■を忘れた青年
◆ロザリー・フェルマー視点◆
――この街には、いろんな人がいる。
鬱蒼とした森が少し離れた位置にあって、豊かな平原に囲まれ、穏やかな川も近くにある、恵まれた土地。
辺境の街だと大人は言うけれど、この街しか知らない私はよくわからない。寂れているわけでもなく、程よく賑わった街――それが、私の住む街だ。
旅人がごくごくたまに訪れる以外に、人の出入りが少ない街。顔なじみや知り合いは多く、私を実の娘のように可愛がってくれる人や、話したことはなくともよく見かける人など……本当に、この街にはいろんな人がいる。
――そんな、いろいろな人が存在する街の中。ふとした時に目につく、とある人物が一人。
「――――」
性別は男性。歳はたぶん、20歳と少しくらい。男性だけど体格は華奢で、折れてしまいそうな外見をしていた。
髪の色は深い青色で、絵本で見たことのある〝海〟というものの色に見える。瞳を見たことはないけれど、そちらはどんな色をしているのだろう。
遠目から見ると女性に見えるような中性的な外見の、その青年。話したことはなく、接点もない。ただ、昔から時たま街で見かけるので、なんとなく記憶に残っていただけの人。
「――――」
食事処を営む両親の跡を継ぐべく、私は日夜修行の日々。今日も、最近任されるようになったお店の買い出しを一人で行っているところだ。
時刻はお昼と夕飯の中間地点。買い出しを終えて帰宅するまでの間に、私はまた例の青年を見かけ、なんとなく足を止めた。
――……また、あの人だ。
胸中で独り言。最近見かけることが増えてきて、その独り言の回数も増加中である。
以前は、一ヶ月に一度とか、二ヶ月に一度とか。半年程度見かけないなと思ったら、その日の内に見つけたりとか。
バラバラもバラバラ、不定期極まる頻度で、私は青年の姿を見かけていた。気まぐれに散歩をする人なのか、それとも無軌道に歩き回る彼を、偶然発見しているのが私なのか。
そこはどうでもいいけれど、問題なのは……その頻度が、最近は増えていることである。
「…………」
つい先日、三日ほど前に見かけたばかりの青年。単に、以前は街全体を気まぐれで歩き回り、最近はこの辺りを重点的に――なんていうだけなのかもしれない。
誰と話すでもなく、行く宛もないような足取りでどこかへ消えていく青年の姿に、私は気がかりを覚えていた。
話しかけてみよう、と決心するのに、そう大した決意も覚悟も必要なかった。
「……あの……?」
「――――」
恐る恐る、青年に近づいて背後から話しかけてみる。
……が、私の声が小さかったのか。青年は気づかない。
私は勇気を出して、声を大きくする。
「っ、あ、あの……!」
「――?」
ようやく青年が振り返った。彼を見上げる私と目を合わせ、髪と同色の瞳を丸くする。
本当に中性的な外見だ。しかも、イケメンとも美人とも表現できる容姿。気合を入れて女装をすれば、女性と言い張っても通じそう。
――なのにどうして、私が話しかけただけでそんなに驚くのだろうか。
「……どう、したんだい? なにか用かな、お嬢さん?」
外見に違わず、こちらも中性的な高い声が響く。青年の内面を表したように澄み渡っていて、見知らぬ小娘へかける言葉だというのに酷く優しげだ。
些か緊張しながら、私は用件を告げる。
「い、いえっ、あの……な、なにかお探し、ですか……?」
これといった用件が、あったわけではないのだ。
ただ、何度も見かける青年の姿が気がかりで。宛もなく彷徨っているのかと尋ねるのも不躾だと、あてずっぽうでそんなことを言ってみた。
――青年は、目を伏せる。
「……そう、だね。探してるんだ」
「な、なにを、ですか?」
目を伏せた青年。悲しみを湛えた目をキツく閉じ、私の質問には一拍置いて、それから目を開けた。
開いた目には、もう悲しみはなかった。
「――仲間だよ。僕の大切な、ね」
青年は、ごまかすように微笑む。瞳に悲しみは映っていなかったけれど……どうしてだか、その笑顔は泣き顔のように見えた。
――仲間を、大切な人を探している。
どうして、だとか。昔から見かけたけれどあの頃からずっとそうなのか、とか。狭い街だしはぐれるなんてことは本当にあるのか、とか。
