認めてほしい
絶対に勝てると思っていた。相手はあの最も弱いとされる人間なのだから。
強い衝撃に剣が弾け飛び、俺も耐えられず地面に仰向けの状態で倒れ込んだ。
今、何が起こった?なぜ俺は地面に倒れている?
俺は絶対、この勝負に勝たなくてはならないというのに───
竜族は世界を支配する最強の種族。
それは誰もが知っていた。
俺も竜族に生まれてきたことを誇りに思っている。だからこそ、負けられなかった。
竜族が他種族に、まして人間に負けるなど。いい醜聞だ。これでは父に振り向いてもらうどころか認めてもらうにはほど遠い。
竜族の中で頂点に立つ父上は眩しかった。とても心を病んでいるとは思えないほどに。
故に幼い俺は気付かなかった。父がどれだけ自身の感情を押し殺して母を抱き、俺を産ませたのか。
『お前は所詮私の後を継ぐ道具にしか過ぎない』
初めて父から言われた言葉は幼心を傷付けるには十分だった。
知らなかった。父がたった一人の人間を愛してたなんて。
信じたくなかった。俺は望まれて生まれてきた子供じゃないなんて。
この数百年、王妃の座はずっと空いたまま。父は亡くなった番以外を決して受け入れることはない。
獣人にとって番はなによりも大切な、唯一無二の相手。
俺も良く理解る。番を喪った者の悲しみが。深い嘆きが。
他の竜人もそれを理解していたからなのか。皆俺に対して余所余所しい態度を取っていた。寂しくても、孤独を感じていても。誰かに甘える事なく生きなければならない。
例え望まれて生まれた子ではなくても。王族に生まれたのなら責務を果たさなくては。
俺はいつでも一番でいる努力をしなくてはならない。
竜王に認めてもらうため。
愛がほしいだなんて血迷った事は言わない。ただ。
(貴方に認めてほしかった)
神子が見つかったのは僥倖だった。彼女を連れて帰れば父上もきっと認めてくれる。褒めてくれる。
なのに。
(俺は負けてしまった)
よりにもよって、散々バカにしていた人間に。これも自業自得なのだろうか。
顔を上げ、今なお立ち続けているアディに目を向ける。あいつは憐んだ目を俺に送っていた。
何かが俺の中で切れる音がした。
「なぜ俺をそんな目で見る!?」
突然大声を出したからか、先程まで姦しかった獣人たちが黙り込む。そんな奴らに目もくれず俺はただアディを詰ることだけに専念する。
「俺に偶然勝ってそんなに嬉しいか?勘違いするなよ、俺が本気でお前を殺そうとすれば簡単に殺せる」
「殿下っ!」
側近供が何か叫んでいるが俺の耳には届かない。
ドクドクと脈打つ音が耳の中に木霊し煩わしかった。
アディは表情を変える事は無かったが、とても低い声で言い放った。
「このポンコツ王子」
……は?
「聞こえませんでしたか?ポンコツ、と言ったんです」
ポン、コツだと……?この俺が?最強と謳われる竜に向かってなんて言い草だ。
「貴方は何も理解ってない。理解ろうとしない。そんな奴をポンコツと言わずなんと呼べと?出来損ないですか?」
「黙れっ!!」
もう我慢ならなかった。一刻もコイツの口を塞ぎたかった。ここまで侮辱されて黙っていられるわけがない。
傍に在った剣を取り、迷いなく振り下ろす。
それをアディはただ無表情で眺めていた。
腹が立つ。コイツにとって俺の剣は遅く見えてるんだろう。
(どうせ避けられる)
ザシュッと肉を引き裂く音と真っ赤な鮮血が飛び散った。鼻につく強烈な鉄の臭い。
俺は目を見開き硬直した。そのせいで剣が手から滑り落ちる。
「これで満足ですか」
冷めた表情のアディを思わず凝視した。
(なぜ)
なぜコイツはこんなにも平然としている?
アディは俺の剣を左腕で受け止めた。俺はコイツが避けるものだと思い、一切加減する事はなかった。
腕から血が垂れ流れ、尚も出血している。折れていないところをみると防御魔法を使ったらしいが傷は深い。
「どうしました?ご自分で為さった事でしょう。驚く必要はありません」
にこりと爽やかな笑顔を浮かべる彼が、異様に恐ろしい。腕を斬られても冷静でいるコイツは、なんだ?本当に人間なのか?
