砂漠の夜、よき出会いに
出てくる楽器は全て弦楽器です。
例に漏れず専門外なので、史実や地理と矛盾するところはご容赦ください。
金糸銀糸をあしらったアラビアンナイトと唄われる物語の挿し絵の砂漠は、遥か果てしない砂丘を三日月、あるいはまんまるお月さまがお行儀よく真上から照らしているものが主流だが、実際はそんなロマンティックなものではない。
荒涼と広がる乾いた土に、所々視界を潤す仙人掌、夜風が運んでくる砂に身を打たれ、ああ、このくらいで夜営しませんか、と相棒が言うので、同じ事を考えていた、と私も一つ頷いたのだった。
歩いて二日ほどでたどり着ける街と街を往復し、装飾品を売買する商売を始めたのはここ三年ほどとなる。若かりしころ、それはそれは煌びやかな宝石に囲まれて育った。着飾り身につける、そんな意味でだ。しかしどんな理由かはしらないが、あれよあれよとお家は没落、御取り潰しと相成った。そこからは様々に仕事を経験し、皮肉にも幼い頃から本物の宝石と触れ合う機会が多かった為か宝石商へと落ち着いた。働くこと事態は嫌いでなかったので、こんな没落貴族の私にも、意外と世間の目は優しかった。
行商人らと共に拠点へ戻る旅路は楽しかった。戦果は上々、浮かれて馬車の上でウードなど弾き、年甲斐もなく若者の間で流行りの歌を口ずさみすらした。
気づいたのは拠点に戻ってからだ。
積み荷のなかに客に渡したはずのペンダントが、キラリと光を放っていた。
各々、黙々と天幕を建てる軽い金属音がしつこく吹き続ける風の音に混じる。
女の身空で二人旅だが、互いに自分のことは自分でやってしまう、気楽なものだ。つい先日のように、風が強くなければ天幕を組み合わせて大きな一つにして共に寝たり、星を見ながら、入れたアラビアンコーヒーをすすり長く語らうこともあるだろうが、今宵はどちらもできそうになかった。
この不慮の旅の相棒は、職場の下働きをしていた若い女性だ。この辺では珍しい瞳の色で、わりと有名人である。こんな時に行商が捕まらないので二人でいってこい、なんて、こんな二人組が旅などしたら野盗の格好の餌食だ、と最初こそ顔を青くしたが、聞けば遊牧民の出で儚い見た目と裏腹に、相当の手練れとのこと。
訝しんでると、ぐだぐだ言っていないでさっさとお客様にお渡ししてこい、という事で息をつくまもなく職場を追い出された。つまり、彼女はとんだとばっちり、ということだ。
さて、小休止からややあって、砂ぼこりで星も見えなくなってしまった。進み続けるのが不可能と決定打が打たれれば、急ぐ旅と燻っていた焦燥感も諦めへと変わると言うもの。ゆっくり嵐が収まるのを待って、また歩を進めることにしよう。
天幕が組上がって、軽く声を掛け合って早めの床につく。
「焦ってらっしゃいますか」
彼女から、ふと声をかけられた。
「いえ、ここまで砂嵐が酷くなれば、諦めもつきます」
苦笑いを声に乗せたが、この暗がりでは表情もよく見えないだろう。ここしばらく共に過ごしてわかったが、彼女は実に有能かつ、献身的だ。雇い主でもない私に甲斐甲斐しく気を使ってくれる。
「明け方と共に立って、街の要件を済ませたら宿でもとって休みましょう。帰りは急がなくてもよいと承っておりますから」
にこりと、顔は見えないが彼女が笑ったようだ。しかしそれはいい、朝になって、風がやんでいればよいが。
結論から言うと、明け方には嵐はやみ、我々は早々に天幕を片付け、目印の夜の名残の星を目指して勇み足で歩を進めた。
思ったよりも目的の街は近く、すぐさま依頼人に件のペンダントをお返しし、お詫びとして対の耳飾りもお渡しし(私の給料から天引きである)、馴染みの宿へとふらつく足を叱咤して駆け込んだ。
木製で慎ましやかな装飾の施された扉を開け、旅のためだけの荷物を足跡を残すように次々外しながらベッドへと向かう。その後ろを、私の足跡を拾いながら彼女が着いてくる。
「水浴びをしてからお休みになってくださいね」
ここの宿はお湯も用意してくれてますから、と、ベッドに腰掛け船をこぎ出した私に、いささか呆れを含めての忠告だ。
ああ、わかりましたよ、と返して、靴に手をかける。
「…脱げないな」
「あら」
そう、脱げないのだ。久々の歩きの長旅に、すっかり浮腫んでしまったらしい。
努力すれば脱げるのだろうが、その体力すら使うのが惜しい。すっかり元の姿勢に戻った私に彼女は、ふむ、と鼻をならして近づいてきた。
「ちょっと、失礼しますね」
「わわぁ、」
彼女は私の両の足をむんず、と掴むと、ベッドの縁の少し高くなっている柵へと持ち上げた。
当然、私は支えを失ってベッドへころりと仰向けに寝転がった。
足だけをベッドの縁にかけ、完全に行儀の悪い様相である。
「足を高いところに置いておくと、浮腫が引きますから、しばらくそうなさっていてください。私は取ってくるものがありますので、このまま待っていてくださいね」
目をしばたたかせている私を尻目に、彼女は足早に部屋をあとにした。