聞きたいことはあったけど、私が青年へ告げる答えは、もう決まっていた。
「わ、私も手伝います。えっと、お仲間さんって、どんな方なんですか?」
――それが、物語の始まり。
とある青年の仲間を――失くしたものを探す、失せもの探しの物語。
……青年の心を壊す、そんな一日の話だ。
◇
――青年の仲間は、全部で三人。
大きな黒いハット帽をいつも被る、赤色の髪をした女性。目つきが鋭いけど優しく微笑む、とても魅力的な女の人。
浅黒い肌と鋭い目付きで怖い外見の、少し粗暴な男性。見た目はすごく怖い人だけど、それはただ不器用なだけらしい。
長い金髪で修道服を着た、包容力のある優しい女性。神秘的な雰囲気の人で、見ればすぐにわかるそうだ。
――「見つけたら、「あなたの仲間の青毛男が探してました」、なんて言っておいてくれたら、それでいいよ」
青年はそれだけ言って、私の前から姿を消そうとする。せめて名前を聞きたいと私が引き止めた時、彼は答えた。
――「名乗るほどの者じゃない……じゃ、ダメかな?」
申し訳なさそうな顔で、名乗ることはできないと遠回しに。
なにか事情があるのだと察し、私は口を噤む。青年は最後に「ごめん」と謝り、今度こそ私の前から姿を消した。
――買い出しの戦利品を抱えて、その日は真っ直ぐ帰宅する私。
平民向けの食事処の、その人脈を使うべきだと判断したのだ。
「――ただいま」
「あぁ、おかえりロザリー」
準備中の札を無視して食事処に入れば、テーブルの準備をしていた母が気楽に返事をしてきた。
買い出しの戦利品は厨房にいる父へ。寡黙な父では接客ができないので母と私がホールを担当する、という我が家の役割上、今最適なのは母へと質問を投げること。
「……お母さん、大きな黒いハット帽のお姉さんと、浅黒い肌で目つきの悪いお兄さんと、修道服を着た金髪のお姉さん、って、心当たりある?」
「なんだいそれ?」
変な質問だというのは承知している。そのため母が変な顔をするのには文句を言わず、私は経緯を説明する。
「人探しをしてる人がいて、困ってたみたいだから手伝ってるの。知らない?」
「探してるのは今の三人かい? そうさねぇ……」
母は記憶を探るように宙に視線を投げた。記憶力がよく、お客さんの顔もそこそこ覚えている私たち。
そんな私が考えても思い出せず、母もすぐには出てこないとなれば、この食事処をその三人が利用したことはないだろう。
「……特徴的だしねぇ。忘れるとは思わないから、ここには来たことがないんじゃないのかい?」
「そうだよね……ごめん、変なこと聞いた」
「いいわよ」
母はそう締めくくり、至る結論は私と同じだった。
大きな黒いハット帽も、浅黒い肌と鋭い目付きも、修道服と長い金髪も、どれもこれも特徴的でわかりやすい。
もしそんな人物がいれば、そうそう忘れない。
……しかし、実を言うならその三人、なんだか心当たりがあるような、見覚えがあるような。変な既視感を覚えるのだ。
その感覚は母も同じだったのか、難しい顔をしながら更に記憶を探る。
「……でも、その三人……いや、四人? 聞いたことあるねぇ」
「あ、四人。そうだよ、四人組」
母が首を傾げながら「四人」と言う。私もそれによって思い出して、件の三人は四人組であるということを思い出した。
単純に考えて、私と話をした青年を含めて四人組、となる。
……青色の髪の男性、大きな黒いハット帽の女性、浅黒い肌と目付きの悪い男性、修道服を着た金髪の女性……。
それに加えて、四人組。……これだけのキーワード全てに既視感があり、あと少しで思い出せそうなのだが。母も同じらしく、母娘二人で頭を悩ませていると。
「――〝光の御子〟じゃないか、それ」
厨房から、野太く低い声が重苦しく聞こえてきた。実の娘であっても滅多に聞くことのない、実の父親の肉声である。
父は、ホールにいた私たちの会話を聞いていたのか。それだけ言って厨房に引っ込んだ。
――光の御子。その名前は、確かに聞き覚えがある。
この国ではお伽噺にさえなった、とある救世主のことだ。
「あっ、そうそれよ! 光の御子! それから、大魔道士と魔剣士と……癒しの聖女!」
母が喜色に満ちた声を上げた。思い出せなかったものが思い出せて、大層スッキリしたのだろう。
――光の御子、大魔道士、魔剣士、癒しの聖女。
