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教戒師とゲス魔女の傭兵団  作者: ディアス
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城郭都市モルゲントルンへ Ⅰ

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 明るい草原で淡い金髪の少女が軽やかに目の前を走っている。自分のほうが歳上で体も大きいのにどうしても追いつけない。


 少女は横顔を見せると嬉しそうに笑って速度を上げた。ゼフォールが足を千切れるくらい速く動かしても差は徐々に開くばかりだ。

 やはり、リセルには敵わないなと思いつつも、兄の威厳を諦めきれずに後を追った。


 気がつくと緑の草原は途切れ、足の下は剥き出しの土に変わった。急に日もかげり、夕刻の赤みが空を染める。心細さを覚えて顔を正面に向けると、妹の姿は小さく、遠くなっていた。


 彼女の前に金の装飾が施された荘厳な門が現れた。それは門だけで塀や柵はなく、その奥に建物が見えるわけでもない。

 その不思議な門は音もなく開き、するりとリセルが中へ入る。内側には、あまり会うことのなかった養父の姿があった。養父の腕がリセルの背中に回され、同時に門が閉まり始めた。


「待ってくれ!」


 驚いたゼフォールは本気の全速力に切り替える。しかし、門に手が届いた時には閉ざされてしまった。

 息切れをこらえて裏へ回るが、妹の姿はない。


「リセル?」


 慌てて周囲を見回してもどこにもそれらしい影は見えない。それどころか見る見るうちに日が落ち、暗い夜空がのしかかってきた。そして、眼前に何も見えない暗闇が広がった。

 突然、世界にたった一人になったような気がして、ゼフォールの心に引っかくような焦燥感が生まれた。


「リセル! どこだ!?」


 返事はなく、ゼフォールは何度も呼びかける。


「リセル! リセル!」


 必死な声は、ただ虚しく消えていくだけだった。

 圧倒的な孤独がふくれ上がり、ゼフォールの心を押し潰した。女のような悲鳴がその口をついて出た。


 その声はひずみ、ねじくれて、頭上へと引き寄せられた。

 不思議さよりも恐怖が先にたった。頭上に理解できない何かがいる。見てはいけないと思いつつも、吸い込まれた声と同様に意識が持っていかれることに耐えかねた。


 泣きそうな顔で見上げると、夜空に赤やオレンジ、紺や緑が踊っていた。多彩だがくすんだ暗い色遣いの渦。その中心には暗黒の塊が満月のようにかかり、星や空を引き摺り込むように呑み込んだ。

 その渦が、唐突に開いた。地上を見下ろす瞳が現れたのだ。瞳の周囲には血管のような筋が網の目に走り、多くを呑み込むにつれ、渦に伸びて張り付いた。


 圧倒的な狂気と矛盾をはらんだそれは、渦からヌルリと抜け出ようとしているようだった。ゼフォールにはもはや叫ぶ声すら残されていなかった。


 そして、大地が激しく鳴動した。


 ゼフォールは目を覚ますと、自分の体が揺さぶられていることに気づいた。目と鼻の先で初老の男が心配そうに顔を覗き込んでいる。他の同乗者からのぎょっとした視線が痛い。


「大丈夫かい、あんた」


 ゼフォールが戸惑った顔で頷くと男は向かいの席に戻った。


「唸りだしたと思ったら、急に叫ぶからびっくりしたよ」


「あ、ああ……それはすみませんでした」


 ゼフォールは目尻をふいて見回す。


 そこは見覚えのある駅馬車の中だった。乗ってすぐにうとうとしかけたところまでは記憶にある。しかし、いつの間にか寝てしまっていたようだ。

 箱型の駅馬車は十人ほどが乗れる大きなもので、六頭立てで牽いている。座面は木製なので堅く、尻の下では道を走る際の振動がゴトゴトと響いてくる。


 教戒師の資格を得て以来、ゼフォールには悪夢にうなされるようなことはなかった。今回見たのは、おそらく、ラグリーズで多忙だったために、妹の捜索がおろそかになったことが後ろめたいのだろう。


「嫌な夢でも見なさったかね、教戒師様」


 初老の男が気遣いを口にした。肩に立て掛けた教戒師の杖から、この青年が少なくとも聖職者であることを見て取ったようだ。

 老人自身は身に着けているものが垢抜けていることから、それなりに裕福な暮らしぶりが窺える。信心深い商人といったところだろう。


 ゼフォールは腕組みをほどき、強張った腕を伸ばしてほぐす。言葉を交わすことで気分を落ち着かせようと、無理に笑みを浮かべて答えた。


「ええ、そんなところです」


「どちらからお越しかね?」


 ゼフォールがラグリーズを出たのは三日前のことだ。歩いて駅馬車の通る村まで移動し、その道中で二泊している。

 村の名前はルプールといい、その村から目的地である大都市モルゲントルンまでは駅馬車で二時間ほどの距離であった。


「ラグリーズです。駅馬車にはルプールから乗りました」


 駅馬車は、街道沿いの町や村に設けた駅と駅を馬車で結んだ交通網であり、自前の馬や馬車を持たない人が早く遠くへ移動するときに利用する交通手段として一般的なものであった。


