エピローグ ~ 宿屋にて
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ゼフォールはベッドで目を覚ました。小窓から入る日射しがまぶしい。しばらく目をしばたかせていたがやがて慣れ、次第にここがどこであるかを認識した。
少し高い位置の小窓にカーテンはなく、室内も寝ているベッド以外には木製の机と椅子、あとは簡易な衣装箪笥がある程度の殺風景な部屋。まさしく宿の自室である。
混乱した痕跡なのか沼を歩くような思考のもつれを感じたが、それはわずかなものだったので、じきに消え去るものだとわかった。
と、不意に脳裏にフラッシュバックが起きた。自滅した理法剣士、恍惚派の魔法使い、そして仮面の女剣士。断片的な記憶は少しずつ時系列という秩序に則って並び始めた。
宵の仕事は完遂していた。内容はストラ商会頭目の誅殺だ。
恍惚派の魔法使いとの戦いはどうなったのであろうか。記憶は定かではないが、最後はラズリエル先輩が始末をつけてくれたような気がする。でなければ、自分が今ここにいることの説明がつかない。
その証拠にベッドサイドにはラズリエルがいた。珍しく物憂げな顔で本を読む姿は初めて目にした知的なたたずまいだった。見慣れた襟ぐりの開いた魔女ドレスは鮮やかな群青色で、お揃いのトンガリ帽子は机の上においてある。
ゼフォールの視線に気づいて顔がベッドを向いた。
「ん? 目が覚めた?」
鈴の音のような声である。仕事中によく聞かされたあだっぽい声音はなく、澄んだ響きの声であった。
この声のほうがずっといいのに、と思いながらゼフォールは体を起こした。
「ああ。恍惚派の魔法使いたちはどうなった?」
「もちろんギッタギタにしてやったわよ」
「女剣士は? 私が倒した理法剣士とは別に仮面の剣士がいたはずだが」
「彼女は逃げたわ」
「そうか……」
理法剣士の技量を考えると、あの剣士もラズリエルが一人で対峙するのは危険な相手だといえた。それを踏まえて自分が前後不覚に陥ったことが悔やまれたが、彼女が無事だったことに心から安堵できた。
「ありがとう、ラズリエル。私は途中から意識をなくしていた。君がいなかったら、私は死んでいただろう。感謝している」
「珍しいわね。ゼフ君があたしに素直に接するなんて」
ゼフォールは微笑を浮かべて応えた。
「たまに素敵な先輩に花を持たせるのも後輩の務め」
「またバカにして」
視線を外すと小窓から覗く隣の建物の壁を見やった。元はもっと白かったであろう日に焼けた壁肌をキャンパスにして、ゼフォールはいろいろと思い返した。そして、深くため息をついた。
「……すまない。ついいつもの調子で絡んでしまったが、ラズリエル、あなたには本当に感謝しているんだ。カーツ傭兵団に入るときも助け船を出してくれたし、いろいろと至らない点を指摘もしてくれた。宵の仕事に付き合わせてしまったこともある。特に恍惚派との争いでは命の恩人だ。私にできることがあれば、何でもさせてほしい」
いつも通りに小馬鹿にした表情でぷいっと横を向いたラズリエル。その頬がほんのり赤く染まったように見えた。が、光による陰影だったのだろう、前に向き直った美貌にそんな変化はなかった。
「そーね。せいぜいこき使ってあげるわ」
「そう遠くない時期にモルゲントルンを出ることになるが、助けが必要なときは呼んでくれ。すぐに駆けつける」
途端に先輩の顔色が変わる。声のトーンが二オクターブは上がった。
「はい!? 半年はいるって約束したじゃない!」
「サン・クルールは統轄教会だ。モルゲントルンを含む広い下位教区全域の面倒を見なければならない。手に負えない難題を抱えた教会からの助力要請がすでに何件も溜まっていると聞く。であれば、新たな頭数である私はすぐにでも派遣されるだろう。宵の仕事に就くということは、そういうことなんだ」
「教会の仕事かぁ」
と腕組みをして首を傾けるラズリエル。やむを得ないと理解しつつも納得がいかないようだ。やや間があってから大型版の本が勢いよく閉じられた。
「……でも、それはまたモルゲントルンに戻ってくるってことよね」
「何日か、何週間か、内容によって出張期間は異なるけどね。ただ、派遣された先ではカーツ傭兵団の一員として活動して、きっちりカーツ法定傭兵団の名を売ってくる」
ラズリエルはニンマリと笑った。下心を感じさせる邪悪な笑みだ。こういう部分をなくせば、玉の輿も夢ではなかろうにとゼフォールは苦笑いをした。
彼女はそんな後輩の仕種を眺めながら予想だにしなかったことを口にした。
「つまり出張ね。いいじゃない。なら、監督役としてあたしも行かなきゃいけないわね」