この世界では、人を襲う怪物や世界を滅ぼす魔王が時たま出現し、それに対抗する、世界を救う救世主が何人も存在する。
彼らはその救世主に名を連ねる四人の勇者で、とても有名な存在だ。
曰く、光の御子は必ずや味方に勝利をもたらす。
大魔道士は魔法の最高峰。
魔剣士を傷つけることができる者は一人もおらず。
癒しの聖女は物さえ癒す。
――向かうところ敵無しとまで言われ、数々の災厄を退けたその救世主たち。
人類に仇なすものにのみその絶対的な力を振るったと言われていて、私も子供の頃に聞いたことのあるお伽噺だ。
「……その、救世主、って……」
「ん?」
勝手に、私の声が震え始める。
――その救世主たちの外見は、確かに青年から聞いたもの、この目で見た青年のものと一致する。
「たしか、さいご、は……」
「ああ、その救世主の最期は――」
――光の御子率いる、救世主一行。彼らが活躍したのは、とある魔王との戦いまで。
その魔王との戦いはこの街の近くで行われたと言われており、それを最後に救世主たちの活動は終わりを告げることになる。
なぜならば。
「――30年くらい前、って聞いたわね。魔王との戦いに負けて、一人以外は死んだんじゃなかったかしら?」
――救世主たちは、既に死んでいるのだから。
◆■■■■・■■■視点◆
――どこへ、行ったのだろう。
メラニー、レイ、メグ。
彼ら、彼女らはいったい、どこへ。
僕たちは辺境に出現した魔王を倒そうとして、この街を訪れたはずだ。
準備は万端だった。気合いも充分だった。魔王とまで呼ばれた存在との戦いも初めてではなく、仲間たちとの絆を信じて突き進むことだってできた。
だから、今回だって無事に勝って、また世界を救えるのだと――
――それが、どうして、誰もいないのだろう。
周りに仲間の姿はなく、自分は一人だけ街に取り残されていた。
どこにもいない。
隅々まで街を歩いて探して回った。何度も何度も、入れ違いやすれ違いを疑って、彼らが訪れそうな場所へ張り込んだりもした。
けれど、見つからない。
見慣れた仲間の顔も、聞きなれた彼らの声も。なにもかもが、どこにも見当たらない。
「――――」
――ああ、彼らはどこに行ったのだろう。
魔王を倒しに行かなくてはいけないのに。そのための準備だってたくさんしたのに。
……ああ、早く……早く、探さないと。
「――あのっ!」
――後ろから、声がした。
◆ロザリー・フェルマー視点◆
血の気が引いた。
背筋が寒くなった。
自分と話をしていた青年は、いったい誰だったのか。
――その疑問を解消するために、青年ともう一度話したいがために、私は食事処を飛び出して街へ駆け出した。
駆け回って、駆け回って、やがて見つけた。
青色の髪を揺らす、男性にしては華奢な後ろ姿。荒い息を吐きながら、懸命にその背中を呼び止める。
「――あ、あのっ!」
青年が振り返る。ついさっき会ったばかりで、青年も私のことを覚えていたらしい。すぐに表情を不思議そうなものへ変えて、彼は首を傾げた。
「? お嬢さん、どうしたんだい? ……えっと、もう見つかった、とかかな?」
「そ、それは……! ……それ、は……」
――続ける言葉が、見つからなかった。
仮に青年が光の御子だとして、ただ一人生き残った救世主だとして、「あなたの仲間は30年前に死んでいます」なんて、言えるはずがない。
いいやそもそも、この青年は30年前からこの街で人を探し続けていることになるのではないか。それはもう、狂気とさえ言えてしまう。
――彼は、いったい誰なのか。
救世主だという私の推測が、なにもかも間違いなのではないか。
それが、最も相応しい答えな気がした。
……けれど、どうしても、身体の震えが止まらないから。
もし私の考えが正しいのなら――そんな憶測が、頭を離れないから。
どうしても、これだけは聞きたかった。
「……あなた、は……誰、ですか?」
「――――」
先ほど会った時も投げかけた、名前を問う質問。
青年は、今度の問いには答えた。
「――カミーユ・ブレス。一応、救世主として戦ってるんだ」
――私の恐れは、否定してもらえなかった。
カミーユ・ブレス。光の御子の、その本名。
……では、彼は本当に。
30年前から、ずっと――?
