獣の皇子と竜の王子
憂鬱な気持ちで生徒会室に着くと、リックが徐に振り返った。彼も少し憂い顔で僕が生徒会長に会うのを不安に思っているらしい。彼の今の色はそういう色だ。
(やっぱり優しいのかな。でも人間に優しくする種族ってどんな種族……?)
リックは獣人でも人間でもない。ならエルフ、妖精、この見た目でオーガは無いだろう。あとは吸血鬼……こんな真っ昼間に外へ出られるわけないか。残るは魔族だけど。
魔族なんて滅多に見かけない。当たり前だけど。確か悪魔は人間に化けるのが上手いと本で読んだ事がある。見た目は人間そっくりだから正体を見破るのは難しい。
でもリックの周りのオーラは明らかに人間のものじゃないし魔力も豊富みたいだから上級悪魔の可能性もある。そうだと面白いんだけどな。
「アディ。今から入るけど心の準備は大丈夫?」
「あ、うん」
リックに声を掛けられて目の前の扉を見つめる。重厚感があるその扉は妙に威圧を感じて、この先で待ち構えているであろう人物を想像してため息を吐きたくなるのをグッと堪える。
扉が開けられ、全員の目が此方を向く。微かな侮蔑を感じ取って途端に居心地が悪くなる。人間相手にこんな殺気飛ばす……?
なんとはなしに視線を彷徨わせていると違和感に気付く。僕に一番殺気を向けている彼らに見覚えがあった。あれってまさか竜族?
ドクンッと心臓が脈打ち手が震える。な、何で此処に竜族が……
止まってしまいそうな足を叱咤し震えを抑えて真ん中で佇んでいる生徒会長の元に行く。彼は僕が目の前に来ると涼やかな笑顔を浮かべた。
「やあ、アディ。会えて嬉しいよ」
微塵もそう思っていない色を纏わりつかせながら皇太子は言う。生徒会長ってのも大変なんだろうなー。と他人事の様に思う。
この部屋まで案内したリックは壁際に控え一言も喋らない。彼は用済みという事だろうか。
口を引き結んだままハロルド皇子を見つめたままで居ると、彼は痺れを切らしたのか僕を此処に呼んだ理由を告げる。
「君はベルティナ様の友人で合ってるか?」
唐突にベルティナの名を出され思わず眉を顰める。やはり彼らが僕を捜していたのは神子関係なんだろうか。
「そうですが。ベルティナが何か?」
あくまで何も知らないという態度を取ると一瞬ハロルド皇子は躊躇いを見せた。人間に神子の話をするかしないか迷ってるらしい。
「その……失礼を承知で訊くが。君とベルティナ様は恋人同士なのか?」
頭に冷水をかけられた気分になった。唖然として皇子を眺めるが、本気で言っているみたいだ。
(僕とベルティナが恋人って。何をどうしたらそうなるの?)
明らかに僕が困惑しているのに彼は気付くと慌てた様に言い繕う。
「君を捜す時に調べたんだが、彼女と仲睦まじいと他の生徒から聞いたんだ。周囲は君らが付き合ってると思っていたみたいで」
あー……なるほど。だから彼らは血眼になって僕を捜してたのか。当初、僕は神子様に近付く怪しい人間を排除する為に捜してるんだと思っていた。でもそれより上の恋人かどうか確かめる為に捜してたんだ。
それを考えればこの異常な殺気も頷ける。神子様の恋人かもしれない人間に敵意を向けるのは当たり前なのかもしれない。
前世で得た知識だが、とある特性を持つ人間の女性は竜族に嫁ぐ事があったらしい。現竜王である当時王太子だった彼が教えてくれた。その特性というのがどんなものかは訊かなかったから神子の事だと分からなかった。
つまり竜族からすれば恋人かもしれない僕は目の上のたんこぶってことか。そんな理由で僕は殺されるの?ヘタな事言えば確実に僕の命が危ない。
アルフレッド様の時以上に死亡フラグが立っているのを感じ僕はハロルド皇子に鋭い視線を向けた。
「なんのことでしょうか?ベルティナと僕はただの友人ですが」
「! 恋人ではないんだな?」
「何かの間違いかと」
僕がそう言うと皇子は安堵した表情を浮かべ、竜族から殺気の気配は薄らいだ。上手く死亡フラグをへし折れただろうか。
「そうか。話を聞かせてくれてありがとう。教室に戻っていいぞ」
