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教戒師とゲス魔女の傭兵団  作者: ディアス
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花売りと傭兵 Ⅱ


 ゼフォールは痛みに顔をしかめたが、それだけの甲斐はあった。もし、この鋭い打突が当たっていれば、少女の華奢な骨は砕けていただろう。

 もっとも当人は急展開にわけがわからず固まった状態で、青年の胸元を見つめるだけだった。


 ゼフォールは痛がっていることを悟られないようゆっくりと立ち上がった。我慢するために息を大きく吸ってから振り返る。

 そして、さえぎるように両腕を広げ、曖昧な笑みを浮かべた。


「そこまで。そこまでです」


「おまえは何者だ」


 刀傷のある警務官は役人というよりもならず者めいた迫力で詰め寄った。杖先を地面に向けてこそいるが、両手で保持してすぐさま打ちかかれる体勢をとっている。市民ではなく敵を相手にしているかのような態度だ。


 本当に役人か、と疑いつつもそんな感想はおくびにも出さず、ゼフォールは答えた。


「私は教戒師です。相手は子供ですよ。あまり酷いことをしてはいけません」


「あのガキは決まりを破った。ガキなので注意にとどめた。しかし、聞き訳がなかったから分別を教えてやった。どこに問題がある」


 ゼフォールも少女の捨て台詞を思い出して苦笑する。


「まあ、確かに問題という言葉は彼女のほうに当てはまりそうだと私も思います。ですが、理屈に合わない棒打ちはいけません」


「理屈に合わないだと?」


「そうです。規律に反したというなら、最初の蹴りは罰です。頬を叩いたのも彼女の行いに対する報いです。しかし、杖で打ちかかるいわれはありません」


 刀傷のある頬が危険な歪み方をした。酷薄な光を湛えた瞳から殺気が洩れた。


 ゼフォールはさり気なく腕を垂らして肩の力を抜く。それから右肩を少し前に出して膝をかすかに曲げた。

 もし、相手が安易に攻撃を繰り出せば、カウンターで手刀が喉に突き込まれることになる。


 暴力沙汰は好ましくないが、粗野な乱暴者に笑って打たれてやるほどお人よしではない。それに、相手に大怪我を負わせなければ、社会的弱者を守るという構図は大概大目に見てもらえる。それが灰光教の聖職者なら尚のこと。

 ゼフォールは微笑を浮かべたまま決して気配を洩らさず、そのときを待った。


 が、そこへ至ることはなかった。

 髭面の警務官の笑い声が間に入ったのだ。彼は苦笑を浮かべて相棒に言った。


「確かに教戒師殿の言う通りだ。ここまでは仕事熱心とみなすが、これ以上やるなら、私もおまえ(・・・)に対してそれなりの対応をしなければならん。わかるな?」


 刀傷のある警務官は舌打ちをして杖を引いた。ゼフォールと少女に忌々しそうな一瞥をくれると、歩き始めた。

 髭面の警務官は舌打ちをし、取り繕うように会釈をしてから同僚の後を追った。


 すると周囲の興味もすぐに霧散して、いつもの大通りへと戻った。


 ゼフォールは薄情なものだなと小さく溜め息をつく。

 そして、少女に手を差し伸べた。だが、彼女が手をとることはなく不信感のある目が向けられるだけだった。


 少女はもそもそと自力で立ち上がると落とした花束を拾い集め、唐突にゼフォールの手に押し付けた。それから、脇目も振らずに走り去ってしまった。


 あっという間の出来事で、教戒師の手には、無造作に束ねられた、黄色や白、薄い青など色とりどりの小さな花束が残った。どれもタンポポやハコベといった野草の類だ。


 ひと言で言って、いらない。


 ゼフォールがどうしようと思案しながら席に戻ったところに話しかけてくる人物がいた。


「あの刀傷のある男は役人じゃない。傭兵だ」


 そう言って短い髪の男は無断で正面の席に腰を下ろす。表情には自信に満ち溢れており、大きな口が目を惹いた。もちろん初訪問の町に知り合いがいるほどゼフォールは社交的ではない。


