。因みに、生死は問わないという。つまり……
「僕に殺せって事ですか。相変わらずブラックですね」
たまに、本当にたまにだが、およそ宰相の仕事とは思えない様な仕事が回ってくる時がある。そしてそれを難なく片付けるゼス様は、いっそアサシンに転職したら良いと本気で思う。
「まさか。アディの手を汚す様な真似はしないよ。その大臣、ちょっと厄介でね。俺のお抱えの暗殺者が苦戦している様だから、無力化してほしいだけだよ」
平然と専属のアサシンが居ることを宰相部屋で話すゼス様は、やはり豪胆だ。
生憎断わるという選択肢は僕には無いので、ゼス様の命令に従うしかない。ぶっちゃけ面倒くさい。それに……
自分の行いで誰かが死ぬというのは、やり切れない。でもゼス様と約束したのだから仕方ないんだ。
『俺と一緒に行くって事は、俺の汚れた仕事も一緒にやるって事だよ。覚悟は出来てる?』
あの時ゼス様はそう訊いた。そしてその問いに答えたのは紛れもない自分だ。
全部、自分で決めた。
そもそも汚職をしたりして、この国に不利益な奴だと思われた大臣を排除するだけの簡単な話。ただそれだけだ。
「分かりました。行ってきます」
僕の応えに、ゼス様はゆるりと笑みを浮かべるだけだった。




