アディという男
リックという悪魔がアディを捜しに行き、数十分で彼らは生徒会室にやってきた。俺達がいくら捜しても見つからなかった人間をあっさりと連れてきたのには此方も少し思うところがあった。
アディはおよそ人間には耐えられない程の殺気を向けられても表情を変える事なく俺の目の前まで歩いてくる。そのあまりの無表情さに違和感を感じながらも愛想笑いを浮かべる。
「やあ、アディ。会えて嬉しいよ」
俺がそう言うとアディは一瞬訝しみ、次いで憐むような目で俺を見た。なぜ獣人の俺が人間のアディにこんな目で見られなければならないんだ?
それでも自分の気持ちを殺して本題に入る事にした。
「君はベルティナ様の友人で合ってるか?」
ベルティナ様の名を出すとそれまで表情が無かったアディの顔色があからさまに変わる。
(やはり報告通りアディはベルティナ様の恋人なのか?)
出来ればそうであって欲しくないと願う。
「そうですが。ベルティナが何か?」
なぜベルティナの名を出すのか分からないといったアディに神子の事を告げる事は出来ない。確認したいのは二人の関係だけだ。俺は意を決して口を開く。
「その……失礼を承知で訊くが。君とベルティナ様は恋人同士なのか?」
俺が訊ねるとアディは硬直した。唖然としていて、何言ってんだコイツ。みたいな目で見られた。さっきから何で俺はアディにこのような視線ばかり送られるんだ。
だがアディが戸惑っているというのは分かる。それだけで二人は恋人ではないとはっきりした。だから直接彼の口から言って欲しい。
「君を捜す時に調べたんだが、彼女と仲睦まじいと他の生徒から聞いたんだ。周囲は君らが付き合ってると思っていたみたいで」
「なんのことでしょうか?ベルティナと僕はただの友人ですが」
「! 恋人ではないんだな?」
「何かの間違いかと」
アディは恋人である事を否定した。隣の部屋に控えている竜族の王子もこの事を聞いてるだろうから疑いは晴れたはずだ。
竜族の王子であるミリウス殿下はアディをこの上なく目の敵にしている。一度竜族に目を付けられたら命が無くなるかもしれない。神子様が関係しているから仕方ないがこの学園で死人が出るような事は在ってはならない。
だがアディ自身が否定した事により事態は解決した、筈だった。
目の前で見つめ合う、というより睨み合うミリウス殿下とアディを見て俺は本気で頭を抱えたくなった。この王子は何を聞いてたんだ。
はっきり言ってミリウス殿下は思い込みが激しい。性格が極端なのだ。例え相手に罪が無くとも決めつける。今回のように。
しかもミリウス殿下はそれを正義と思っているんだからタチが悪い。
(くそっ、どうしろってんだ。そんなにアディが気に入らないのか?)
