カーツ法定傭兵団 Ⅰ
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ラズリエル・サリメイル、通称ラズリィはカーツ法定傭兵団の技術顧問である。
技術顧問は主に学芸面や技術面での貢献を目的に雇われており、いわゆる剣士などに代表される傭兵とは異なる。つまり、肉体労働ではなく頭脳労働が専門の職種だった。
彼女は特に魔法技術の専門家として雇われていた。
ラズリエルは、紫系と紺系ばかりのドレスが何着も並ぶクローゼットから、ブドウ色の一着を取り出して身にまとい、商売道具であるペンと紙を納めたポーチを腰に帯びた。
大きな姿見の前で鍔広のトンガリ帽子を頭に載せ、角度を慎重に変えて身だしなみを整えてから家を出た。
町の中心部である丘の外縁に位置する比較的高級な住宅街からモルゲントルン西の大門へ向けて歩き出す。
雲一つない空に太陽が昇り、今日もよい天気になりそうだ。
ラズリエルは汗をかく前に若干胸元を広く開けた。
道行く男どもの視線が集まるのは気にならなかった。むしろ、こういう注目は望むところ。彼女の人生計画では、いずれ操りやすい金持ちのイケメンが引っかかるはずなのだ。
「う~ん……」
迷える声を洩らして、足を速める。
今日は仕事の割り当てがないため、のんびりできるなと遅く家を出たのだが、すでに昼が近い時刻である。団長のカーツはそうでもないが、屯所への出勤時間を過ぎると副団長が非常にうるさい。
しかし、歩く速度はすぐに鈍った。
所詮、定時は過ぎている。どうせうるさいなら、急ぐ必要もない。それに、これは遅刻ではない。出勤時間は技術顧問の勤務における裁量の範囲内である。きっと。
そんな反省の色がまったくない自論を展開すると、ラズリエルは気楽に寄り道を始める。
たっぷり三十分をかけて西大門前広場に到着したとき、広場には屋台が軒を連ね、早くも食欲を刺激するよい香りを漂わせていた。
彼女の所属するカーツ傭兵団の屯所は西大門入って正面にあり、黒塗りの目立つ三階建ての建物だった。
モルゲントルンの大城壁は東西南北のそれぞれに大きな門を備え、外界とを隔てている。そこには広場があり、また守備隊が怪しい者を寄せ付けないように目を光らせる詰所もあった。
法定傭兵団の多くはそういった門前に居を構える。それは有事の際に外敵に真っ先にぶつかっていく心意気を示しているからだ。
そんな殊勝さは欠片もないラズリエルは屯所の前に屋台に寄ろうと方向転換した。
つまるところ傭兵は雇われ者。少なくとも彼女には、門の近くに屯所があるのは、粉飾した忠誠心の表れではなく、真っ先に逃げるためと理解していた。
屋台に向かう前にふと屯所に目をやる。すると、切れ長の目はとある人物の後姿を捉えた。すらりとした背の高い青年だ。黒い上着を腕にかけ、屯所の前で立ち尽くしている。青年は淡い金髪の頭に当てていた手を顎に移し、その後下を向いて悩んでいるようだ。
長く伸びた手足。しなやかで優美な所作。清潔そうな白いシャツが陽光に映え、黒いズボンは仕立もよくきれいに穿かれている。屯所でくだを巻いている連中とは装いからして違う。
ハートにビンビン響くものがある。
あれはきっと『イケメン』!