ああ、確かに足がじわじわと楽になってきたようだ。と同時に、形容しがたい疲れが、土踏まず、そしてふくらはぎに貯まってきているような錯覚に陥る。奥から染み出てくるような、痛みに似たどろどろとした疲れだ。
そろそろ耐えられない、というくらいになって、彼女はタライ、湯沸かしを持って戻ってきた。
私が困ったような顔をしていたからだろう、彼女は道中何度か見た表情でクスリと笑うと、すぐ楽にして差し上げますから、なんて悪役さながらの言葉を宣った。
彼女はタライに部屋に備え付けの水場から水を組むと、そこに沸かしたてのお湯を注ぎ入れた。
とたんに、甘い花の香りが漂ってくる。これはなかなか好きな香りだ。エキゾチックで、華やかな寺院を彷彿とさせる。
「よい香りですね」
「イランイランを湯沸かしの時に入れたのです。副交感神経に作用し、心地よい眠りに誘うのです」
彼女は少し難しいことを言ったようだが、歌うように語る彼女は心なしか楽しそうだ。
「女性の美容にもよい香りとされています。せっかく綺麗なお顔立ちなのですから、磨かないと損ですよ」
誉められたようだ。若いころ、見てくれに関するおべっかは嫌というほど聞いて辟易していたが、彼女から言われると悪い気はしなかった。職人になってからは生きていく上で美容はあまり気にしてなかったし、必要も無かった。だが、そう言われるとこれから少し気にしてみようかとも思う。
「おきれいなんて、久しぶりに言われました。あなたみたいに若くて美しい人にそう言われると、光栄です」
そういうと彼女は綺麗な目を伏せて、少し照れたようだ。ごまかすように、さぁ、靴を脱ぎますよ、と言っていくぶん緩くなった靴を手ずから脱がせてくれる。
靴下をはぎとり、丁寧に 緩い洋袴の裾を折り、お湯を足してちょうどよくなったタライに足を入れてくれた。
途端に、しびび、と気持ちよさが頭頂までかけ上がってきた。
少し熱いくらいと感じたお湯が、すぐさまちょうどよく馴染む。
だらしない表情をしていたのだろう、彼女は私の様子にほっとしたようで、微笑みながら更に足を擦ってくれた。
「これでよく寝れば、疲れも取れますね。あ、体は吹いてくださいね」
暖かな濡れ布巾が渡される。ちょうどよく絞られたそれを、私はこれまた緩い上着の下に緩慢に滑らせた。そのぎこちない動きを見て、彼女は、後で後ろはやってさしあけますね…、と少し呆れ顔をした。
暖かな湯のなかで、足の指の隙間、爪の間、踝を擦られ、その度にじわっ、じわっ、と快感が背筋をかけ上がる。
しばらく両足をそうして、少しお湯が温くなったら、また同じように新しいお湯にして、今度はふくらはぎまでお湯をかけては擦ってくれた。
下からぎゅー、と両手で足を絞られると、件のどろどろとしたつかれが血の中に溶けて流れ、気持ちよさとなって戻ってくるような、不思議な感覚である。
踝をぐるぐると押されると、足全体がじーん、とするような心地である。
足裏を押し、指先にいき、足裏に戻ってくる。少しづつ疲労が散っていくような感じに、いよいよ意識が保てなくなってきた。
ちゃぷり、ちゃぷりと、定期的にふくらはぎに湯をかけてくれる。湯も、ての感触も温かく、花の香りもあいまって、まるで夢見心地だ。いや、ひどい睡魔でほんとうに夢か現かわからなくなってくる。
寝たら流石に失礼だろうか、しかしいつ落ちてもおかしくないところまできている。
またタライのお湯が冷めてきて、彼女はそっとお湯から私の足をあげた。どうやら、ふかふかしたタオルでそっとぬぐってくれているようだ。
もう目を開けていられない私は、またふわりとした花の香りにくん、と鼻をならした。
「最後に、マッサージオイルで仕上げますね。ふふ、ここまで起きていただけでも頑張りましたね。さぁ、寝てもいいですよ」
寝てもよい。
よし、の声に意識のなかで喜び勇んで飛び付いて、その瞬間に私は眠りの世界へと沈んでいったのだった。
夢の中で、まだきらびやかな生活をしていた私が、駱駝にのってはしゃいでいた。
駱駝を引くのは小さな子供を連れた父親で、駱駝を育てて暮らしているものだ。
教育熱心だった父が、駱駝を駆る自分の子供にロマンを抱いていたころ、何回かこういう体験があった。
そして、その度にそこの親子の小さな子供と、よくお話をしたのだ。印象的な、緑色の目をした子供だったから、その瞳に似た宝石をこっそり渡したりした。
どんな宝石よりもきれいだと、子供心に思っていたのだ。
帰りの旅は運良く行商がつかまり、同行させてもらえることとなった。
朝早くから水浴び場に放り入れられた以外は抜群によい朝だったので、またしても私は上機嫌でカマンチェなどを弾き、行商のサントゥールと即興を楽しんだ。
彼女も歌に誘ったが、専門外だという。
「ならば私から歌を送りましょう」
重責から解き放たれ、浮かれた私はまた年甲斐もなく若者の間で流行っている歌を歌い始めた。
「あら、それはなんという歌なんですの?」
おや、彼女は若いくせに流行に疎いのだな。そうだな、答えは気持ち良く歌い終えてから、ということで。