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教戒師とゲス魔女の傭兵団  作者: ディアス
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どん底クズ酒場

 ◇ ◇ ◇



 その色黒の親爺おやじはガラガラのだみ声であわれむように言った。


「おまえ、頭悪いだろ」


「は?」


 面と向かって馬鹿呼ばわりされてゼフォールは耳を疑った。


 ここは『どん底クズ酒場』。

 どん底には結局クズしかいないらしい。ラズリィというゲス女の言った通り、酒場は夕方前から営業していた。


 窓から光が入るため、まだランプはつけておらず、屋内も中ほどまで入ると薄暗かった。

 しかし、広い店内は半分ほどの席が埋まっていた。それぞれ傭兵らしき連中が、昼間から酒を飲んだり、打ち合わせをしたり、あるいはくつろいでいた。


 また、傭兵とはおもむきの異なる人物も何人か混ざっており、そこでも情報のやり取りがなされているようだった。


 ゼフォールは手持ち無沙汰そうな男の一人に話しかける。


 しかし……。


「傭兵じゃねえ奴に売る情報はねえよ」


 とにべもなかった。


 誰に声をかけても、おおむね同じような対応をされた。いい加減腹が立ったが、ゼフォールはそれを我慢して根気よく情報提供の依頼を持ちかけた。

 そして、最後の一人には馬鹿と言われたわけだ。周囲からそれを聞いていた傭兵たちの嘲笑が耳に届く。


 ここで怒りをおもてに出せば、この粗暴な戦時人足どもと同レベルに落ちてしまう。そう思って、ゼフォールは交渉を続けた。


「もちろん情報料は払います。それに傭兵の仕事に関わるような情報ではなく、人捜しをしており、その情報が欲しいんです。だから、その手の情報が必要な方とも競合しませんし」


「いや、だから、兄ちゃん。ここは傭兵の集う酒場だぜ。傭兵向きの情報しか皆もっちゃいねえよ」


 色黒親爺は心の底からすっぱい顔をしていた。この兄ちゃんはおつむが少し足りないんだな、とその顔が雄弁に語る。


 思わずゼフォールも拳を出しかけたが、いや違うと思い直した。

 この親爺の言ったことはもっともだ。むしろ、この怒りはあの胸の谷間をやたら強調したゲス女に向けるべきものである。そう結論付けると胸にこみ上げてきたものは静かに引いていった。


 黙りこんだ教戒師を見て色黒親爺は情け心を催した。


「悪く思うなよ。それとこれはアドバイスだ。どこに行っても、金で買える情報ってえのは、当然金になる仕事に関係のある情報だ。そして、情報量もそれに比例する。この町で仕事をたくさん抱えているのは、第一に法定傭兵団、第二に交易商人、第三に地元の連中だぞ。つまり、その関係の情報しかないと言ってもいい。だから、いきなりやってきて、普段気にも留めないような情報をくれといわれても、俺たちだって何もやれん。それに、とりとめもない人捜しの情報集めには時間と金がかかるから、誰もやりたがらんだろう。特に世話になってる傭兵からの頼みならいざ知らず。傭兵を毛嫌いする坊主の話なんか、誰も聞きたがらんよ」


 親切心からの言葉にゼフォールは曖昧な微笑で応える。

 そして、冷やかしの視線を背負しょい込みながら酒場を出ていった。


 この恨み、晴らさでおくべきか。

 背後で扉の閉まる瞬間までゼフォールの目つきは凶悪だった。


 ただ、冷静に考えると、わかったことも多かったの事実だ。それは、傭兵か商人でなければ情報がとりづらいということ。

 それに『金にならない個人的に欲しい情報』は別途情報屋に集めてもらう必要がある、ということだ。政治的な諜報活動の盛んな王都なら別の市場もあるのだろうが。


 もちろん教会なら、玉石混交ぎょくせきこんこうとなるものの信徒から多くの情報を集めることができるし、組織的な情報収集も可能である。しかし、私的な用件で教会を頼ることは極力避けたい。


 うーむ、とゼフォールは腕を組んで考えた。


 次の瞬間、右頬に衝撃を受け、体が浮いた。


「……っ!」


 脳が揺れ、体の芯から痺れが走った。


 吹っ飛びながら確認できたのは、顎が四角くひげに覆われた大男の拳を振り抜く姿だった。その後ろには巡警士に杖で突かれた少年と花売りの少女がいた。二人とも顔面蒼白になって大男の腕にしがみついている。


