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第一章:やがて幕は開く【I】

 2030年1月。

 南に位置する街、「SID(シッド)」。いつからその名がついたのかは明白ではない。SIDは政府に見捨てられた街として長い間、存在してきた。辺りは絶え間ない罵声と争いの音が満ちており、それが途切れることはない。

 そんな街の一角に少年、鈴音(りんね)が静かに佇んでいた。

 着古したような大きめのTシャツ、薄手のジャケットにジーパン。その姿は真冬の格好には少し寒いだろう。しかし、鈴音はそれを気にせずポケットに両手を入れ、睨むように深い黒色の瞳を朝日に向けている。

 

 

「鈴音……何を考えている?」

 

 

 背後で低い男の声が聞こえた。秋也(しゅうや)だ。SIDに来てからずっと一緒にいる。鈴音が雇った人材だった。秋也の住居と食事を保証する代わりに、秋也には鈴音の仕事を手伝わせている。背が大きく、無駄な肉など一切付いていない細身の体型。それからは想像できないような筋肉が服の下には隠されている。

 

 

「別に。今日の仕事は大変そうだな、って考えていただけだ」

「ああ、依頼来てたんだっけ? おれは何か手伝うことあんの?」

 

 

 鈴音は黙ってポケットから紙切れを2枚だした。それを秋也にひらひらと見せる。

 

 

「今日の依頼。外野の社長夫人からと、ここの外れにあるパン屋から」

 

 

 外野とはSIDから電車で2時間の場所にある、高級住宅街のことだ。他に正式な名前があったが、思い出す必要はないだろう。

 

 

「ふうん。どっち行く? おれはどっちでもいい」

 

 

 秋也が面倒くさそうに言う。それを聞くと鈴音はパン屋の依頼が書かれた紙を2つに折って、秋也に渡した。

 

 

「外野のほうに行く。こっちの方が楽しめそうだ。パン屋は家の取り壊しの依頼。主人の目を盗めたら、何か盗ってきても構わない」

「了解」

 

 

 短く返答がして、秋也の気配は遠のいた。AM5:00。依頼人との待ち合わせは7時半だ。今から電車に乗ったとして、十分に時間はある。

 鈴音はその場から身を翻し、やや早足で駅へと歩を進めた。

 

 

 

 *****

 

 

 

 そもそも、鈴音たちがやっている仕事とは何なのか。簡単に言えば、「何でも屋」である。金さえ払ってもらえば、どこの住民だろうとどんな内容だろうと老若男女問わず引き受ける。

 例えば、さっきの家の取り壊し。あんなのは意外と楽な作業に入るだろう。鈴音が記憶する中での最悪の依頼は、「銃の練習相手」。要するに、的になれ、と言う依頼だった。鈴音が依頼人を殴り倒したのは言うまでもない。

 今回、鈴音が受けた依頼は「娘の命を狙っているやつを捕まえてほしい」。この依頼を聞くなり、金持ちも大変なのだと軽く嘲笑したものだ。家の取り壊しなんかよりずっといい。スリルがあった方が仕事としてはやりがいがある。

 

 人気のない電車を最寄駅で降りて、徒歩15分ほどのところに依頼人の家は堂々と建っていた。

 ドアに付いていたインターホンを鳴らす。思いの(ほか)大きい家だ。鈴音からしてみれば土地と金の無駄遣いにしか見えないが。玄関前、監視カメラなし。警備もなし。一応、大手玩具メーカーの社長自宅なのだが、不用心も甚だしい。もう少し自覚を持ってほしいものだ。家に金をかけるより警備や監視カメラをつけた方が、娘が命を狙われるなんて可能性はぐっと減る。

 メイドらしき人が応対し、用件を言うとすぐに大きい門が重たそうな音をたてて開いた。

 

 

「依頼人の新庄です。噂は聞いておりますわ」

 

 

 入るなり待ち受けていた、新庄が勝手にしゃべりだした。

 

 

「鈴音です。それはありがとうございます」

「ええ、とっても耳障りな噂を。SIDの住民なだけあってとても粗雑で、薄汚れていると」

 

 

 いつものことだ。そんなことを鈴音に言ってどうしようというのか。肉弾戦ではもちろん、口論でも外野に勝つ自信はある。

 

 

「そんな薄汚い住民に何を期待してこんな依頼をされたと?報道の方にばれては不味いからではないのですか?」

 

 

 口の端を釣り上げて、馬鹿にしたように笑う。新庄の眉間に皺がぐっと寄った。

 分かり易いな。

 心の中で低く呟く。新庄はこれ以上詮索されるのを嫌ってか、いきなり身を返すように話題を変えた。

 

 

「……報酬は大層な額だと伺っておりますが」

 

 

 そうでしょうか、息を吸い込んで答えた鈴音の鼻にきつい香水の匂いが届いた。不快な匂い。

 

 

「実際は、幾らほどの報酬をお望みなんですの?」

「そうですね、金貨7枚ほどではいかがですか?」

「なっ……!」

 

 

 鈴音の出した金額に動揺したらしい新庄が顔色を変える。鈴音はその様を例の黒色の瞳でじっと観察していた。

 ──応じるか、応じまいか。

 選択肢は二つだけである。妥協は許さない。応じなければ、こんな仕事は放っておくだけのこと。

 

 

「それでは、応じない、とのことでよろしいですか?」

 

 

 新庄の言葉に重ねるように問掛ける。その肩がビクッと揺れた。金持ちたちが忌み嫌うSIDにわざわざ仕事を頼むほどの事だ。簡単に「そんなには払えません、さようなら」で片付く内容ではないはず。

 さあ、どうする?金持ちさんよ。

 

 

「……分かりましたわ。お支払いいたします。他に条件はございますの? この際です。何でも受け入れてしまいましょう」

 

 

 賢明な判断だ。新庄もただぬくぬくと育ってきたわけではないらしい。社長夫人としての潔い決断力がある。

 

 

「ありがとうございます。それでは、他に缶詰や洋服をお願いします。……依頼内容を詳しく教えてください」

「娘の護衛ですわ。手紙でも言いましたように、ここ1週間娘を狙う輩がおりまして。捕獲してほしいのです」

 

 

 なるほど、鈴音はそう相槌を打った。……とするとライバル業者の仕業の確立のほうが高いな。これは早く決着がつきそうだ。

 相手が初心者であれば、よほど手を抜かなければ素手でも捕まえられる。その自信と技量が鈴音はあった。

 

 

「わかりました。報酬は後ほどいただきます。こっちで動くので無駄な干渉はしないでください」

 

 

 釘をさす。ど素人が鈴音の仕事に口出しをされると動きにくくなるのだ。かくして、鈴音は犯人を捕獲するべく動きだした。


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