「僕、結構有名だからね。お母さんに聞いたりしてわかっちゃったかな? ごめん、騒ぎになると面倒だから、このことは秘密に――」
苦笑いをしながら、一度目に名乗らなかった理由を織り交ぜながら私へ注意をする青年――カミーユさん。彼の言葉を、私は震え声で遮る。
「……ま、って、ください……」
「……お嬢さん?」
怪訝そうな顔で、カミーユさんは私の顔を覗き込む。
――恐ろしい事実に、気がついてしまった。
30年前に起こった魔王との戦い。そこで救世主一行の内三人が死亡し、魔王の討伐は失敗に終わる。その後訪れた別の救世主によって魔王は討伐されたものの、光の御子一行は壊滅した。
それは、私でも小耳に挟んだことのある有名な話。――それを、当の本人だけがわかっていないなんて、酷すぎる。
「あ、あなたの……あなた、の」
震え声で、なんとかその事実を告げようとする私。カミーユさんは無言で、静かに私の言葉を待つ。
――そして、それは告げられた。
「……あなたの、仲間は……30年、前に……死んで、ます……」
ゆっくり。声を絞り出すように。震えた声色で頼りなく。
告げられた言葉を、カミーユさんは確かに受け取って、
「――――」
目を見張って驚き――しかし次の瞬間には、その驚きが消えていた。
「……ああ、そうか」
カミーユさんが、ポツリと呟いた。憑き物が落ちたような――否。これは、縋り付くものを、行動する意味を見失った、廃人の表情。
「そう、だったんだな」
カミーユさんは酷く危うげな表情で言葉を吐き、右手を自身の左胸に押し当てる。
――彼は、血反吐を吐くように重く、全ての息を吐きながら。
されどなんでもないことのように、すんなりと、ストンと。
「あぁ――動いて、ないや」
自分の心臓が動いていないことを確かめて、踵を返した。
「えっ……? か、カミーユさん? カミーユさん……!?」
私を急に無視し始めたカミーユさんに驚き、胸に手を当てたまま歩き去る彼の背中に私は声を投げる。
「――――」
カミーユさんはその声が聞こえていないかのように、そのままどこかに行ってしまった。
――彼の心臓が、動いていないというのなら。
彼は、もう既に――
「……っ」
再び走った背筋の寒気に追い立てられるように、逃げるように。
私は全力で走りながら、家へと帰った。
◇エピローグ◇
――30年前。光の御子率いる救世主たちは、魔王との戦いに挑んだ。
光の御子、カミーユ・ブレス。大魔道士、メラニー・ティベリ。魔剣士、レイナルド・ミネル。癒しの聖女、メガーヌ・ドルジア。
魔王の奸計によって、メラニーが魔法を封じられ人質に取られる。彼女を盾にする魔王を相手に満足に戦えず、レイナルドが隙を晒した。カミーユはそんな彼を身を呈して庇い、レイナルド諸共魔王の魔法を受ける。
カミーユは即死。レイナルドは瀕死で留まり、唯一無事だったメガーヌにより懸命の治療を施されるが――その治療が実を結ぶことはなく、中途半端な治療はかえってレイナルドを苦しませる結果になってしまった。
カミーユは死に、レイナルドは自身の手で苦しめた……メガーヌは戦意を喪失する。そんな彼女の目の前で、魔王は人質のメラニーを拷問。悲鳴によってメラニーの喉が潰れるほど彼女を痛めつけた挙句、その全てをメガーヌに見届けさせてメラニーを惨殺。
完全に心が折れ、それにより魔王の気まぐれと道楽もあって生かされたメガーヌ。街の人間に保護され、教会で暮らしながら数ヶ月かけて立ち直り、以降は故郷で孤児院を営んでいるらしい。
――以上が、かの救世主たちの末路。
魔王を倒し、人類を救わんとした勇者たちの終わり。
――ロザリーの前に姿を見せたカミーユは、死を忘れた亡霊だ。
自らの死も、仲間の凄惨な末路も、全てを忘れて――未練と執念を胸に、街を彷徨う亡霊だ。
……自身の死を自覚した青年が、それ以降どうしていたのか。
それきり、話しかけても青年に気づいてもらえなくなったロザリーに、それを知る術はない。
ただ、一つだけ言えるとすれば。
――自身が死んでいたとしても、仲間が死んでいたとしても、たとえその行為に意味がないとしても。
青年が、彷徨う亡霊が、その行いを改めることは永遠にありえないだろう、と、ただそれだけだ。
タイトルの■は「死」や「生」、「時」や「人」などなど、いろんな漢字が当てはまります。