このままじゃ確実にアディは殺される。暴力行為は禁止されているがそんなルール在って無いものに等しい。この世界の支配者である竜族に逆らう事は最悪の場合死を意味する。
いくら竜族の王子と交流があろうとも。一国の皇太子であろうとも。殺気を撒き散らしているミリウス殿下を止めれば俺だって命がないかもしれない。
(だが、己の信念を曲げるなんて俺には無理だ)
いずれ俺はこの国の皇帝になる。帝位を継ぐという事は国の民を守らなければならない。国に、民に尽くす。それは獣人だけじゃなく人間も含まれる。
強者が弱者を平気で虐げることを俺は正しいと思わない。人間は自業自得なところもあるがアディは違う。潔白であることには間違いない。
殺気を含む視線を向ける王子をただじっと見つめ返すアディ。あの子がミリウス殿下に殺されるのを、黙って見過ごすなんて俺には出来ない。
アディを守ろうと足を一歩踏み出した。だが遅かった。ミリウス殿下は容赦なくアディに拳を振り下ろした。止める間もなかった、なさすぎた。
誰もがアディは死ぬと考えた。人間が竜族の攻撃を躱せるわけがない。しかしアディは間一髪で拳を避けた。
俺は心底驚いた。最弱の生き物と言われる人間が竜族の本気の攻撃を避けるなど聞いたことがない。しかも避けられた事が更に竜族の王子の怒りを煽った。
「随分と良い反応だな」
憎々しげにアディを睨みつけるミリウス殿下の声にハッとなる。一瞬茫然自失になっていた。そして今度こそ二人の間に割って入り王子を止める。
「何をしているんだ!」
怒鳴りつけるとミリウス殿下は冷ややかな目で俺を見る。その目には蔑みの色が浮かんでいた。
「ハロルド。なぜその者を庇う?」
「アディは人間だが学園の生徒だ。それに暴力行為は禁止されている」
そもそも誤解は解けた。これ以上の行いはどう考えても横暴だ。視線を逸らさず真っ直ぐにミリウス殿下を睨みつける。
「おいアディ。俺と勝負しろ」
「殿下!?何を言い出すんですか!」
それまで何もせず成り行きだけを見守っていた他の竜族がようやく王子を止める為に声を上げた。それは人間のアディを庇うためではなく竜の王子であるミリウスを庇うためだった。
段々と胃がムカムカして来た。竜族なのに協定の意味すら解っていないのか。
だいたいミリウス殿下がここまで極端な性格になったのは竜族の所為だというのに。なぜずっとこの性格を放置してるんだ。
「離せヴァル。俺はこの人間と決着を着けないと気がおさまらん」
「だからアディとベルティナ様は恋人じゃないって言ってるだろ!」
思わず素の口調が出てしまい焦るが誰も気にしていない。
(もういっそ殴って気絶させるか?)
そっちの方が早い気がしてきた。生徒会室が血塗れになるのは困るが背に腹は代えられない。グッと拳を握った時、誰かがノックもなしに部屋に入ってきた。
全員の視線が扉の方に注がれ室内は静まり返る。部屋に入ってきたのはヴァンパイアの帝王であるアルフレッド様だった。彼は室内の異様な光景に眉を顰める。
「会議に出ていて遅れたが、これはどういう状況だ?」
不機嫌そうな顔で問う帝王に誰も何も言えなかった。帝王は一人一人を見てやがてアディに目を留めると驚いたように目を見開く。
「アディ?こんなところで何をしている」
またも俺達は度肝を抜かれた。なぜ人間嫌いの帝王が人間に話しかける?なぜアディを知っている?しかも天然なところがある帝王は神子様の事をバラしてしまった。
「頼む。今の話は聞かなかった事にしてくれ」
「えっ……分かりました」
アディは何かを感じ取ったのかそう答えた。案外聡い子なのかもしれない。が、ミリウス殿下はまた怒鳴り出した。
「貴様、なぜ帝王と親しくしている!?ベルティナの様に取り入ったのか?ますます生意気な。俺と魔剣勝負をしろ!」
「殿下!人間相手におやめください!」
もうここまで来ると俺でもドン引きする。何でこんなに突っかかるんだよ。
(神子様以外になんかあんのか?いや、アディは普通の人間だし……)
よく見るとアディは面倒そうな表情をしている事に気付く。大方竜族の王子の本性に勘付いたんだろ。
そう俺は思っていたがアディは予想外の言葉を口にする。
「良いですよ。魔剣勝負、お受けしましょう」
アディがとんでもない事を言い出した。この子は他の人間より賢く見える。事実そうなんだろう。だからこそ分からない。
人間が竜族に勝てるわけがないのに、なぜ自ら危険な橋を渡ろうとする?
「僕と魔剣勝負がしたいのでしょう?ご自分でそう仰ったではないですか」
と、アディは無表情のまま言い放つ。まさかとは思うが面倒くさいからさっさと話を終わらせたいとかじゃねーよな?
