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魔王の素質

 彼は口元に笑みを浮かべながら、低い声でこう言った。


「煩いんだよ、下等生物どもが」


 その声は聴いている者を圧倒し、恐怖に陥れた。誰も彼もが指一本すら動かせない状況の中、彼は男たちの傍まで歩く。


 ラビリンスの一階が異様な雰囲気に包み込まれた。場を支配するリックは落ち着いていて、堂々としている。

 その姿は、まさに。


(まるで、魔王だ……)


 今のリックは、飄々として人を小馬鹿にする様な笑みを浮かべるリックではなく、王者としての風格を漂わせるリックだった。


 誰かの下に付くことなく、寧ろ下の者を跪かせて侍らせていても可笑しくはない。


 今までリックの事を、恐いとは思わなかった。それこそ悪魔と知っても。けど今は彼が発する圧が強すぎて、立っているので精一杯だ。


 こんな、こんな……恐怖で心が満たされるのは、実家に居る時くらいだった。


 リックは獣人の男たちを一瞥し、彼らしくない冷徹な笑みを向ける。


「で?俺がなんだって?卑怯だなんだと聞こえたけど……思い上がるな」


 ぶわっとリックから殺気とも威圧とも取れない様な空気が流れ出る。それを目の当たりにした彼らは腰が抜けたのか、床に座り込む人まで居た。


「そんなに言うなら、全員でかかって来なよ。纏めて相手してやるからさ。まぁ、そんな度胸が有ればの話だけど……?」


 口調はいつものリックと変わらないのに、恐い。と思うほど纏う空気が冷たく鋭い。


 男たちは反論する事もできないのか、揃いも揃ってガタガタと震えている。

 それを見たリックは盛大な舌打ちをした後、彼らのすぐ側の床に足を置いた。


 たったそれだけで床が抜け、粉塵が舞い上がる。大きな穴が空いた床を見つめていた男たちの一人がとうとう気絶した。


 リックはそれをつまらなそうに見て、此方に戻ってきた。その表情には笑顔が浮かんでおり、知らず知らずのうちに安心した。


「お待たせ。ごめんね、驚いたでしょ?」


 謝罪をしながら僕の頭を撫でるリックの手を温かいと思うのは、さっきのリックと今の彼を同一人物だと思いたくないからだろうか。

 目を伏せた僕をリックは複雑な()で見ていたけれど、努めて明るい声を出す。


「俺は仕事が終わったからもう帰るけど、アディは帰るの?」


「あ、うん。そろそろ帰ろうかと……」


 ヒオネさんとアメリアさんに手伝ってもらったおかげで、帰る時間も早くなった。今日はさっさと家に帰って、ゆっくりしようと思っている。


「なら家まで送るよ。さ、行こう?」


 リックに手を引かれ着いていこうとすると、僕らの間にアメリアさんが割り込んで来た。

 彼女の行動をリックは咎める様子もなく、首を傾げた。


「あれ、君は……」


「聖魔術師のアメリアよぉ。貴方、アディちゃんとどういった関係かしら?」


 赤みがかった黄色の瞳がリックを睨みつける。その瞳を見つめ返したリックは……何故か急に固まって動かなくなった。


 不審に思ってアメリアさんと顔を見合わせる。


 と、リックが突然和かに笑う。

 そんな笑顔は見たことが無かったので、不意を突かれた心が音を立てる。


「へぇ、聖魔術師?こんなに綺麗で美人な聖魔術師が居るなんてね〜」


 リックの言葉に、思わず唖然とする。彼が人の容姿を褒めるなんて。


(な、なんか……)


 ーーモヤモヤする。


 俯いた僕に気付くことなく、リックはアメリアさんとの距離を詰める。


「俺とアディの関係?そうだな。アメリアちゃんの事を一つ教えてくれるなら、言ってもいいよ?」


(何その条件!?)


 今度はモヤモヤではなく、ムカムカとした気持ちが溢れそうになる。それを必死で押しとどめて、平静なフリをする。


「例えば君の職場、自宅の住所、好きなもの嫌いなもの。ああ、スリーサイズでもいいかな」


(!?!?)


 な、な、な……何だこいつ!? 変態か!?


 ス、スリーサイズ訊きたがるなんて、それって、もう……


(アメリアさんが好きってこと……?)


