奪うも奪われるも
青白い光に包まれて消えてしまったアディ。いきなり現れてアディを連れ去った魔王様は、一体どういうつもりなのか。手のひらから炎を出し続ける俺に、メフィストが苦い顔をする。
「随分執着してるんだな、あの人間君に」
「え〜? だって面白いからさ。そういう人間は関わりたくなるでしょ?」
アディは俺の好奇心を満たしてくれる。一緒に居て飽きないから、傍にいるのに。
自分の獲物を横から攫われた、もしくはお気に入りのオモチャを取り上げられた気分になり、俺の機嫌は降下する一方。
そんな俺を、アザゼルは不安そうな目で見る。
「なに、アザゼル?」
男に熱い視線を送られても嬉しくないよ? そう嘯くと、アザゼルは俺の胸倉を掴み上げた。薄茶の瞳が怒りで揺らぎ、アザゼルの本気度が伝わってくる。それが分かった俺は嘘笑いをやめ、アザゼルに冷たい視線を投げかける。
「お前、まさか魔王様に背を向けるわけじゃねーよなぁ……?」
魔王への背信行為は最大の裏切りであり、最高の下克上と言われている。けれどこの数百年、魔王の代替わりは行われていない。
皆、魔王様に心から忠誠を誓っているから。
俺だって魔王様が居なくなると困るから、喉元にナイフを突き付けるような真似はしない。でももし、アズが俺の信頼を裏切るような事をすれば……
「そこは魔王様次第かな〜。俺は魔王になるつもりはないけど、俺の大事にしている物を奪うってなら話は別だよ」
現に今みたいに、俺のお気に入りの人間を攫ったりする事とかね。
アザゼルは苦虫を噛み潰したような表情で俺を見て、何も言わずに手を離した。
黙って見守っていたメフィストはやれやれ。とため息を吐きながら俺を一瞥する。
「で? お前さんは本当はどうする気なんだ? 魔王様のところへ乗り込むのか?」
「当ったり〜。お気に入り、返してもらわなきゃ」
満面の笑顔で宣う俺に呆れた二人は互いの顔を見合わせ、同時にため息を吐いた。
「リックは相当入れ込んでやがるな」
「まあ興味深い人間だし、手放すには惜しい逸材だな」
好き勝手言う二人を無視して魔法陣を展開していると、背後からアザゼルの声が掛かる。
「……信じて良いんだよな、リック」
俺は振り返ってアザゼルの薄茶の瞳に笑いかける。一瞬アザゼルの表情が強張ったけど、俺は気にせずに話し出す。
「もちろん。俺は魔王様の側近だよ? 間違っても裏切る事はしないよ」
まあそれも、アズの出方次第だけどね〜。
心で呟いた一言を言わずに転移魔法を発動させた。
魔王様の私室の前に移動した俺は、厳重な結界が張られている扉を容赦なく蹴り上げた。かなり強い力で蹴ったのに、扉はビクともしない。チッと舌打ちを打って今度は魔剣を抜くと、内側から扉が開いた。顔を出したのはアディで、無事な姿を確認した俺は躊躇いなく彼女を抱きしめた。
「……っ」
驚いて嫌がるアディを抱き竦めながら、藤紫の瞳を覗き込む。視線が合うことは無かったけど、アディの姿を見て安堵した自分に内心驚いた。
そりゃ、お気に入りの子が無事ならそれに越したことはない。でもそれだけじゃないような……
もう一度アディの顔全体を眺めると唇に目が向いた。
血色のいい唇を見た途端、不意に──そう、本当に不意に。
口付けてみたいな、と思ってしまった。柔らかそうなそれに、俺のを重ねて……
数千年生きてきた中で、人間の子供にそんな感情を抱いたのは初めてだった。俺をその気にさせたアディを見つめて、ようやく目が合った。
そして、はっきりと自覚した。否、自覚させられた。
その衝撃は凄くて、気付いたら俺はアディにキスをしていた。想像していたより柔い唇を甘く噛み、舌でアディの唇を突つく。抵抗されないように壁に押しつけて両腕に拘束魔法を掛けて、アディの下半身に己の膝を割り込ませる。
アディは驚きすぎて茫然としていて、反応が薄い。
甘い声とか出してくれないかな〜? そう考えて唇を吸うとアディから声が漏れる。
もっと、もっと。この子を啼かせたい。
ーー俺の物にしたい。
アディの唇を何度も貪っていると強い力で首根っこを掴まれ、強制的にアディと離れてしまう。無理矢理引き離した魔王様を睨み付けると、彼は俺以上の怒気を孕んだ目で睨んでくる。
そんな親友の姿に息を呑んでいると魔王様の不機嫌とも取れる声が冷ややかに降ってきた。
「貴様は私の部屋で不埒な事をするつもりか?」
「何だそんな事? 分かった、場所を変えてやり直すよ」
親友の言い分も尤もだと思って承諾したのに、そういう事ではない。と魔王様が声を荒げる。
「リック、貴様は人間を嫌っていると思っていたが、どうやら私は認識を変えなければならない様だな」
「え〜? 俺がいつ人間を嫌いだなんて言ったのさ?」
蔑みの対象なのは確かだけど、別に嫌いってわけじゃない。ただ竜族を敵に回すほど愚かな生物なのだと思っているだけ。
それに、面白ければ気に入るし、自分の物にしたいとも思う。
基本悪魔は己の感情が第一だから、側からは気分が変わりやすい様に見えるんだろうけど。そこはお互い様だ。
