城郭都市モルゲントルンへ Ⅱ
御者がゼフォールをチラリと見て、しかめっ面をさらに渋くした。彼の叱るような口調が苦境を物語っている。
「お客さん、何で出てきた?」
二人とも盗賊から目を離さずに会話した。
「降りようとした人がいたので、代わりに。危ないから」
その回答で状況を知って出てきたとわかり驚いたが、御者はすぐにしかめっ面に戻った。
「あんたが出てきたところで同じだよ。他のお客さんはもう知っているのか」
「今のところはまだ。ですが、やかましくなれば、すぐにわかるでしょう」
話を遮るように盗賊の一人が口を開いた。
「もう一度訊くが、荷物を置いて逃げる気はないのか?」
その男は伸びた髪を後ろで縛っていて、体格もよく、四人の中で一番貫禄があった。大きな袋のような焦げ茶色の革鞄を踏みつけている。おそらく話好きな商人の荷物だろう。
御者はあくまで寡黙で、頭目らしい髪を縛った男に狙いを定めている。人を運ぶ駅馬車の御者としてそれなりに肝が据わっているようだ。
「答えないなら、その気はないってことだな。いいのか?」
頭目以外の盗賊がゆっくりと馬車を囲むように広がり始めた。それぞれその手に抜き身を引っ提げている。強奪するのは面倒だが、問答に時間をかけるつもりはないらしい。
このあと盗賊たちは力任せに荷物を奪い取って、自分達の荷馬車に戦利品を積むのだろう。その過程で逆らう者には、洩れなく白刃をお見舞いする、そんな段取りがゼフォールには想像できた。
この場で一番よい対処法は、盗賊は無視し、一か八か強引に荷馬車を突破すること。
御者もわかってはいるが、すでに馬車を止めてしまったので、それができないようだった。今から走り出したところで荷馬車に当たり負けし、簡単に乗り込まれるのが関の山だ。誰かが荷馬車をどかしてさらに盗賊連中の足止めをしない限り。
このままでは荷物を強奪されるだけである。運が悪ければ、気づいた乗客が荷物を守ろうとして負傷させられるかもしれない。
ゼフォールは馬車に寄り添い、御者に小声で提案した。
「私の合図で馬車を出しなさい」
「無理だ。すぐには早く走れないし、荷馬車が……」
「荷馬車は私がなんとかします」
「どうやって。いや、それよりあんたが逃げられないじゃないか」
「彼らも聖職者を殺すのはためらうでしょう」
そのとき、業を煮やした怒鳴り声が飛んだ。
「何をごちゃごちゃ相談してやがる!」
そして、頭目の足の下の革鞄がぐりぐりと踏みにじられた。
割れ物が入ってなければいいのだけど、とゼフォールは目を細める。石をポケットに仕舞うと、腰のポーチから掌サイズの紙片を取り出し、指で挟むようにして右手に持った。
そして、黒い杖を全員に見えるように掲げると、ニッコリと笑顔を浮かべて頭目に話しかけた。
「えー、私は灰光教の教戒師です。あなた達の行為は人として許されないものです。ここまでにして、悔い改めるつもりはありませんか?」
その申し出は鼻で笑われた。若い優男が出てきたと思ったら聖職者で、しかも拍子抜けすることを言ってきたからだ。
頭目はひとまず様子を見るようにと手を上げて仲間に合図を送った。
「悪いな、教戒師さんよ。そのつもりはない。だが、有り金と荷物をすべて置いていけば、命まではとらねえ」
「そうですか。考え直す余地はありませんか?」
「ねーな」
「わかりました。あなた達が志操堅固にこの行いに臨んでいることが理解できました。ついては、乗客が怪我をしないように私から御者を説得しましょう」
掌を返すような提案に頭目は呆気にとられたが、すぐに嫌な笑いを浮かべて頷いた。周囲からは野卑な嘲笑が響く。
馬車の中からゴソゴソと動く音が聞こえた。そろそろ乗客にも怪しむ人が出始めたようだ。
ゼフォールは御者台に上ると、声を抑えて御者に話しかける。
「合図をしたら、あなたは右端の男にクロスボウを放ってください。できれば足を狙って。私は左の二人と頭目の注意をこちらに向けさせます」
御者は心配そうに指摘した。
「しかし、あいつらの荷馬車が道を塞いでる」
「そこは灰の光を信じてください。それよりあなたは射た後、その荷車のある辺りを突っ切るつもりで突進するんです。全力で」