 訳もわからず泣きたくなって、しかし意地を押し通して我慢する。


 アメリアさんは顔を真っ赤にして狼狽えている。普段の様子やヒオネさんの態度を見て勘違いする人も多いけど、彼女は純粋な乙女だ。そうは見えなくても。


 神官を務めていた時期が長かったアメリアさんは、男性との交際経験が一度もなく、清いままらしい。


 だから知らない男に……しかも魔族の男にスリーサイズを訊かれた事も無いんだろう。

 彼女の初々しい姿が、それを物語っている。


 悔しくなった僕はリックの足を思い切り踏ん付けた。


「痛っ!?」


 悲鳴を上げるリックに構わず、僕はアメリアさんを彼から遠ざける。


「良いですか、アメリアさん。あの男は変態です。何かされる前に早く帰った方が良いです。あと、身の危険を感じたら直ぐに僕を呼んで下さい。消しに行きますから」


「ちょっと待って、さすがに酷くない!? まだ俺何もしてないよ!」


「ほら、()()とか言ってます。あれは変態の常套句です。気をつけて帰って下さいね」


 アメリアさんは何か言いたそうな顔をしていたけれど、僕の圧に負けて転移魔法で自宅に帰った。


 彼女を見送ると、ようやくヒオネさんが身体を起こす。

 慌てて彼の傍へ行き、背中を支える。


「ヒオネさん、大丈夫ですか? どこか痛いところとかありませんか?」


「ああ、はい。大丈夫ですよ。また貴方に助けてもらったんですね」


 以前の討伐でヒオネさんと共闘した時に、彼が負った怪我を治したことがあった。彼は不思議そうにしていたが、何も訊かないでいてくれる。


「……何か、思い出しませんか?」


 ヒオネさんの問いに、僕は口を噤む。

 彼の闘い方はとても洗練されていて、竜騎士と名乗るにふさわしいものだった。

 けど、そこじゃない。僕が見ていて感じ取ったのは。


 ヒオネさんの闘い方は、()()に似ていた。しかも、僕は彼の闘い方を良く知っている。


 此処まで考えると、結論は一つだけ。


 でも、あり得ない。だって竜の寿命は人間より遥かに長い。他の種族たちから永劫の時と言われるほどに。


 僕は確かめたくて、ヒオネさんの黄金の瞳を覗き込む。


「……貴方は」


 しかし、続きの言葉を言うことは叶わなかった。

 強い力でリックに腕を掴まれ、無理やり立たされる。

 驚いて彼を見るけど、リックは気にせずにラビリンスの外へ出てしまう。


 黄金の瞳が悲しそうに細められたのが見えて、だけど閉まった扉に遮られてしまった。


「ちょ、リック、何……!」


 そこまで言いかけて言葉を失う。此方を振り返った彼の瞳は冷え切っており、天色の目が何の感情も映さずに見下ろされた。


「ねぇ、アディとあの男の関係って何? まさか恋人じゃないよね?」


「は?な訳ないじゃん。ヒオネさんとはただの仕事仲間」


 おまけに嫌われてるし……とは言わないでおく。言う必要もないだろう。


 しかしリックは気に喰わないのか、憮然としたまま歩き出す。

 渋々僕も彼の後に付いて行くと急にリックは此方を振り返った。


 依然その目は冷たい色を宿している。


「じゃあ、アディって一体何者? 他人の傷を癒せる能力を持つ人間なんて、神子以外に聞いた事無いけど」


「……生まれつき」


 そう答えたが、リックは直ぐに僕の嘘に気付いたらしい。

 視線が突き刺さっても、これ以上掘り下げられたくはないので無視をする。


「……ね。さっきの俺見てどう思った?」


 さっき。とは、男達を威嚇していた時の事かな。


 なんと言おうか迷った末に、僕は素直な気持ちを口にした。


「……魔王かと思った」


 そう言うと、リックはクッと笑い出す。彼の纏う雰囲気も柔らかくなり、もう冷たい空気は彼から取り除かれていた。


「魔王ね〜。ちょっと脅かしてやろうと思って実行しただけだったんだけど、あそこまで腑抜けとは考えなかったな。まあおかげで愉快なもん見れて超満足〜」


 ……なんか、前々から感じてはいたけど、リックってドSだな。それとも悪魔って皆こうなんだろうか。


「あ、でも俺が魔王って事はないかな。もう既に魔王居るし」


