花売りと傭兵 Ⅰ
◇ ◇ ◇
ゼフォールは西方街道が直結した大通りを中心部へ向けて歩いた。
捜すにしても、食べるにしても、手始めは繁華街からである。宿や滞在の準備など拠点の確保が最優先課題だ。
聖職者として整った住環境を求めるなら、丘にある大聖堂を訪れるのが最も正しい選択だ。サン・クルールはこの地方の教会を取りまとめる『統轄教会』であり、設備や体制がとても充実していると聞いている。
その代わり、教戒師の仕事がたっぷりあることは想像に難くない。これだけ大きな町である。法定傭兵団が多いことからも揉め事がたくさん湧いていて、ラグリーズ教会以上に教戒師として忙殺されることだろう。
そのため、教会を頼るつもりはなかった。
この町に来たのは、妹のリセルとよく似た人物がいるとの噂を聞いたからだ。噂話がどれだけ信用できるのかはわからない。
ただ、彼女は類稀な美貌とさらに稀な剣の才能を有している。一見たおやかな美女なのに名だたる剣豪並の腕前となればちょっとした噂にはなるものだ。そのため、金髪女性の武勇伝については耳に留めるようにしていた。
しかし、問題なのは失踪の理由がわからないことである。養父からも将来を嘱望された自慢の妹だった。
彼女が出奔してそろそろ一年が経つ。兄より才覚に恵まれており、生活に苦労することはないだろうが、原因不明ということがゼフォールの心を騒がせた。
モルゲントルンの目抜き通りは曇天ながら人出があり、通り沿いは民家以外にも食事処や小物を売っている店が多かった。一部の軒下には屋台が出ているところもある。いい匂いも漂ってくる。
ゼフォールは昼食がてらひと息つこうと近くの飲食店へ足を向ける。
そこはオープンテラスを併設したカフェで、昼も遅い時間なのでテラスの空いている四人掛けの席に腰を下ろした。
給仕を呼ぼうとした、そのとき……。
「ねえねえ、お兄さん。お花、買わない?」
若い女性に話しかけられた。十二、三歳と思しき娘である。あえて説明するが、売り物は草花の花だ。ちらりと視線を向けると、彼女は両手に小さな花束を持っていた。
ベタな商品だな、と感想を抱きつつ、いったいいくらで売りつけるつもりなのかと考える。花には詳しくないが、野山に自生するものを集めれば原価もかからないはず。
故に無視敢行。これもあえて断りを入れるが、ゼフォールは教戒師の資格を持つ職業聖職者だ。決して根っからの聖職者ではない。
しかし、少女は成長過程のしなやかな体を曲げて、視界に割り込んできた。
ゼフォールも負けじと首をひねるが、彼女は小鹿のように跳ねて素早く再登場。してやったりという顔つきが忌々しい限りである。
よく見ると少し後ろに少女より年嵩らしい少年がいて、大きな籠を抱えて彼女に合わせてよたよたしていた。相棒がとても溌剌としている反面、彼はすでにへばっており、泣きそうですらあった。それだけを見ているとどちらが年上かわからない。
ゼフォールが苦々しい顔で少年を睨みつけると、彼は怯えた表情を浮かべて少女に声をかけた。
「ねえ、イーリス、もう行こうよ」
「え~っ! もうちょっとで落ちるのに」
説教の雷がな、と内心で合いの手を入れるゼフォール。
少女は腕を引っ張られて仕方なくテラス席を離れていった。もちろん去り際にゼフォールに突き上げるようなひと睨みをくれ、あまつさえケチと捨て台詞まで吐く始末であった。
やれやれとゼフォールは頬を撫でた。
その後すぐに給仕が現れて注文をとってくれた。遅いと目で訴えたが、給仕も慣れたものでにこやかな笑顔だけ残して、厨房へ引っ込んだ。
「お花はいりませんかあ!」
聞こえよがしな声が耳に届いた。商売続行のようだ。