 ゼフォールは体が地面に落ちると同時に気を失ってしまった。



 ◇ ◇ ◇



 この世には善と悪がある。


 しかし、善だけや悪だけの存在はない。善と悪の入りまじったものが大半で、その比率は個々で異なり、時と場合によって、比率は刻一刻と変化するものだ。


 そして、この立派な顎鬚の男は、先ほど極端に暴力という悪に振れていたのであろう。俗にいう気が立っていたというやつだ。


 ゼフォールは意識が戻ったときにそう思った。今はどん底クズ酒場の店内でテーブル席に座っている。右頬が痛い。

 花売りの少女が水で冷やした手ぬぐいを持ってきてくれたので、とりあえずそれを当てて痛みを癒した。


 正面にはその右頬をしたたかに殴った大男がいる。


「いや、本当にすまなかった」


 と彼は言葉通り申し訳なさそうに広い肩を小さく縮め、頭を下げた。立派な顎鬚を蓄えた大男の仕種としては似つかわしくないが、それだけ誠意が感じられた。


「もう、ログは早とちりなんだから!」


 そう叱り飛ばすと花売りの少女は手を腰に当てた。彼女の名はイーリス。強気と負けん気と、おそらく少量の優しさでできている。

 もう一人、エルミールというおとなしい少年がいて、彼はカウンターで店主である色黒の親爺と話していた。


「ログは馬鹿力だから、頭おかしくなってない?」


 イーリスが心配そうに覗き込んできた。息がかかるほど間近に寄ってきたので、思わず顔を背けるゼフォール。


「いちおう大丈夫だ」


「でも、指で石を砕くぐらい朝飯前なのよ。素手で薪を割れるし、暴れ牛を片手でひねり倒したこともあるし……。あーあ、痛そう~、これは腫れるわ~」


 心配してくれるのか、不安に陥れるつもりなのか。この少女の言動はなかなか読み切れない。

 とりあえず骨や歯に異常はないので、怪我の程度は忘れることにした。


 イーリスとエルミールは何となく想像していた通り、孤児だった。最初にログと名乗った大男は二人のいる孤児院の職員で、イーリスが乱暴をされたとの報せを聞いて飛び出してきたらしい。彼女を見つけた後も話をよく聞かずに血相を変えて犯人を探しにいったとのこと。もちろん、発見した犯人はまったくの人違いであったのだが。


 ログは頭をかきながら礼を言った。


「あんたがイーリスを守ってくれたんだってな。礼を言わせてくれ。ありがとう」


 顎鬚に囲まれた強面の顔は心の底から感謝していた。上背のある立派な体躯からは見た目の怖そうな印象が強いが、性格はとても思いやりがあるようだ。孤児院の養い子達のことをまるで自分の子供であるかのように考えている。

 それだけに間違いがあったときに傷つくのは子供だけでないことが容易に想像できた。


 だったら、とゼフォールは怒りを募らせた。


「それについては気にしないでください。それより、あなたはこの子に対して責任のある人ですか?」


「そうだ」


 言葉の意味を察して、彼は厳粛な顔つきでそう答えた。

 ゼフォールは抑えていたものを解放するように遠慮なく机をドンと叩く。そこにはイーリスが怯えるぐらいの力がこもっていた。だが、言葉にはそれ以上の思いを込めた。


「なら、言わせてもらう。年端も行かない子供が役人に面と向かって刃向かったんだぞ! 世の中のことは大人が教えないと子供はわからないだろう。万が一何かあったらどうするつもりなんだ!」