えっ、とゼフォールは固まった。つい早まって喋りすぎたと後悔したが遅かった。物見遊山気分でついてこられたら邪魔以外のなにものでもない。
ラズリエルは柳眉を逆立て、人差し指をゼフォールに突きつけた。
「ちょっと、誤解しないでよね。調査よ、調査。恍惚派がモルゲントルン周辺で暗躍しているの。だから、そういう揉め事のあるところには連中の影があるかもしれないでしょ」
何とも一貫性のない理由だったが、もし、魔法使いがらみの案件であるなら、先輩の助勢は非常に大きい。問題があるとすれば一つだ。
「カーツが許せばな」
「あいつに許可もらうのなんか、お茶のこさいさいよ。カーツ傭兵団で一番偉いのが誰かを教えたげる」
「もちろんカーツだ」
ラズリエルは頬をふくらませて腕組みをした。
「あら、そんなこと言っていいの? あなたのチョーカーと同じものを身につけた女性を見つけたのよ」
ゼフォールは目を見開いて驚いた。やはり、モルゲントルンにいたのだ。勢い込んで問い返した。
「どこで!?」
「例の恍惚派の女剣士。ほーら、あたしが一緒のほうが見落としをせずにすむんじゃない?」
「本当に見たのか?」
「くどいわね。確かに見ました」
彼女が嘘をつくわけがないことはわかっている。わざわざ言うぐらいだから見間違いということもないだろう。であれば、恍惚派を追えばいずれリセルにたどり着く。
そして、そのために競争関係の他派閥は欠かせない。
「いいだろう。一緒に来てくれ。先輩の言うとおり、魔法使いを相手にする可能性はある。だから、あなたがいると心強い」
「でしょう?」
ゼフォールは愛想笑いとは違う彼自身の笑顔を見せた。
「わかってるさ。いろいろと気を使ってくれていることは」
「フフン、恩に着なさい。これからは先輩の言うことをちゃんと聞くように。で、あたしのことは親しみと敬意を込めてラズリィ先輩と呼ぶように」
「わかった、ラズリエル」
「わかってない!」
予想通りの反応にゼフォールは満足しつつ部屋の戸口に目を向けた。そこに気配があったからだ。
すると団長のカーツと司祭のエリンが立っていた。カーツはだらしなくよれたシャツではなく、清潔そうなシャツの上に刺繍のあるベストを着て、まともな服装をしていた。エリンについてはいつも通りの丈の長い司祭服である。
「やっぱりウマが合うな、おまえたちは」
カーツがニヤリと笑ってそう言った。からかいつつも安堵したかのように彼の目尻が優しげに見えた。
ゼフォールも破顔したまま肩をすくめ、まぜっ返す。
「お二人が一緒にいるなんて話を聞くのも怖いですね。酷い労働条件で契約でも結んだんですか?」
「仕事の話をしに来たんだ。見舞いを兼ねてな」
苦虫を噛み潰したような顔でエリンがそのあとを引き取った。
「そうです。人聞きの悪いことを言わないでください。ですが、まずは無事に目覚めてよかったです。ラズリエルさんから呼ばれて駆けつけたときは意識のない状態でしたから。それから丸々二日間眠り続けたのですよ」
「そんなに?」
彼女は頷き、ラズリエルと反対側のベッドサイドまで近づいた。
「はい。ラズリエルさんのお話では、相手の魔法のせいだろうということでした。恍惚派の魔法使いが裏で糸を引いていたことはこちらでは把握できておらず、調査不足でした。本当にすみません」
人手不足がその原因なのは言うまでもない。
さらにエリンの語ったところでは、カリーナ・スコーデルの証言によりストラ商会の悪事が暴露され、彼らによる犯罪は根本から絶たれたとのことだった。
また、これはカーツが補足したことだが、それによりゼフォールにかかっていた他の容疑が全面的に晴れたと保安警務局から通知が来たとのことだった。
他の容疑とは、法定傭兵団法における裁判とは別に、コアト族の隠れ家にいたことことから、実は役所ではゼフォールに内通者疑惑があったのだ。しかし、教戒師という身分をサン・クルール教会が保証したため、表立っては問われることはなかったらしい。
その疑いが晴れたというのだ。
聞き終えてゼフォールはため息をつき、こうべを垂れた。
そんな疑惑がかかっていたことはゼフォール自身も知らなかった。おそらく国家反逆者予備軍リストみたいなものがあって、役所では一般人の預かり知らない活動がなされているのであろう。
それを想像すると、ゼフォールは郊外の洞窟住居で出くわした少年少女のことが気になった。しかし、気を病むだけ無駄だと思い直した。彼らには彼らの生活があり、自分たちで決断をして生きているのだ。人に使われるだけのしがない教戒師に心配されることなど望んではいないだろう。
ゼフォールが顔をあげると、注意を惹くようにエリンが咳払いをした。
「ゼフォールさん、あなたに預けたいものがあります」
傭兵団に籍をおいた教戒師に預けるものなどゼフォールには見当もつかなかった。