ゼフォールが自信に満ちた微笑で頷くと、御者も覚悟を決めたように頷きで返した。
「わかった。あんたを信じよう。そして、あんたの無事を祈ってる」
ゼフォールは御者台を降りると、馬車の左前へ出る。頭目が、どうだと問いかける視線を向けてきたので、安心させるように両手を前に出して、敵意のないことを示しつつ報告した。
「話はつきました。これから荷物を引き渡します」
「そうか。なら、お互い無駄な手間が省けたな。ヘヘヘ、灰光教の教えのありがたみってやつかい」
「ええ」
とゼフォールは右手の掌を上に向ける。
微笑が引き潮のように静かに消え、『叩き潰せ』との呟きが洩れた。同時に教戒師の杖が鋭く掌の呪式譜を打つ。
杖が紙片に当たった瞬間、落雷のようなドシンという音が辺りに轟いて、離れた木々から鳥が飛び立った。
盗賊たちは驚いて音のした方向を振り返った。すると、彼らの荷馬車がまるで巨人に叩き潰されたかのように粉々に粉砕されていた。
間髪をいれず、ゼフォールは叫ぶ。
「ゆけっ!」
馬車が急加速で進み出した。盗賊たちは慌てて向き直るが、仲間の一人が太腿に矢を突き立てて転がった。
「いてえっ! やりやがった!」
すかさずゼフォールの手から飛礫が飛び、二人の盗賊の眉間に命中した。二人は顔を押さえてうずくまった。
「てめえ! 何しやがった!」
頭目はおさげを揺らして怒鳴り、馬車に一太刀浴びせようと剣を振り上げる。しかし、それは上がったまま下ろされることはなかった。
「ちくしょう……」
頭目は肩を押さえて後退する。教戒師の杖に薄汚れた革の鎧の上からしたたかに打ち据えられたのだ。
駅馬車は車体を大きく揺らしながらも残骸を無事に乗り越えていった。盗賊の馬も衝撃音に驚いて逃げ去っており、もはや徒歩では追いつくことはできなかった。
ゼフォールが紙片を握ったまま指を鳴らすと、紙片はその手の中であっという間に燃え尽きた。それから杖を左の腰の高さに据え、右手で杖の頭を撫でるように握る。
「獲物は逃げた。今日は諦める、というのが正しい選択だ」
その言葉に対して、盗賊の頭目は激しい怒りの眼差しを返した。
「このクソ野郎、騙しやがって。このままで済ますわけねーだろ! てめーら、シャキッとしろ!」
怒鳴り声に応えるようにゼフォールの背後を二人の盗賊が囲んだ。一人は転がったままなので三対一である。
杖頭を握る右手がひねるように回り、カチリと音がして杖から刃が抜けて出た。
それを見て頭目は不愉快そうに顔を歪めた。
「仕込み杖かあ。てめえ、ただの教戒師じゃねえな」
「いや、私はごく標準的な教戒師だ。おまえたちが教戒師を理解していないだけで」
頭目が唇に指を当てると、ピィーッと甲高い音が長く鳴った。それが終わる前にゼフォールの少し先の地面に矢が斜めに突き刺さる。
頭目の笑いは自慢げだった。
「おまえも俺たちを理解できてなかったな。一人は弓を持たせて待機させてんだよ」
「やはり、傭兵崩れか……。伏兵は右手の斜面の岩陰だろう、左の下りは隠れる場所がないし、射るなら高台からだからな」
「少しはわかってるようだが、矢は避けられんだろう」
「ほう、当たるのか?」
ゼフォールはせせら笑って頭目に斬りかかった。
『宵の仕事』に携わる教戒師の本気を見せるまでの相手ではなかった。
頭目は辛くも剣で受けるが、強く弾かれてたたらを踏む。
背後から手下二名が迫り、ゼフォールはそのまま頭目の左に抜けて迎え撃った。あわせて斜面に目を走らせて、射手の位置を確認する。そして、射手との間に敵を入れるようにして立ち回った。
すぐに決着がつくと考えた頭目はニヤニヤしながら眺めたが、目に入るのは逆に三合と斬り結ぶ間もなく圧倒される手下の姿だった。
二人がかりで倒せないことに頭目は気を逸らせ、指笛を短く二度吹いた。
風を切る矢羽根の音が大気を振動させる。と、ゼフォールの右手が素早く閃いて矢を叩き落した。
頭目が愕然としたとき、突然周囲からどよめきが上がった。
盗賊たちは一様にハッとする。背後から馬蹄の大地を踏みしだく音が轟いた。
「やばい! ずらかるぞ!」
頭目が声をかけるも時すでに遅し。
騎馬が疾風のように現れるや、駆け抜け様に頭目を打ち倒す。続けて何騎もの騎馬がゼフォールと盗賊たちを取り囲み、一斉に腰の剣を抜いて内側へ切っ先を向けた。どの騎馬も兜と鎧を身に着けて完全武装だ。
