最強とは
レイモンドの紅茶を満喫していると、後ろから声を掛けられた。振り向くと、あの狼獣人が立っていた。
「あ……」
彼が目の前に居ることに一瞬身体を強張らせたが、狼獣人はガバッと頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとうございました!」
初めて聞く彼の声は見た目より幼く、少年を思わせるような声だった。
僕が声も出せずにいると狼獣人の彼はゆっくりと頭を上げる。
「僕、狼なのに気が弱くて……それでさっきの子にも何も言えなくて。でも貴方が助けてくれて、とても嬉しかったです」
先程まで耳が後ろに倒れ込んでいたというのに、今は耳がピンッと立っている。案外獣人の感情って判りやすい。
「気にしないでください。寧ろ貴方の方こそ傷付いたでしょう? すみません……」
正直、彼方からこっちに接触してくるとは思わなかった。人間不信になっても可笑しく無いことをされたのだから、もう人間に関わりたくないと思っているに違いない。
そう考えていたのに、狼獣人の彼は勇気を出して僕にお礼を言いにきてくれた。
その事は単純に嬉しい。
「いえ! 僕にとって、貴方は救世主その人ですから。本当にありがとうございました」
二度お礼を言った彼は、深く深く頭を下げた後に食堂から出て行った。
「良かったね、アディ」
僕の心情を察したレイモンドがそう言ってくれる。笑顔で応えると彼も笑い返してくれた。
午後の授業があるのでハロルド様と一旦別れ、教室で授業を受けた。
じろじろと見られているのは感じていたけど、誰一人話しかけてくる獣人は居なかった。
放課後になって職員室に立ち寄ると、薬学の先生に出会した。
「お、噂の人間君。丁度良い、これ西校舎に運んどいてくれや」
かなり重いダンボールを渡される。中身は大量の薬品のようだ。けど、何でこれを旧校舎に?
「あの、これ……」
「あ、中身全部危険薬品だから落とすなよ。皮膚に触れたら溶けちまうからな。んじゃよろしく〜」
そんな危険なモン生徒に持たすな! と言いたかったが薬学の先生は瞬間移動で何処かへ行ってしまった。
ちらりと職員室を覗いてもお目当ての先生は居なかったので、渋々薬品が入ったダンボールを持って西校舎に向かう。
西校舎に着くと驚く事にリックと男が待ち構えていた。
「あ? おいガキ。何でメフィストじゃなくてお前が来るんだ?」
ガラの悪い男が眼光鋭く睨むので、思わず立ち止まってしまう。
「まあまあ、アザゼル。約束の物は持ってきてくれたみたいだし、良いじゃない」
「……ああ、そういえばこの人間はお前のお気に入りだったな」
アザゼルと呼ばれた男がつまらなそうにリックを睨む。彼はその視線を受け流すと僕から荷物を受け取った。
「でも、俺もメフィストじゃなく君が来たのは気になるな〜。どうして?」
にっこりと笑いながらも警戒の色を現すリック。
先生に此処まで運ぶよう頼まれたと話すと、二人は難色を示した。
「んだぁ、それ。普通ガキに頼むか?」
「メフィストがマイペースなのは知ってたけど、流石にこれを他人に運ばせるのはね〜……」
アザゼルと呼ばれた男は怒りを隠さず、リックも態度にこそ出さないものの尻尾を苛立たしげに振っている。
用事も終わった事だし、帰るかと踵を返したところで、いきなり薬学の先生が目の前に現れた。しかも顔だけ。
「っ?!」
悲鳴こそ上げなかったものの、びっくりし過ぎて心臓がバクバクしてる。
「ん? おお、ちゃんと渡してくれたんだな」
そう言いながら空間から手が出現し、上半身、下半身が現れた。……この先生、空間から突然現れたけど、こんな歪な登場の仕方ってある?