魔王様は憮然とした顔で俺を一瞥し、呆れたのか眉根を寄せた。
「ねぇ魔王様、話が終わったんならアディを連れて帰っていい? 早くしないとハロルドが付けた魔道具が反応しちゃうよ?」
「ん? なぜそんな厄介な物を付けているのだ?」
魔王様がアディに話しかけても、アディはうわの空で聞こえていない。
キスの衝撃がまだ残っているのかとアディの口に吸い付くと、彼女の肩がビクッと跳ねる。
意識がこちらに戻り顔を真っ赤にするアディを見て、俺は彼女に顔を近づけた。
「そんな顔しないで。ーーもっと虐めたくなる」
「……!?」
動揺しまくりのアディを見るのは初めてで、愉しくて仕方がない。いつもは警戒の強いアディがまるで赤子であるかの様に無防備なところを見せられて、それこそもっと虐めたくなった。
けど、背後からの殺気が伝わりすぎて、今度こそ場所を変えようとしたら……
「ちょっと魔王様! これどういうこと!?」
怒鳴り声を上げながら身体中に炎を纏わせて部屋に入ってきたのは、魔界きっての炎使いの悪魔・レヴィアタン。
彼女は皮膚から炎を噴き出しているのに、口からも炎を吐いた。
「どうして西軍の陣頭指揮が、このわたくしではなく、あんな怠け者のベルフェゴールなのよ!? あいつに指揮を任せたりしたら、隊が壊滅するじゃない!」
レヴィが口から炎を吐きながら猛抗議する様を見た魔王様は、一瞬目を細めた。
「やる気があるのは良い事だが、貴様は今回ベルフェゴールのサポートだ。私の命令が聞けぬと?」
氷の様な視線で射抜かれたレヴィは少し怯み視線を落とす。そこでようやく魔王様以外の人が居ることに気付いたのか、深紅の瞳に驚きの色を滲ませる。
「リックに……誰よ、人間……?」
レヴィは俺を見た途端頬をバラ色に染めたけど、腕の中に居るアディを見つけた瞬間怪訝な表情になった。
彼女の身体に纏っている炎の一つがゆらりと揺らめくのが見えて、俺は笑顔で話しかける。
「やあ、レヴィ。だいぶ怒ってるみたいだけど、そんなに陣頭指揮をやりたいの?」
「ええ、もちろんよ。それにわたくしはとても優秀な悪魔なのに、あんな寝てばかりの穀潰しがリーダーだなんて……!」
メラメラと怒りに燃えるその様は、嫉妬の名を冠する悪魔にふさわしい姿だ。でも、本質を見誤れるとこっちが困っちゃうんだよね〜。
魔王様の面倒そうな視線にはいはい。と心の中で返事をしながらレヴィを見据える。
強い視線を感じたレヴィは顔を上げ、硬直した。それに内心ほくそ笑む。
勘のいい奴は嫌いじゃない。こっちの本気を察してくれるから。
鈍い奴はとことん鈍いからね〜。と以前ギルドで会った獣人達を思い出す。
顔に笑顔を貼り付け、けれど本当に笑っているかの様に装いながら、目を開く。
「レヴィ、君の実力は魔族の中でもトップクラスに入るほどだ。魔眼の質も良いしね。魔王様もそれを知っているから、敢えて今回は補佐役に回したんだよ」
レヴィが不安そうに魔王様へ眼差しを向ける。炎の勢いが弱まり、彼女が恐れを抱いている事を視認した。
彼女は他者に強烈な嫉妬をする。でもそれはいつか見捨てられると怖がっているから。
レヴィほどの魔力が強く頭が切れる子を、魔王様が手放すわけないのに。
「しっかり仕事、熟してきなよ? 君は一番信頼が厚い悪魔なんだからさ」
深紅の瞳が輝きだし、本当に扱いやすい子だな〜。と思ってしまう。まあこちらの軍に被害を出さずに敵を殲滅出来るのはレヴィたち上位悪魔くらいだし、ここは目を瞑るか。
「魔王様、悪かったわ。行ってくるわね!」
「頑張ってね〜」
意気揚々と部屋から出て行くレヴィの背中に声援を送る。彼女の姿が見えなくなったところでアズを見遣ると、彼は感心しきっていた。
「よくあそこまで上手く丸め込めるものだな」
「ほんとうはアズが言わなきゃ効果無いんだよ? 俺の魅了は同性には効きにくいんだから」
親友は魔王だというのにどうも配下を管理するのが苦手みたいで、側近の俺が代わりに纏めている。まあそれにも限度があって、今回みたいな面倒くさい事になっちゃうんだけど。
魅了を解除しながら瞳を閉じようとして、アディの遠慮のない視線に気付く。目を閉じる事なく視線を合わせるとアディは全く目を逸らそうとしない。
(今まで瞳のことなんかなんとも思わなかったけど……)
───案外、アディはこの目を気に入ってくれてるのかな。
俺の瞳に釘付けになっているアディを見て穏やかに笑うと、ハッとしたように顔ごと逸らされた。
そういう事されると余計構いたくなる。
アディの身体に腕を回し抱き上げると一瞬不安そうな顔つきになった。
どうしたんだろうと考え、魔王様に連れ去られる前に一回だけアディを冷めた目で見てしまった事を思い出す。
悪いことしたな〜。と内心思いながら優しい笑顔を貼り付ける。
「帰ろうか。巻き込んでごめんね」
アディは俺の顔を長くじっと見つめた後、何も言わずに黙って頷いた。再び逸らされたそれに気付かないフリをしながら転移魔法を発動する。
現れた空は夕焼け色で、俺は無意識に雲の流れを目で追っていた。