「……面目ない」


 背筋を伸ばすとログは沈痛な面持ちで頭を下げた。


 ゼフォールは口の中で奥歯を噛み締める。自分と妹が養父に拾ってもらう前は、大人らしい大人は周りにいなかった。だから、愚かな真似を後で悔やむことはやむを得なかった。

 しかし、彼女らには、心配してくれる大人がいるのだ。その大人が緩ければ、どこで酷い目に遭うかわからない。

 それが許せなかった。


「あなたはっ……」


 ゼフォールはさらに口を開いたが、それ以上の言葉が出せなかった。イーリスがまるで守るようにログにすがりついたからだ。


「お願いだからやめて!」


 彼女の目の中にきらめく光は、りし日にゼフォールの愚かな行いを庇ったリセルにもあったものだった。

 それを思い出した途端、怒りは急速に抜けていった。深く深く息を吐いて気持を教戒師としてのそれに切り替える。そして、表情を全て消し去り、静謐な顔を作った。

 揃えた人差し指と中指を自分の額にあて、唇にあて、胸にあて、その指先をログに向けて言った。それは灰光教の教会で見かける光景だった。


「私は教戒師であり、過ちに対して教え戒めることが本分です。なので、今、私はあなたに戒めを授けます。『汝、子供らに分別という人生の羅針盤を与えよ』、以上です」


「ありがたく頂戴します。戒めを心に留め、実践します」


 ログは恭しく再度頭を下げた。彼の手は優しくイーリスの頭に載せられている。彼は少女にそっと言った。


「ありがとう。わしももっと気をつけると約束しよう」


 イーリスははにかんだ微笑を見せる。


「それにもっと教えてやる。だから、ちゃんと言いつけを守れよ」


 微笑がウゲッと歪んだ。


 変わり身の早さにゼフォールが思わず吹き出すと、ログとイーリスも笑いテーブルは柔らかい空気に包まれた。


 店の入り口から差し込む陽光は赤みを帯び、夕暮れが迫っていることを知らせた。ゼフォールはまだ本日の逗留先も決まっていないことを思い出した。

 荷物を持って立ち上がった。


「さて、そろそろ私は行きます」


「そうか。ところで、教戒師殿はどうしてこの店に?」


 ログは太い腕を広げて店内を示した。


「見た通り、まともな聖職者が気軽に立ち寄る店じゃあないんだが……」


 ハハハと頭に手をやるゼフォール。あのゲス女は厳密には嘘はついていないが、正直なところだまされた気分である。

 意気消沈した様を見たログは小首をかしげた。


 実は、とこの酒場を訪れた経緯をかいつまんで話すと、それはログの苦笑を誘った。彼は決して馬鹿にした訳ではないのだが、恥ずかしさから教戒師の目は鬚面から逸れた。


「それはそれは……。災難だったな」


「そこはかとない悪意を感じてます」


 憮然としたゼフォールを見て、彼は興味を惹かれたように問う。


「どうして情報が欲しいんだね?」


「捜している人がいるんです。この町には、それらしい人がいると聞いてやってきました」


「ふむ。そういうことか。確かにここは情報を集めるには最適だ。しかし、欲しい情報を集めさせるには傭兵か商人でもないとなかなか難しいぞ」


 腕組みをすると筋骨隆々の腕がさらに盛り上がった。その難しい顔は眉間に皺を寄せている。自分ならどうやって情報を集めるかを考えているのだろう。しばらくして彼の口から、やはり難しいか、と洩れた。


「そうですか」


 ゼフォールの肩が落ち、暗い口調が応じた。

 するとログの太い指がピンと立ち、彼はわざと明るい口調で提案する。


「何なら、いっそのこと傭兵になってしまうのはどうだ?」


「それは……」


 と口ごもるゼフォール。今日出会った傭兵にろくな奴はいなかった。


 子供を棒で打つ奴、それを見て見ぬふりをする奴、そして極めつけは揚げ足とりから暴言を吐いた挙句に親切を装って悪意ある助言をする奴。

 とてもそこまで身をやつす気にはなれない。


 それと察したログは弁解するように告白した。


「傭兵にあまりよい印象がないのは、さっきの話でわかるが、そこまで嫌うものでもないさ。実は、わしも傭兵稼業で飯を食ってる」


「そうなんですか?」


 驚いてゼフォールはこの巨躯を上から下までを改めて見回した。が、驚くことではなかった。むしろ、孤児院勤めより傭兵のほうがしっくりくる。ただ、彼の誠意は本物だった。そう思うとゼフォールの心も少し傾いた。

 大男の傭兵は教え諭すように言った。


「傭兵だろうが、役人だろうが、いい奴もいれば、悪い奴もいる。わしにあんたの手伝いができるとしたら、信用できる法定傭兵団を紹介することだけだ。そこは中堅の傭兵団だが新進気鋭というやつでな。実力がある。だから、所属すれば情報は格段に集めやすくなる」


 そこまで勧められても踏ん切りはつかなかった。


「少し考えてみます」


「そうか。灰光教なら、教会組織で情報を集めることもできるしな。ただ、金のために集められる情報は質が高い。情報を売るほうも信用を落とせば、情報を買ってもらえなくなるからな。もし、その気になったのなら、西門前の広場沿いにあるカーツ法定傭兵団を訪ねるといい。黒い建物だからすぐにわかるはずだ」


 ゼフォールは素直に頭を下げた。


「ありがとうございます。あなたの心遣いに感謝します」


「それじゃあ、わしらも帰るとしよう。こいつらのご飯をつくらにゃらなんからな」


 そして、人懐っこい顔でナハハと笑った。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


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