 ……魔王、居るんだ。どんな人なんだろう。ちょっと会ってみたいな。


 魔王は古の時代から魔族を統べる王だと語り継がれているけど、人間には細かい詳細は分からない。そもそも魔王もとい魔族の情報が少な過ぎるから。


 魔族が魔王と共にこの地を攻めてきたという言い伝えすらないし、人間との諍いは殆ど無いらしい。


 だから本当の意味で、人間は魔族や魔王を目にする機会が滅多にない。

 自分達との生活に関わらなければ、人は案外何者にも無関心だ。


 それを顧みれば、今僕の隣に悪魔が居ることが不思議に思えた。


「魔王様って以前竜族の王子に魔界を攻めこまれて、一晩も経たずに降伏したもんだから、魔族って他の種族達から少しナメられてるんだよね」


「……相手が竜族なのに?」


「ん〜、前から魔族に対して他の種族達のイメージは最悪だったから、そこは今更って感じなんだけどね。問題は温厚で穏やかな気性を持つ王子が、どうしていきなり魔界を攻め入ったのかってこと。魔王様の話じゃ、烈火の如く怒っていたらしいし。んで、その話を聞いた他の種族たちが、魔族がまた卑劣な事をして竜族を怒らせたと噂が立ったんだ」


 現竜王は、王太子時代の頃はとても優しい竜として有名だった。竜族という立場に驕ることなく穏やかに振る舞い、竜族以外の種族にも慕われていた。


 ……今は少し違うみたいだけど。


「ただ、竜族の王子があんなに怒っていた理由が分かんなくてさ〜。魔王様が話を聞こうとしても降伏したらさっさと帰っちゃうし。その所為で有る事無い事噂されるんだから、いい迷惑だよ」


 ああ、だから獣人の彼らはあんなにもリックを罵ったのか。

 魔族は何時だって、悪い奴らと決めつけられる。


「でもね、俺は魔王様は正しい事をしたと思ってるんだ」


 声色が一層柔らかくなったリックを見れば、彼は夜空から顔を出す月を眺めていた。


「あの時の状況から見ても、竜族の王子を止めるには降伏するしか許してもらえる道は無かった。降伏の意を示すのって、我々は貴方の敵じゃないと伝える術を持つんだ。それを見て、王子も考え直したからね。結果的に仲間たちから死人は出なかったし。他の種族が貶そうと、俺たち魔族は魔王様に助けられたんだよ。あの方は魔王の素質が充分にあり、それ以上に仲間を見捨てたりしない高潔さがあった。魔王の中の魔王だね」


「魔王の証が、高潔ということ……?」


 首を傾げながら問う僕にリックは頬を緩ませる。


「魔王になるにはそれだけじゃ無いけど、どの国でも王は民の事を最優先に考えなければいけないから。特に魔族は自由を好み力を求める奴らが多いから、争いが絶えないし。そんな奴らの上に立つには、カリスマ性があり、誰も彼もを魅了して従わせられる程の支配力がないと魔王とは呼べない。俺たち魔族が従いたいと思った魔族こそが、真の魔王なんだよ」


 僕が考えていた以上に、魔王というのは奥が深いらしい。


 それに此処まで熱弁するリックも意外だったので、今日は貴重な話を聞かせてもらえた。と、そこで僕はある一つの疑問が湧いた。


「リックは魔王にならないの?」


 そう訊くと、リックは意表を突かれたかの様に目を見開く。


「俺が、魔王? ううん、ならないよ〜。俺は魔王に興味が無いから」


 そうなのか。リックほどの実力が有れば魔王になれると思ったけど、本人が魔王になる気がないなら仕方ないだろう。


「何でアディは俺が魔王になると思ったの?」


「んー、さっきのラビリンスでの威嚇が魔王然としていたからかな」


 すると、急にリックが歩みを止めた。訝しんで振り返ると、リックは茫然とした表情のまま立ち尽くしていた。


「……リック?」


 声を掛けるとリックは目を閉じたまま僕を見つめたが、何事もない様に笑い出す。


「ごめんごめん、何でもない。ちょっと想定外だったから。さ、行こう〜」


 何が想定外なのか訊く暇すらなく、僕は先を越して歩いて行くリックの後を追いかけるのだった。

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