心なしか皇子の口調が柔らかくなった。ベルティナが神子についてどう思ったかは分からないけど様付けで呼ばれてるあたり酷い扱いは受けてないはず。
ハロルド皇子に頭を下げて扉の方へ身体を向けようとすると、部屋のもう一つあった扉が開く。そこから冷気を感じて視線をやると言葉を失った。
瑠璃色の髪に煌めく黄金の瞳。竜の王族を表す髪と瞳を持つ者が、じっと僕を睨んでいる。そして僕も彼から目を離す事が出来ないでいた。
久しぶりに見た瑠璃色の髪。前世の記憶に焼きつかれた髪と合致し、彼の方を彷彿とさせる。人間の僕に優しくしてくれた、唯一の竜。黄金の瞳に愛情をはっきりと浮かべていた。
番であった僕を喪って、彼の方はどうしたんだろう。番を喪失した者は全て狂う。国一つを滅ぶすか、或いは番の後を追って死を選ぶ。
番の死を目の当たりにした彼の方は狂わなかったのか?僕に冷たい殺気を放つ竜はどう考えても彼の方の子だ。現竜王として生きてるんだから間違いない。
でも、それじゃあ彼は狂いそうになったのを必死に抑えたのか。それとも誰かが彼の方を支えたんだろうか。番を喪い、狂う寸前の彼の方を。そして彼の方は支えてくれた者との間に子を成した。
冷たいものが胸に押し付けられる感覚だった。ギュッと胸元を握りしめ睨んでしまいそうになるのを必死に堪える。今の僕は彼の方の番じゃない。
すたすたと目の前までやって来た竜族の王子は僕を見下ろす。なんだろうと彼の動きを注視していると僅かに王子の腕が動く。それを見た僕は咄嗟に後ろへ飛び退いた。
ヒュンッと本気の拳が顔を掠める。しかし当たることなく空を切り、竜族の王子は忌々しそうに舌打ちする。
「随分と良い反応だな」
侮蔑の籠もった黄金の瞳を隠すことなく彼は言った。人間に竜の拳を向けておきながら平然としている。姿形は彼の方にそっくりでも、性格は全然似ていないらしい。
そして竜族の攻撃を躱したのはまずかったかもしれない。ただの人間と思っていた彼らは皆一様に驚いている。驚くのではなく王子の暴走を止めて欲しいのだが。
「何をしているんだ!」
突如怒号が聞こえハロルド皇子が僕と竜族の王子の間に割って入る。それを見た竜族の王子は気に入らない様子で顔を顰める。
「ハロルド。なぜその者を庇う?」
「アディは人間だが学園の生徒だ。それに暴力行為は禁止されている」
そんなルール、在って無いようなものだろうに。この皇子は律儀にそれを守っているらしい。正義感の強い獣人なのか。まあ王の器としては問題無いだろうな。寧ろ問題があるのは……
チラリとハロルド皇子の肩越しに竜族の王子を見やると顔が憤怒の色に染まっている。攻撃は単調、思考は短絡的。行動は後先考えていない。最悪だな、何でこんなになるまで放って置いたんだか。
とてもじゃないが未来の竜王に相応しくない。周りの者に甘やかされて育ったか、育児放棄をされていたか。このどちらかじゃないとこんな極端な竜に成らないだろ。
でも王族が育児放棄なんて聞いた事がない。となるとやはり前者か。
「おいアディ。俺と勝負しろ」
「殿下!?何を言い出すんですか!」
今の今まで黙って成り行きを見守っていた竜族が漸く止めに入る。だがそこに人間の気遣いは見られない。段々とイライラして来た。コイツらは協定の意味解ってるのか?
「離せヴァル。俺はこの人間と決着を着けないと気がおさまらん」
「だからアディとベルティナ様は恋人じゃないって言ってるだろ!」
ハロルド皇子が咆哮を上げるが竜族の王子は歯牙にも掛けない。駄目だなこのポンコツ王子。他者の言葉にすら耳を傾けられないようなら相当な出来損ないだ。この方、本当に彼の方の息子か?
「なんだその目は!人間如きが生意気な!」
あまりの子供っぽさに呆れを通り越してドン引きする。この無駄な時間、何?良く見るとリックは笑い転げてるし、何時の間にかソファーに座っている人達は面白いモノでも鑑賞するように寛いでいる。
あわや生徒会室が血の海という大惨事になるかと思ったその時、扉が開き誰かが入ってきた。