 先ほどの少女よろしく怪訝な眼差しを注ぐと、男がその大きな口を開いた。


「さっきの活躍を見て、あんたに話しかけようって気になっただけだ。邪魔だったか?」


「いえ。これだけ人がいて、他に助けようと動く人がいないことに驚いただけです」


「耳が痛いな。法定傭兵団同士が仕事で揉めるのはご法度なんだ」


 と自分の額をぴしゃりと叩く。

 すなわちこの男も傭兵ということだ。


 男には連れがいた。

 日の差しかけた朝のように柔らかく澄んだ声が聞えた。


「坊主が真面目に人助けなんて、世の中にはまだ正義がある、みたいな?」


 ゼフォールを坊主呼ばわりした妙齢の女性は隣の席にストンと収まった。

 胸元が大きく開いた濃い紫色のドレスを着て、魔女を連想させるトンガリ帽子を被っている。服装のセンスはともかく、肉感的なスタイルが人目を惹いた。


「社会正義なんてものは存在しない。坊主は単なる役割だ。お布施を貰うためのね」


 眉間に皺を寄せてそう言い返すと、彼女は蠱惑的な笑みを浮かべた。ただし、表情に反してその瞳は冷たい。


「とっても素敵なご意見。でも、行動が自分の考えに反するなんて、頭おかしいんじゃないの?」


 声だけは優しい女神のものだが、台詞はほぼ小悪党の難癖だ。

 そのギャップに理解が一瞬遅れるも、ゼフォールは淡々と切り返す。


「……おかしくなければ、聖職者になんかならないさ」


「クズ職業に就いちゃって残念ね、教戒師さん」


「で、私に何の用かな?」


「ん~? 善行に触発されて、偽善者の教戒師さんに目の保養でもと思ったのだけど……」


 女はテーブルに肘をつくと、わざと重そうな乳房がテーブル上に載るように身を寄せた。豊満なバストは襟ぐりからはみ出しそうなぐらいで、確かに開けっ広げの胸元には視線が吸い寄せられる。


 新手の美人局つつもたせかとゼフォールは誘惑をぐっとこらえた。次の台詞は『見料、金貨一枚』かもしれない。

 教戒師試験の勉強に励んでいた頃の精神力を呼び起こして、口の大きな男へ何とか視線をもっていく。


 すると、彼は苦笑して止めさせた。


「ラズリィ、それぐらいにしてくれ。俺の話を聞いてもらえなくなる」


「残念ね」


 と女は小娘のように唇を尖らせた。


 大きな口がへの字に曲がり、男は軽く首をかしげる。困った奴だろ、とでも言いたげだ。それから、笑顔に戻って言った。


「よければ、お近づきの印にお茶をおごらせてもらえないか。自分で動けなかった情けない男から」


 ゼフォールは顔をしかめた。

 こんな言い方をする男には下心が臭うし、そもそも傭兵自体が好ましくない。もっと言えば、色っぽいムチムチ女を目の前にチラつかせている時点で相当怪しい。


 ゼフォールはお得意の曖昧な微笑を見せて断った。


「いいえ。それは遠慮します。あなた方があの少女のご両親ならともかく、奢られる理由がありませんから」


 はっきり断ったことで、男は怪しまれていることを理解した。


「そうか。別に他意はないんだがな」


 そして残念そうに立ち上がった。


「何か役に立てればと思っただけだったんだ」


 あっさりと退いたので、本当に好意からだったのかもしれない、とゼフォールは思い直した。だからといって前言を撤回するつもりもない。だが、一つくらい質問をしてみるかと考えた。

 ゼフォールは顎を指でつまむと、少し困ったことを思い出したような顔をした。


「……もしよければ、ひとつだけ教えてください」


 男は喜んでと立ち去るのを止めた。


「私は人を探しています。情報が仕入れられる場所を教えてください」


「それなら『どん底クズ酒場』が打ってつけよ」


 色っぽい女が男の機先を制した。男の開きかけた口は言葉をなくし、閉じる瞬間に溜め息が洩れた。

 あまりにも不自然な店名にゼフォールは聞き返した。


「どん底、クズ、最低?」


「ドンゾコ、クズ、サーカーバー。この町で一番情報の交換や売買がされる酒場の名前。サイテーって、自分の質問の答えを聞き逃す聖職者の名前かしら。あそこは真昼間まっぴるまから営業しているから、行ってみるといいわ。でも、聖職者が日の高いうちに酒場に行くのは大衆正義の代行者としてはどうなの?」


 女は嫌味を交えつつ得意げに語るとプリッとふくらんだ唇で笑みを形作った。

 最低と面罵しつつも、まるでいいことをしたかのような彼女の表情は、常識を逸脱してもはやゼフォールの怒りを駆り立てることはなく、それどころか一種の感銘さえ与えた。


 これまでいた純朴な田舎では見られないゲスな感性である。もしかすると、傭兵には当たり前のことなのかもしれない。であれば、彼女を非難するには当たらない。傭兵がゲスなだけで。

 聖職者の忍耐力はおのれを欺くことで許容量を倍化する。


 ただ、法定傭兵団所属と思しき人物が、この町で情報を仕入れるには一番よいと言うのだ。行って損をすることはないだろう。他に当てもない。


「ありがとう、親切なお嬢さん。そちらの傭兵の方にも感謝します」


 ゼフォールの口はスラスラと礼を述べた。


 苦笑の途切れない男は軽く手を上げて別れの挨拶とし、嫌味な色気女は少々面喰ったものの掌をグーパーと閉じ開きして子供じみた仕種を見せて去っていった。


 テーブルにはゼフォール一人となり、ようやく穏やかな空気が戻った。

 イライラする邂逅でこそあったが、早速行くべきところが見つかった。そこで妹の足取りがつかめるとよいのだが、情報源を考えるとあまり過度な期待は禁物である。


 ゼフォールははやる気持を抑えて腰を下ろすと、給仕を呼んでサンドイッチを急がせた。

 


 ◇ ◇ ◇


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