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【IV】

「秋也」

 

 

 ドアの外にいる秋也を呼ぶ。窓に映っていた影が動いた。彼も今の話を聞いていたはずだ。きっと、機嫌が悪いだろうな。

 ふと頭の隅でそう思う。

 

 秋也が入ってくるのを待ちながら、鈴音はベッドの傍らに置いてあった段ボールに手を伸ばし、中からセーターを取り出した。今来ている服は最早衣服の役目を果たしていない。治療のために肩の部分は破られているし、自分の血がべっとりと付いてしまっている。

 まだ上手く動かない腕に悪戦苦闘しながらTシャツを脱ぐと、そばに突っ立っていた汐里が息をのむ気配が伝わった。

 やがて、震える声で言う。

 

 

「女の子、だったんですか……?」

「別に隠してたわけじゃないんだけど」

「だって、本当に男の子みたいに振舞ってたじゃないですか!」

「そんなの、あんたには関係ない」

 

 

 着替え終わると、ベッドから起き上がり、身体を引きずるようにして外に出る。鎮痛剤を先ほど打ったとはいえ、体はまだ貧血気味なのだろう。

 ドア付近で何をするでもなく突っ立っていた秋也の耳元に低い声で囁いた。

 

 

「汐里にはあまり関わるな」

「だったら何で受け入れた? 言い訳なんぞいくらでもあるだろ」

 

 

 やはり機嫌が悪い。

 いつもなら鈴音の言うことには黙ってきたはずだというのに今日に限って反論を返す。

 

 

「おれにはおれの考えがある。詮索は無用なはずだろう?機会があったら話すさ」

 

 

 ちっ、と聞こえた舌打ち。

 今日、秋也の舌打ちを聞いたのは2回目か。

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

「とりあえず今日はもう寝ろ。汐里の事情はまた明日だ。寝る場所は、そこのベッドソファー。段ボールの中にある毛布も適当に使っていい」

 

 

 そう言って鈴音はさっさとベッドに潜り込んでしまった。汐里も毛布を取り出して潜り込む。

 毛布を頭までかぶって瞳をきつく閉じて、そのまま思想へ没頭する。

 

 鈴音……少年のふりをした少女。なぜ、その必要があるのだろう。女ならそのままでいいだろうに。

 貧困の街と呼ばれるSIDならではの理由でもあるのだろうか。

 正直、怖い。自分は何も知らないのだ。この街の掟、常識、生活のリズム。

 おそらく自分が今まで生活してきたものとは大分違うと思う。

 すれ違った人々は皆、冬だというのにコートを着ていない人ばかりだった。やせ細った餓死者もいた。当たり前のように道に転がっている死体。それらから放たれている腐臭と出店から漂う香ばしい香りのコントラスト。道の片隅で食糧を乞うホームレス。

 汐里は毛布の中で頭を抱えた。

 瞳に白目を剥いた餓死者が。

 耳にホームレスたちの叫びが。

 鼻に吐き気のするような腐臭が。

 こびりついて振り払えない。

 

 

「どうした?」

 

 

 ふわりと毛布を被った頭に手が乗った。驚き、顔を毛布の中から出す。そこには、鈴音がいた。暗闇で表情はわからない。

 けれど、掛けられた声には優しさがほんのわずかに滲み出ていて。

 

 

「り、んねさん……?」

「怖いのか?」

 

 

 鈴音が低く問う。その声になぜか安堵してようやく一筋の涙が頬を伝った。伸ばされた冷たい手にすがり付いてすすり泣く。

 

 

「怖かったときは泣けばいい。遠慮なく泣け。泣いた分だけ、怖さが減る。泣き疲れたら眠るといい」

 

 

 鈴音の声は子守唄のようだ。

 さっきまで全くなかった眠気がごく自然に引き出されてきた。

 緩やかに、緩やかに、眠りに落ちてゆく……

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

 静かな寝息が聞こえてきた。

 鈴音はそっとそばを離れる。

 

 

 

「何らしくないことやってんだよ」

「まだ起きていたのか」

 

 

 秋也の言葉を無視して違う質問を投げかけた。

 

 

「まあな。お前のことも少し気になったし。……さっきのはなんだ」

「随分とご機嫌が斜めじゃないか。ヤキモチか?」

「うるせえ。はぐらかすな」

 

 

 威嚇する低い声に鈴音は怯むことなく溜息をついた。厄介なやつに見られたな。

 秋也は鈴音の感情の動きに敏感すぎる。

 

 

「おれが誰に愛着を持とうと勝手だ。おれが心配か?」

 

 

 わざと言葉の端々に揶揄を含ませる。

 

 

「ああ、心配だね。鈴音はおれにあいつには深く関わるな、って言った。あれは鈴音、お前に対しても言えるんじゃねえか?」

「言えないな。おれは秋也と違って感情任せに暴走したりしない」

「ふん。随分とおれも格下に見られたものだな。おれだって感情をコントロールするくらいの脳みそは持ち合わせてるんだぜ」

「その御自慢の脳みそでも、汐里と秋也は相性が悪いと忠告しているのが分からないか?」

「はっ、分からないね。まだ会って一日も経ってねえだろ。何でお前にそんなことがわかる?」

 

 

 まるで腹の探り合いだ。秋也がここまで鈴音を追及したのは初めてのこと。

 何をそこまで言うのか。

 

 

「わかった。降参だ。これ以上無駄な口論をしても仕方ない。率直に聞く。秋也、お前、何が言いたい? おれにどうしてほしいんだ?」

 

 

 両手を挙げて降参のポーズをとりながら鈴音は瞳を光らせた。

 

 

「ふん。無駄な口論か。おれは言いたいことはない。ただ聞きたいことがあるだけだぜ」

「聞きたいこと?」

「鈴音、お前はそこの女と誰を重ねてるんだ?」

 

 

 重ねて。

 顔はそっくりだ。声も艶やかな栗色の髪の毛も。確かに重ねているのかも知れない。凛々亜の面影を汐里という全くの別人に。

 

 

「別に重ねてなんかいないさ。 そもそも重ねる相手がいない」

「嘘も対外にしろ。そしたらさっきの行動はなんなんだよ。おれは鈴音のあんな声、初めて聞いたぜ」

「気のせいだ。傷が疼くと声も上ずる」

「苦しい言い訳だ」

 

 

 の言葉を最後に両方とも口を閉ざし、闇の中に沈黙がおりた。どのくらいそうしていただろう。

 時計の針はすでに12を超えていた。先に目をそらしたのは鈴音。

 

 

「……もう寝ろ。おれも疲れた。早く寝たい」

 

 

 突っ立ったままの秋也の脇をするりと通り抜け、ベッドに潜り込む。

 

 

「鈴音!」

 

 

 秋也が引き留めるが、無駄だったようだ。

 眠りに落ちてはいないものの、もう言葉を交わす気はないらしい。

 苛立った感情をぶつける当てもなく、秋也は自分の髪の毛を掻きまわした。

 それぞれの想いをのせて夜は更けてゆく。


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