そのうちの一人が威圧するように怒鳴りつけた。女の声だった。
「貴様ら! 天下の西方街道で何をしている! 死にたくなければ、武器を捨てろ!」
まるで刃の壁のような光景に盗賊たちは我先に武器を放り捨てた。ゼフォールも刃を納めて杖に戻してからそっと地面に置いた。
二人の戦士が馬を下りて、頭目と盗賊三人を縄で縛り上げる。囲みの外から一人追加された。岩陰に隠れていた盗賊が逃げようとしたところを捕まったようだ。
最後にゼフォールに縄を打とうとしてその服装から戦士は手を止め、隊長らしい人物へ顔を向けた。
隊長は首を横に振り、言った。
「その男はいい」
すると、囲みは解かれ、戦士が盗賊たちを引き立てていった。その先には、物資を積んだ荷馬車が何両も到着しており、まるで軍の輜重隊のように物々しかった。
隊長が面頬を上げると化粧っ気はないが整った顔立ちの女とわかった。ツリ目が印象的だが、化粧をすれば相当化けるタイプだ。
「馬上から失礼する。我々はスコーデル法定傭兵団だ。灰光教の教戒師のようだが、事情を説明してもらいたい」
ゼフォールはまずは礼を述べようとしたが、興味なさそうに手を振られて説明を急かされた。
「礼はいい。それより、あの盗賊たちのことを聞かせてくれ」
言われるがままに、かくかくしかじかと事の次第を話すゼフォール。
「なら、他にいないんだな。コアト人の姿はあったか?」
「それは見ていません」
「そうか。もし、盗賊か、盗賊と疑わしいコアト族を見かけたときは、隠さずに役場へ届けてほしい。金貨十枚の報奨金が出る。それでは、教戒師殿、町まで歩くには距離がある。乗せていこう」
「ありがとうございます。あと、先行した駅馬車に無事を知らせてはもらえませんか。片付いた件で町の警備隊を煩わせてはいけませんし」
「ふん……いいだろう。街道役場への報告はこちらで行う」
さらに付け加えようとしたら、女隊長は再び手を振った。
「皆まで言うな。落ちた荷物は、連絡ついでに届けさせよう」
そして、話が終わるや女隊長はもう用はないとばかりにその場を離れた。テキパキと指示を出すその姿は颯爽としている。
せっかちだな、とゼフォールはそれを見送った。
ただ部隊の動きは早く、伝令係の騎馬が落下した荷物を二つとも背中にくくりつけ、早速早駆けでモルゲントルンへ向かっていった。
小隊長らしい傭兵から指示をもらい、ゼフォールは輜重隊の荷台に乗せてもらうことになった。
盗賊の荷馬車の残骸を道路脇にどかし終えると、スコーデル傭兵団は出発した。
一緒に荷馬車に乗った傭兵の話では、彼らは近隣の山賊討伐の帰りとのことだった。街道を進んでいると、この青空にもかかわらず雷が落ちるようなもの凄い音がしたため、不審に思って音を立てずに進んだ。そのため不意をついて盗賊を制圧することができたのだそうだ。
ゼフォールは感慨深く行軍する部隊を眺めた。他の荷馬車には壊れた武具や何名かの負傷者がいて激しい戦闘と思われたが、ひどい怪我ではなく部隊の優秀さを窺わせた。
スコーデル傭兵団は領主や街道役場から主に警備の仕事を受注しており、最近は盗賊が街道沿いを賑わせているため、忙しい毎日だそうだ。老舗の傭兵団なので、重要な仕事が回ってくるらしい。
町の東側にある大門が間近になったあたりで先に立った伝令係が戻った。そして、これを預かったとゼフォールに荷物を持ってきてくれた。
スコーデル傭兵団はゼフォールの知る傭兵団とはいささか異なり、規律正しく、部隊全体が訓練を受けた兵隊のように整然としている。あの初老の商人が自慢げに法定傭兵団のことを話したことに納得がいった。
そうこうしているうちに傭兵団は開け放たれた巨大な門をくぐり、賑々しい市中へと入っていった。
門を入ってすぐの広場で降ろしてもらい、礼を言って彼らとは別れた。五十名ほどの部隊は大きな通りを粛々と進んで姿を消す。サン・クルール大聖堂の建つ丘の麓に彼らの屯所があるのだそうだ。
「さて……」
ゼフォールはどうしたものかとコートと手荷物を持ち直す。
予定外の出来事に時間をとられ、とっくに昼を過ぎていた。
グ~とお腹が鳴った。
◇ ◇ ◇