「竜族と魔剣勝負など無茶もいいところだ。アディ、考え直せ。小僧が血迷って言った言葉にお前が耳を貸す理由はない」
アディの発言に苦言を呈すアルフレッド様。余程アディを気に入っているのか。
基本的に吸血鬼は他種族に干渉しない。その理由は実にシンプルで、興味が無いからだ。
そんな吸血鬼の頂点に君臨するアルフレッド様の心を動かしたアディは何者なのか。ミリウス殿下が暴走する一歩手前だと言うのに俺はアディから目を離せない。
そう思っていられたのもその時だけでアディがあのレイモンドの恩人だと知るや否や皆が蒼ざめた。
レイモンドがどういうヴァンパイアなのか知っているからこその反応だった。
「これは俺とその人間の問題だ。いくら恩人だろうと吸血鬼の帝王だろうと、この場を弁えるのは貴方の方だ」
(何で理解しないんだこの王子は……っ!)
獣人の間で歳上を敬うのは至極当たり前のことだ。この部屋の中で最年長はアルフレッド様と魔王のみ。
しかし魔王もとい魔族達は関わる気がないようで高みの見物をしている。
最年長のアルフレッド様にやめろと言われたらやめる以外の選択肢はない。つまり今のミリウス殿下の態度は歳上であるアルフレッド様に対して不敬に当たる。
竜族だけでなくヴァンパイアまで関わってきたら収拾がつかなくなる。
俺は色々と諦めて成り行きを暫し見守る事にした。ーーもちろん、アディが攻撃されないように見張ってはいるが。
アルフレッド様から相当の圧を受けたミリウス殿下は何を思ったのかふと顔を上げ、アディを見据える。
「明日、昼の十二時にグラウンドで俺と決闘だ。約束しろ」
何が起きたのか理解する前に、ミリウス殿下はアルフレッド様に殴られ窓ガラスを突き破って落ちた。心配しなくても竜族なんだから生きてるだろう。
(それよりさっきのはなんだ?魔術か?)
アディの手首には紋章が浮き上がり、それは竜族の約束の印らしい。それまで冷静だったアディが初めて取り乱す。
まあ約束を反故にしたら手首さよならだもんな。可哀想に……
「殿下。魔剣勝負でお聞きしたいことがあるのですが」
「! ああ、なんだ?」
突然話しかけられ反応が遅くなる。けれどアディはそんな事を気にしている暇はないのか早口で訊ねてくる。
「魔剣勝負では人間が不利なのは明白です。そこで竜族側にハンデを負うのは可能ですか?」
「ハンデ?出来ない事はないが……」
「なら竜族の王子は魔剣勝負の際、一切の魔法や魔術を使わないハンデを負ってもらいます。使った場合は勝敗に関わらず不戦敗となり僕の勝ちとします。よろしいですね?」
半ば無理矢理約束させられたのにこの落ち着き様。神経が図太いのか或いは肝が据わっているのか。
アディの提案に迷う素振りを見せたが内心ではハンデは悪くないと思っている。
「分かった。ミリウス王子にも伝えておく。だがいくらハンデを付けたとからと言って、竜族に勝つのは無理だと思うが」
するとアディはいきなり無言になった。だが俺は確かに見た。アディの瞳に宿る強い意志を。
「……僕は無理だと判断したものに挑戦しようとは思いません」
無理だと判断したもの。アディにとって今回の勝負は無理じゃないのか。
よくよく思い返すとアディは易々と竜族の攻撃を躱した。これは、ひょっとしたらひょっとするかもしれない。
生徒会室から出て行くアディの背中を見送り、竜族に気付かれないよう笑みを洩らす。
(ああ、楽しいな。こんな気持ち、何年ぶりだ?)
明日、どんな戦いを魅せてくれるんだろうな。今からとても楽しみだ。なにせ、歴史が覆る瞬間を間近で見られるかもしれないのだから。