師匠譲りの煩悩センサーが敏感に反応したラズリエルは回れ右をして、黒い建物へ直進した。
イケメンの背後に音もなく忍び寄る。
「ねえ、お兄さん。うちの屯所の前で何してるの……って、あ、あれ?」
振り返った青年の容貌は優男風で確かにイケメンだった。ただし、見覚えのある面だ。
「おまえは、デタラメなゲ……もといお色気女」
そう言ったのは、昨日情報の仕入先を教えてやった教戒師であった。
彼の顔は不愉快さに染まり、その右頬には湿布のような布が貼られている。どうやら、考えなしにどん底クズ酒場へ行って痛い目を見てきたらしい。
やっぱり聖職者は愚かだわ~、との感想は呑み込んだ。
それより、その彼がどうしてカーツ傭兵団の屯所前で突っ立っているのか。それは当然、仕返しに来たのだ。絶対にそうだと確信した。
先手必勝。女は度胸。出鼻にガツンと喰らわせてやる。
そう考えたラズリエルは傲然とこうべを反らせ、挑戦的に言ってやった。
「ハン、あたしにデタラメに凄い色気があるのは自他共に認めるところよ。でも、復讐する相手を、あなたは間違えているわ」
「復讐?」
「あたしにあれを言わせたのはカーツよ。つまり主犯はカーツ。文句があるなら、美しいあたしではなく、むさ苦しい団長のカーツに言うこと。それから、それを教えてあげたあたしには感謝すること」
青年教戒師の顔は呆れ顔に変じた。その後、何やら後悔の色をみせると、彼は息を大きく吸い、踏ん切りをつけるように言った。
「そんなことはどうでもいい。私はカーツ傭兵団に入団するために来たんだ」
想定外の返答にラズリエルは目を見開いて驚いた。
にわかには信じられない。肉体的苦痛でおかしくなって喜びでも感じてしまったのか。さもなければ新手の嫌がらせか。
「にゅ、入団? まさか入団してあたしをかどわかす気!?」
「え?」
「あたしの美貌に目がくらんでも仕方がないけど、お生憎様、きれいなバラには棘があるって言うのを知らないの? この場で叩きのめしちゃおうかしら。手加減なんかしないから、きっと痛いわよお。あたしのような超絶美女に折檻されるなんて屈辱的よね~」
そして、鋭い吐息とともに拳を構える。やだ、あたし、カッコいい、とここで自画自賛。
が、それは無感動、いや完全な無の境地で見返されてしまった。
あまりの無反応さに眉根を寄せるラズリエル。
「えっと……やっぱり倒錯世界の住人で密かに喜んでる?」
今度は疲れたような溜め息をつかれた。
「妄想の垂れ流しはやめろ。本当に入団しにきたんだ。団長に取り次いでくれないか」
ここでようやく真面目な入団希望だと、ラズリエルは気づいた。とりあえず、恥ずかしさの残る拳を下げ、青年についてくるように言った。
彼はようやく安堵した表情を見せ、後に続いた。
塀で囲われた狭い前庭を抜け、消炭色の玄関前で止まる。
ここで待つように告げると青年は首を縦に振り、立ち止まった。
その後彼は、玄関の上に吊るされた『カーツ傭兵団』と記した金属製の看板に目をやり、その上に掛けられた法定傭兵団であることを示す剣と斧が交差したエンブレムを感慨深げに眺め始めた。
よし、今だ、とラズリエルは注意が看板に向けられている隙に素早く玄関扉の内側へと逃げ込んだ。
受付に詰めている男が馴れ馴れしく声をかけてくる。
「よう、ラズリィ、昨夜はお楽しみか? それにしても乳がデカイな」
「黙れ、エロカス」
爽やかに朝の挨拶を済ませると、三階まで一気に駆け上がり、奥の団長室へ飛び込んだ。
「カカカカーツ! 来た!」
団長のカーツが書類に埋もれた机から顔を上げる。しょぼしょぼした目が入室したのが誰かを理解すると、再び伏せた。書類仕事の真っ最中のようだ。
ペンを持った手を止めずに彼は刺々しい声で言った。
「今日のおまえへの命令は三つだ。まず、俺の名前を勝手に改名するな。ノックは必ずしろ。俺は書類仕事が忙しいから戻って誰かの手伝いをしろ。さ、出て行け」
「仕事なんかしている場合じゃない! 変態が来たの!」
「仕事しないと金がもらえんのを知らんのか。それに俺はおまえ以上の変態を知らん」
この男に減らず口を叩かせたら右に出る者はいない。ラズリィは思わず金切り声で言い返したが、すぐに我を取り戻した。