ここは石畳で舗装された交通量も多い目抜き通りなのだが、若い花売りたちは馬車の行き交う近辺までうろちょろしている。馬車の乗客にまでアプローチをかけており非常に危なっかしい。
その光景を眺めながらゼフォールはサンドイッチを待った。二人の衣服は粗末で、花売りがその日の食事に必要な行為であることを雄弁に物語っていた。
不意に叱責が聞こえる。
「こら! いったい誰の許可で商売をしている!」
花売りの少女のもとに二名の男が歩み寄った。
二人は濃い青色の制服に身を包み、背丈ほどの杖を手にした警務官だった。
警務官とは、市中の治安や風紀の維持を図り、法に基づき犯罪に対処する役人のことだ。つまり、あの花売りのように勝手に商売をする者を取り締まる役目を負っている。
一人は髭面で大声で少女を叱りつけ、もう一人はその後ろで立ち止まって嫌な目つきで眺めた。その二人目の頬には白い刀傷があり、役人らしからぬ雰囲気だ。
少女は一瞬戸惑った顔をしたが、すぐに言い返した。
「許可? そんなものないよ」
「当たり前だ。ここは勝手に売り歩いていい場所じゃないんだ。さあ、あっちへ行け!」
「は? いやだよ。昨日だって売ってたんだから」
居丈高な言い方が少女の態度を硬化させたようだ。一方、少年は完全に縮み上がって、言葉もなく固まっている。
もちろん髭面の警務官はいちいち腹を立てることもなく、呆れた様子で対応した。
「ここは荷馬車や早馬も通るから、危ないんだ。おまえみたいなのが、何人もいたら先を急ぐ馬に蹴られて大怪我することになる。聖堂前のサン・クルール広場とか危なくないところへ行けばいいだろう」
「広場は花屋があって売れないから、ここに来てるのよ。あんた馬鹿じゃないの?」
まったくもって取りつく島のない返事である。髭面が苦虫を噛み潰したような顔に変じたが、あくまでも言って聞かせようとする。ただし、相棒のほうは黙って険しい視線を寄こしていた。
「大通りでは許可がないと商売できないと法律で決まっているんだ。諦めて余所へ行くんだ」
少女の後ろから籠越しに少年が囁いた。
「やばいよ」
「やばくない! あたしたちも頑張るって決めたの忘れたの!?」
髭面の警務官は困った顔で呟きながら相棒を振り返る。
「わからん奴だな……」
相談しようとしたとき、その相棒が前に出た。そして、そのまま少女を蹴り飛ばした。
少女は仰向けに倒れた。怪我はないようだが、腹の辺りに靴跡がついていた。
「邪魔だっていってるんだ。さっさと消えろ」
そう言って、刀傷のある警務官は少女を見下ろした。その視線は冷たく、道端のゴミを見るような目つきだ。子供相手には大人げないほどの凄みがあった。
少女は呆然としたまま動けない。大人の悪意ある暴力に動揺していた。
気づいた少年は急いで助け起こそうと手を伸ばした。そこを杖で突かれて仰向けに転がる。
籠からみすぼらしい花束がいくつか投げ出され、少年は痛そうに胸を押さえて咳き込んだ。
「おまえもだ! クズめ、さっさと行け!」
容赦のない罵声が響いた。
少年は涙目のまま這うようにして離れると、立ち上がって振り返らずに逃げ出した。
それまで雑踏にかき消されていたが、この騒ぎにテラス席の客のみならず通行人も気づいた。いくつもの驚いた顔が向けられ、カフェの周辺を緊張感が支配した。
髭面の警務官が、やりすぎだぞ、とたしなめる。
が、相棒は答えず少女へ向き直った。それどころか髪の毛を掴もうと手を伸ばす。
次の瞬間、苦鳴が上がった。
「いてえっ!」
少女がその手に噛み付いたのだ。
刀傷のある顔に危険な気配が漂った。転瞬、少女は頬を張られて、突き飛ばされた。髭面の警務官の止める間もなく、杖の先が鋭く伸びる。
が、丸い先端はゼフォールの肩を強く打って止まり、少女には届かなかった。
「っ……」
さすがに見過ごすことができなかった。