「メフィスト。もっとマシな通り方ないの? 突然顔だけ現れたらホラーもいいところだよ」
リックの指摘に先生は生返事をする。薬学の先生であるメフィスト先生はいつも無気力で、面倒くさがりで有名な先生だ。
メフィスト先生は僕に目を向けると何かを投げてきた。反射的に受け取ると、それは小さな赤い石だった。
「駄賃だ、取っとけ。それよか人間君、お前さん一度お祓いに行った方がいいぞ」
先生の言葉に首を傾げる。お祓い? 何のことだろう。
「それとリック、お前もあんま入れ込むなよ。面倒事が起きる前にな」
メフィスト先生に釘を刺されたリックは笑顔で無視を決め込んだ。それに先生は反応する事なく、ダンボールに入った瓶を一つ取る。
「あの、それなんですか?」
気になっていた事を訊くと、メフィスト先生はニヤリと笑う。
「人間君は何だと思う?」
瓶の中の液体をぽちゃ、と傾ける。
中身はただの薬品じゃない。色が禍々しいし、良いものだとは考えにくい。
そうなれば、違法な薬とかだけど……
(なーんか腑に落ちないな……)
そもそも学園で働く教師が危険な薬物を持っている事自体可笑しいし……
そこで一つの可能性に気付く。
「瓶の中身は判りませんが、先生が悪魔だという事は解りました」
「お、人間君せーかいだ」
メフィスト先生はケラケラと笑うと白衣の中から先が矢印のように尖った尻尾が出て来た。
「メフィスト」
リックが幾分か厳しめの声色で先生を呼ぶと彼はヒラヒラと手を振る。
「わーってるよ。でも生徒自身が気付いたんだから、教師としては褒めてやらなきゃだろ?」
「何でアディに頼んだの?」
「丁度出る時に出くわしてな。暇そうだったんで頼んだだけさ」
リックは大きなため息を吐くと僕の頭に手を置いた。
「メフィストがごめん。もう授業終わったなら、家まで送って───」
彼が言い終わる前に、ぶわりと黒い霧が辺りを包んだ。するとリックに抱き寄せられ、腕の中に閉じ込められる。
この嫌な感じ。何かが来る。
ドクンドクンドクン。と信じられないほど心臓が音を立てて、気持ちが昂る。
空間を割いて現れたその人には、見覚えがあった。
あの日、生徒会室に連れて行かれた時に、面白いものでも見物するかの様に見ていた、男の人。
魔剣が僕の意思なく反応し、呼吸するみたいに点滅し出した。
僕は彼が何者なのか、ある程度見当はついていた。
恐ろしいほどの魔力を持ち、三人の悪魔を圧倒できる者。
黒い髪を靡かせながら、銀色の瞳を僕に向けた。
(あの人が、リックが言っていた……)
ーー魔王。
彼と目が合うと優しく微笑まれた。その笑みにゾッと寒気が走る。
「私を覚えているか。以前生徒会室に同席していたのだが」
答えなくちゃいけないのに、指先一つ動かなかった。見かねたリックが口を開く。
「魔王様、その威圧どうにかして。アディが恐がってる」
さらに腕の力を強くしたリックを見て、魔王様は鼻で笑った。
「貴様が人間に興味を持っているという噂は本当らしいな。いくら何でも過保護ではないか?」
「放っといてよ、魔王様には関係なくない?」
「やれやれ。貴様が仕事をしないから、オリアスから苦情が来ているぞ。人間に付き纏っている暇があるならば、仕事を優先しろ」
「仕事ならちゃんとしてるよ〜。俺が何時サボったわけ? 昨日もお使い行ったじゃん」
ピリピリとした空気が肌を刺し、居心地の悪いものにする。
(二人分の殺気しか無いのに……息を吸うのが苦しい……)
未だに熱いほどの熱を持つ魔剣の柄を握りしめると、少し落ち着いた。
「魔王様は俺の仕事ぶりに不満があるわけだ?」
「おい、リック……」
アザゼルが止めに入ろうとするが、リックの嘘笑いは崩れる事なく魔王を見据えている。
「ねぇ、教えてよ魔王様。魔王様は何しに来たの?」
「何、とは……?」
お互いに笑顔で余裕を見せている二人は、腹の探り合いを始めた。
「ちゃんと約束のものは届けられた。運ぶ人はメフィストの気まぐれの所為で変わったけれど、問題なんて無いでしょ?」
「そうだな。メフィストがその人間をこの場に連れてこなければ、私も此処へは来なかっただろう。貴様はよほど私に知られたくない隠し事があるみたいだな」
「魔王様に隠し事? 冗談やめてよ、魔王様に隠し事が通用するとは思えない」
リックはそう言って、僕を抱き上げた。
「えっ……」
驚きの声を上げたが、リックの冷たい視線に息を呑む。心が凍りつくほどの嫌な感情がじわじわと胸に広がって行った。
ギュッと胸元を握りしめると、ふっと力が抜けた。
頭がぼんやりとする感覚で、勝手に四肢が動く。普段の数倍は強い力でリックの腕を押し退け、魔王に近づく。
「アディ……!?」
リックの呼ぶ声が聞こえるが、足は全く止まらない。
魔王の前まで歩いて、ようやく足が止まった。
じろじろと彼に見られても、なんの感情も湧き起こらない。
魔王は僕の瞳を覗き込み、ふと何かに気づいた様に目を細める。
「久しいな? ーーメルレディス」
(な、に……)
何で。どうして。
身体がガタガタと震え出す。魔王の手が肩に置かれ、振り払いたいのに筋肉が動かない。
(どうしてこの人は……!)
ーー僕の前世の名を知っているの。
「……ふむ。少々話が聞きたい。移動するぞ」
魔王がパチンと指を鳴らすと、魔法陣が発動した。
(転移魔法陣……!)
「おい待てアズ!」
リックの激昂した叫びに視線だけ動かすと、魔王に向かって攻撃魔法を放とうとしていた彼を他の二人が必死に止めている。
「リック、よせ!」
「魔王様に攻撃すれば反逆の疑いが……!」
「煩い止めるな! アディ!」
名前を呼ばれた瞬間、金縛りが解けて自由に動ける様になった。けれどその時には魔法陣が発動していて。
青白い光が放たれると、僕の視界は知らない場所を映していた。