「キィーイ、誰が変態よ。いやいや、そうじゃなくて、昨日どん底クズ酒場を教えてあげた教戒師が来たの」
それを聞いた途端にカーツの声から疲れが消える。ペンを走らせる音が途切れた。
「ほう。それで用件は?」
「入団したいそうよ」
団長の頭が勢い欲上った。しょぼくれた顔が別人のように生き生きとしだした。
「わかった。すぐに会うから、応接室へ通してくれ」
団長は二つ返事で会うとのこと。何の疑問も持たない様子に、思わず訊き返す。
「ホントに?」
「当たり前だ。子供を守ろうという気概。警務官相手に退かない胆力。あの状況で冷静に正論を吐き、色々計算もしているようだ。実に俗臭い、いい人材じゃないか。うちに来てくれないかと思ってたんだ」
確かにあのとき教戒師に話しかけようと言ったのはカーツだった。
しかし、どん底クズ酒場を紹介したのはラズリエルであり、しかも悪戯心で教えたのだ。それでカーツ傭兵団に入団したいというのは理解に苦しむ。
ラズリエルはげんなりして腹の底から声を絞り出した。
「それで来るとは、やっぱり変態マゾ男かぁ……」
苦笑を浮かべたカーツは肩をすくめる。
「変人はおまえだけで充分だ。彼はな、傭兵という職業を好きじゃないらしい。だから、昨日はちょっと印象付けをしたんだよ。どん底クズ酒場をおまえが教えたのは計算外だが、たとえ文句を言いにでも後日うちに来るきっかけにはなる。来たらうまく丸め込むつもりだった。道端で適当に蒔いた種だったが、しっかりうちの畑に芽を出した。これは脈ありだ」
「たまたまじゃない」
指摘すると、ニヤリと笑い返された。
「それが縁というものさ。それにログからも推薦を受けているしな」
「あら、そうなの。あの片手顎鬚が推すなら、検討の余地はあるかしら」
「そういうわけで早く捕まえたいから、さっさと応接室に案内するんだ」
彼は立ち上がると、追い払うような仕種を繰り返した。
ぞんざいな扱いに、ラズリエルは唇を尖らせて階段を下りていった。
単なる偶然をあたかも自分の策略であるかのように話す。
それはカーツお得意の口八丁であり、他の傭兵団からは陰で『口達者傭兵団』などと揶揄されている原因でもある。だが、その口八丁はちょっとした成果をあたかも意義深いものに仕立て上げて、何故かカーツ傭兵団の地位を向上させている。
それは西大門前に屯所を設けられることにも表れていた。東西の門前広場は西方街道に直結しているため、南北に比べて信用と実績のある法定傭兵団でなければ拠点をおく許可が下りないのだ。
ラズリエルは一階に戻ると、玄関扉を開けて手持ち無沙汰そうにしていた教戒師を屋内に呼んだ。
「団長が会うわ。こっちに来て」
「ありがとう」
青年教戒師は台詞ほども感謝していない顔から薄い布をペリッと剥がした。
それは技術顧問の目を惹いた。
気になったのはその布の内側で、そこには細かい文字と数字と記号が書いてあり、丸い図案の象徴印も描かれていた。
どうやら単なる湿布薬ではなく、理法魔術の呪式譜でもあったようだ。おそらく腫れ止めの類であろう。
理法魔術とは魔法を源流とするペンと紙さえあれば実行可能な魔法技術のことだ。
体系化された理解しやすい魔術であり、現代の魔法の主流を成している。理解しやすいといっても、迷信まじりで神秘主義的な魔法を精査選別し、要素を抽出して技術として体系化したものだ。
習得は決して簡単ではなく、難解な理論を学ぶ努力と才能が必要であった。
聖職者も職位によっては理法魔術を利用とすると聞いたことがあるが、実際に教会の聖職者が人前で魔術に関わることはなく、ラズリエルも見たのはこれが初めてだった。
いったいカーツはどこまで考えてこの青年に目をつけたのだろうか。
ラズリエルは不意にわけもなく、この青年は傭兵になることを考え直したほうがよいのでは、と感じた。しかし、他人のことだ。ちょっと忠告するだけでいい。
導き入れながら、ラズリエルは脅すように低い声で言った。
「せいぜい気をつけることね。あの男は詐欺師だから、身ぐるみ剥がされても知らないわよ」
「そうか」
気のない返事が自分を信用していないことを示している。親切を押し売りする気はないし、相手も親切とは思っていないだろう。ただ、傭兵なんかに身をやつしても幸せにはなれない。
ラズリエルもそれだけはよくわかっていた。