01
新井さん、ちょっと職員室に来て下さい。
担任の長谷川先生にそう告げられたのは六時限目のホームルームを終えた後だった。
なんの前触れもなく突然、名指しで呼ばれて一瞬はっとしたが、それも束の間。直ぐに倦怠感が全身を支配した。
こういう場合は十中八九、大した用じゃない。どうせ雑用か何かを任されるだけに違いない。それも達成感もやりがいも全く感じない単調な仕事だ。正直言って面倒くさい以外の何物でもなかった。
大体、何故僕が選ばれたのか。周りを見渡せばな他にも生徒が残っていたはずだ。
例えば、大量のスナック菓子を机に広げてお喋りを楽しむ女子。勉強会と称しているらしいが教科書はおろか筆記用具すら出していない。唯一出ているものと言えは愚痴くらい。偶に笑い声にクラスメイトの名前が聞こえるから恐ろしい。
他にも、教室の片隅で携帯ゲームをしている男子二人組。おそらく通信対戦でもしているのだろう。さっきから眼鏡を掛けた色白の方の男子が必死の形相で携帯画面に向かって何か叫んでいる。
しかし、あれはもう駄目だろう。対戦相手の坊主頭の余裕な顔が見れば分かる。一目瞭然だ。ほら。やっぱり負けた。
ドンマイ、と言ってやりたいところだが彼は今、人の話を聞ける心中ではないのだろう。頭をぐしゃぐしゃ掻き毟りながら「マジか、くっそー!」なんて叫んでいる。とばっちりを受けそうで怖い。
対照的に坊主頭の方は椅子が倒れる位の勢いで立ち上がって「よっしゃー!」とガッツポーズをして喜びを露わにしている。相当嬉しそうだ。 きっと運が良かったのだろう。そして負けた方は運が悪かっただけ。ただそれだけのこと。
だからこういう時はこう思えばいいと僕は考えている。
「仕方ない」
時刻は三時三十分。
先生に呼び出されてからいつの間か二十分近くが経過してしまっていた。
少し遅くなってしまったかもしれない。どんよりと薄暗くなった空を見て、ふと思った僕は足早に教室を後にした。
一体どのくらい時間がかかるのだろうか。なるべく早く帰りたい性分の僕は憂鬱で仕方がなかった。
「すみません。少し遅くなりました」
僕を待ち受けていた先生は少し不機嫌そうだった。
俯いて頬杖をかいてるせいで鮮明な表情を捉える事は出来ないが眉間に皺が寄っているのだけは分かった。
何か深い悩み事があるのだろうか。それとも僕が遅くなった事に憤りでも感じでもいるのだろうか。どちらにせよストレスが随分と溜まっているのだろう。少し薄くなった頭頂部が見えて、そんな事を思っていると突然顔を上げた先生と目が合った。
「新井さん。ふざけていますか?」
「……え?」
頭を前後から同時に叩かれた様な衝撃が脳に走った。
あまりの突然の出来事に僕はまともな返事が出来なかった。もしかしたら思考回路がショートしてしまったのかもしれない。
「これを見なさい」
先生は僕に考える間を与えたのか、インサートカップに入ったコーヒーを一口啜った後、デスクの端に置いてあるプリントを指差した。
山積みになっていて、はっきりとした枚数は把握出来ないが恐らく三十枚程はある。勘ぐっていた通り雑用を頼まれるだけじゃないか。先生が指差したその刹那はそう思ったのだが、どうやら少し違う。
見覚えがあった。
「これが何か分かりますか?」
分かるも何も先生が指し示したのは六時限目のホームルームの授業の冒頭で皆に配った課題プリントだった。
忘れるはずがない。
初めてだったのだから。
このクラスになってから皆の心が一つになったのは。
先生が授業の冒頭で、今日は課題を出します。と言ったあの瞬間、皆が一斉に猛反対したのを忘れるはずがなかった。
「さっき課題のプリントがどうかしたんですか」
僕がそう言うと先生は山積みになったプリントから一番上のプリントだけを抜いてデスクの中央に置いた。プリントの大部分が真っ白のままで、唯一書かれているのは最初の一行だけ。
直ぐに自分のものだと分かった。
「他の生徒はしっかり書いているのに、こんな風に提出したのは新井さんだけですよ」
段々分かってきた気がした。
僕が職員室に呼び出されのは先生の雑用をする為なんかではなくて、この課題プリントの話をする為。そして先生は僕の書いたプリントに納得がいっていない。
職員室に呼ばれた経緯を簡単に纏めてみると大体こんな感じだろうか。
しかし僕にはまだ分からない事があった。
「では聞くぞ。お前は本当にそう思っているんだな?」
眉間に寄せられたしわは最初の頃よりだいぶ増えていた。
「はい。」
即答だった。