首をかしげて尋ねる。
「何ですか?」
エリンが右手に提げていた黒い杖を持ち上げた。杖としては長めで、地面につけば、高さは小柄な司祭の胸のあたりまでくるだろう。
教戒師の仕込み杖と色艶といいよく似ているが、グリップのところに金と銀の蔦が絡まる意匠の象嵌が施されている。
「鎮魂典礼の剣キリエです。あなたも都ではお持ちになっていたかと思います。これは私が宵闇の教戒師のときに使っていたもので、司祭になったときにそのまま与えられたのです」
宵の教戒師にはその特殊な役割から上質な装備が用意されているが、その中でも精鋭と呼べる宵闇の教戒師には典礼装備と呼ばれるさらに特別なものが貸与される。
エリンの持つそれは、長さ以外では教戒師の黒い仕込み杖と大差ないものの、その刃は教会の鍛冶工房の秘儀によって鍛えられた業物である。粘りのあるしなやかな刀身は決して折れ曲がることがなく、またどんな打撃を加えても砕けることがなかった。
ゼフォールは懐かしい典礼剣を見て胸が騒いだ。二度と見ることがないと思っていた神の憐れみを体現した慈悲の刃である。
「典礼剣キリエ……確かに私も宵闇の教戒師だった頃に使ったことがあります。しかし、教戒師ではない方のもつ典礼装備は、生きて宵闇の教戒師を勤め上げた栄誉の証です。自ら宵闇の教戒師を辞した私にこれを手にする資格はありません」
「いえ、教戒師として働くのであれば、資格は充分にあります」
エリンは挑戦するように険しい顔で象篏のある黒杖をゼフォールに向かって突き出した。これを受け取る勇気こそが教戒師を名乗る資格だと言っているようであった。
ゼフォールはベッドから下りた。カーツを見ると、顎髭を撫でながら促すように首肯した。彼ら二人の間では教戒師の仕事について話がすんでいるのだろう。必ず必要だと言ってるようだった。
ゼフォールの膝は自然と下がり、木の床についた。宵闇の教戒師というものにはそれだけの重みがあった。敬意を表すように両手で黒い仕込み杖を押しいただいた。
「では、この地にいる限り、私は教戒師としてこの典礼剣を振るうこととします。そして、カーツ法定傭兵団の技術顧問として仕事に精励することを誓います」
肩の荷が下りたと言わんばかりに彼女の顔が綻んだ。
すると、今度はカーツが急ぐようにしゃしゃり出て口を開いた。
「ま、そういうことだ。我々は晴れて正式にサン・クルール教会と年間契約を結ぶことができた。スコーデルとも業務提携した。だから、ゼフォール、馬車馬のように働け。あと、これはエリン司祭からの仕事の依頼だ。すぐに対応してくれ。じゃ、あとは任せた」
カーツとエリンは用事がすむとすぐに退出していった。二人とも相当忙しい立場なので仕方ないことだが、見舞いは一割、残り九割は仕事であった。
苦笑して振り返るとラズリエルが大きな本を小脇に抱えて立ち上がっていた。
「ほら、早く支度をしてよね」
「まだ目覚めたばかりなんだがな」
先輩のプリっとした唇が尖り、後輩のぼやきをはたしなめる。
「贅沢言わないの、二日も仕事をサボった寝坊助さん。じゃ、下で待ってるから、十数えるまでに来なさいよ。遅れたら、お昼ご飯はゼフ君もちね」
「せめて三十!」
素っ頓狂な声にニヤニヤと悪意ある笑みを浮かべてラズリエルは階下に去った。
彼女は間違いなく本気だ。ゼフォール慌てて衣装箪笥を漁って出かける支度を始めた。教戒師の装備を奥からまさぐり出しながら思う。
妹の手がかりは確かにあった。モルゲントルンに来たのは間違いではなかった。
それに、学ぶことも多かったように思う。自分が生きていく上で背負える責任などせいぜいリセル一人と考えていた。しかし、カーツやエリン、ラズリエルなど相手の責任を負いつつも自分も相手に責任を負ってもらってるんだと自覚していることがよくわかった。もちろん、カーツ傭兵団の他の仲間やイーリスたちも同様だ。
教戒師として背負えるものはまだまだたくさんあるのだ。そして、ゼフォールとして背負えるものも。
ゼフォールは黒い上着に袖を通すと、確かめもせずに箪笥から呪式譜をひとつかみ取り出して内ポケットにねじ込んだ。
しばらくはカーツ法定傭兵団が居場所だな、と納得しつつ長めの黒杖を手に部屋を出た。
小走りに廊下を移動するも非情にもタイムアップの瞬間が訪れた。
「ゼっフ君く~ん、時間切れよー! あーあ、お昼が楽しみぃ~!」
ゼフォールは苦笑を浮かべて階段を駆け下りた。
さあ、ラズリエルが待ってる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ひとまず書き終えます。
ゆるゆると書きためてから、更新を再開したいと思います。