「人間ですよ」
「っ!?」
心を覗かれた?それとも魔法か?いや、そんな高等魔法を扱えるわけが……
「王子。貴方は協定というものをご存知ですか?」
「? 知ってるに決まってるだろう」
協定とは竜族が愚かな人間を戒める為に交わした約束事だ。約束といっても非常に強制力が強く、破った者は死刑等と厳しい処罰が科せられる。
その約束の一つに、竜族は永久に人間を庇護対象にしないという誓いがある。
多くの獣人が納得したし、人間たちも不服そうだったが受け入れた。
しかし今、どうして協定の話題を出すのか。
「ずっと不思議に思っていたんですが、よく竜族はそんなまどろっこしい約束なんかをしましたね」
「……何が言いたい」
「だって目障りなら一人残らず殺してしまえば良いじゃないですか。王子である貴方がしたように」
真っ直ぐと俺の目を見て話すアディに言い返せないでいるとハロルドが口を開く。
「アディ、誤解しないでくれ。いくら獣人が人間より強くても命を奪う行為が許されるわけじゃないんだ」
「……そうですね。ハロルド皇子の言う通りです。ならば竜族にも生殺与奪の権は有りませんよね」
コイツの言うことは全く核心に触れないのでイライラする。とどのつまりどういうことだ?
アディは俺に残念そうな視線を向けた。その含みのある感じに重要な何かを見落としているんじゃないかと錯覚しそうになる。
「竜族は人間を庇護対象から外した。しかしこれは見方を変えれば、竜族は人間を護る気はないが危害を加えるつもりもないとも取れますよね」
アディの言い分に電流が全身を駆け巡ったと思えるほどの衝撃を受けた。
思えば確かに、竜族は協定を定めてから人間を居ない者として扱っている。
だがそれは危害を加える気がないことも示している。
じゃあ俺が今コイツにやった事は?明らかに命を脅かす行為だ。徐々に事の次第を理解した俺は血の気が引いていく。
「……ミリウス王子。貴方は周りの方をもっと気にかけるべきです。彼らがどんな顔をしているのか解りませんか?」
アディにそう言われて側近達の方へ視線を向ける。
思えばこの時、初めてコイツらの顔をちゃんと見たのかもしれない。
竜族は側近含め皆俺と同じ様に顔を蒼ざめる者や硬い表情の者、遠くを見る者たちばかりで冷静沈着な竜族は何処にもいない。
全員が不安そうで重苦しい空気が立ち込めていた。
(俺の、せいなのか……?)
俺が周りの声を聴かずに勝手をして突っ走ったから、彼らはあんなにも不安そうなのか?
言葉を失った俺はアディを見据えた。コイツは最初から解っていたんだろうか。俺の独りよがりだってことに。
「竜王に成るつもりなら貴方は民の聲をよく聴くべきだ。独りよがりな独裁者など、民は求めない。民が求める王とは、自分たちの国を住める土地にし飢え死にさせず民を正しい道へ導く者だ」
その言葉には聞き覚えがあった。父である竜王が以前言っていた言葉。アディが知っているのは気がかりだが、抵抗なくストンと胸に落ちた。
「僕から見れば貴方はわがままでポンコツです。少しのことでカッとなって殺そうとする。ああ、勝負の賭け忘れてないですよね」
ドキリと心臓が脈打った。恐る恐る顔を上げアディを見れば、それはそれは素晴らしい笑顔で残酷な事を言い放った。
「ベルティナは諦めてください。まあもとより貴方に渡すつもりはありませんでしたが」
そこで言葉を区切るとじっと藤紫の瞳が俺を貫いた。
「絶対に渡さない」
身体がガチガチに固まり指一本動かせないでいた。言い返したいのに言葉に逆らえない。
腹の底からふつふつと怒りが煮えたぎるというのに心は穏やかだった。
いつのまにか藤紫の瞳から目を離せないでいる己に気付いた時には怒りすらも消え、ただただ心は凪いだように静かだった。