 男は頷いた。乗るところは見てたよ、と。


「私はその前のクルトルッツからだよ。あそこに支店があるものだから、月に何度か通ってる。もう少しでモルゲントルンに到着するが、教戒師様はお仕事で? 訪問は何度目だね?」


 彼は退屈していたらしく、話を途切れさせなかった。


「仕事が忙しかったので、少し息抜きに。モルゲントルンは初めてなんです」


「そうか、そうか。お仕事でないのなら、ぜひ見物をしていくとよろしい。大きな町だから見所がたくさんある。私はモルゲントルンに住んでるので、いろいろ教えて進ぜよう……」


 思いの外、男の話は長かった。そして、知っていることばかりだった。

 ゼフォールは曖昧な微笑を見せつつ、上の空で聞いた。内容をざっくり要約すると次の通り。


 モルゲントルンはアンリエット王国で五本の指に入る大都市である。

 東西に長い王国において地理的には西寄りに位置し、東西をつなぐ西方街道せいほうかいどうの中継地点であることから交通や防衛の要衝を占める。さらに西の大きな貿易港があり、そこからの往来が多く、モルゲントルンは活気に溢れている。


「ただ最近この辺りに盗賊が出るという噂があってな」


 と男は顔を曇らせた。


 この街道はアンリエットの東西を結ぶ大動脈である。そこに盗賊が出没するとなれば大変な事件だった。

 ゼフォールは神妙な顔で自分から問い返した。


「この西方街道に盗賊ですか?」


「噂だけどな。もし本当なら伯爵様がすぐに手を打たれるだろう。ただ、盗賊にはコアト族の連中もまじっとるとの目撃談もある」


 コアト族とは南方の山岳地帯に住む民で、アンリエットでは少数派である。


「コアトの民は山羊を飼い、山間やまあいの狭い土地を耕して暮らしている素朴な民族だと聞いていますが」


「奴らは心が髪の毛と同じくらい真っ黒なハイリウムの血筋だ。ろくな奴らじゃない。盗賊をしていても不思議じゃあない。あんな奴らはさっさと捕まって処刑されちまえばいいんだ」


 初老の男が吐き捨てるように言い、ゼフォールは顔をしかめる。それを見て、驚かせたかな、と男は恥ずかしげに頭を掻いた。


「交易商人の荷物目当ての賊らしいから、駅馬車が狙われることはまずないだろう。安心しなされ」


 ゼフォールもそれ以上は質問せずに口を閉ざした。


 しばらくして他の席から声が上がった。レースカーテンをめくり、窓の外を指差している。

 ガラス越しの景色でモルゲントルンが見えたことがわかった。


 まず目に入るのが広く盛り上がった丘陵である。さらにその上に青灰色の岩山が乗る。周辺には様々な色の瓦で葺かれた屋根がずらりと並び、多くの建築物が丘を取り巻いて、高い城壁がそれをさらに囲んでいる。


 駅馬車がやや高いところを走っているため見晴らしがよいが、城壁のすぐ外に建つ二階建て、三階建ての建物がまるでおもちゃの家に見える巨大さだ。

 まだ距離があり、近づく前から相当大きな町であることが実感できた。


「おっ、大城壁が見えたな。丘の上の岩山に建っている城が領主であるリーシュ伯爵様の城館だ」


 初老の男が嬉々として説明を再開する。


「それから……見えるかな? 丘の中腹の大きな建物がサン・クルール大聖堂。ま、これはご存知か」


 しかし、ゼフォールは別のものに目を奪われた。

 モルゲントルンの姿をひと言で形容するなら『威容』である。最も目立つ石造りの堅牢な城壁がこの交易都市をまるで要塞のように装っていた。


「まるで戦争のための砦だな……」


「ハハハ、確かにその意味合いはある。このあたりは南のハイリウム王国との国境が近い。ここ十年ほどは宰相様のお力で戦争はないが、私の若い頃はハイリウムがモルゲントルンを奪い取ろうと何度か攻め寄せたことがあった。もっとも歴史的には昔から小競り合いの多い地方で、城壁自体は私より年寄りのはずだ」


「歴史教科で習ったことがあります。もともと西方街道はモルゲントルンの側を通っていたけど、町が大きくなって街道を呑み込んだと。そして、城壁はそのときに建造され、それが百年も前の話です」


 初老の男は額をぴしゃりと叩いた。


「さすがは教戒師様だ。こりゃ私は恥をかいたようだな」


「いえ、私が知っているのは、知識だけです。大城壁と呼ばれるこの城壁がまさかこんなに勇壮なものだとは見るまで知りませんでした。到着すれば、私はモルゲントルンの凄さにもっとびっくりするんでしょうね」


 自分の町を褒められて彼はハハハと笑い、照れ隠しにそのまま額を撫でた。それから、こいつは知っていなさるか、と続ける。


「モルゲントルンは王都に次いで認可を受けた傭兵団が多いんじゃ」


「認可……つまり『法定傭兵団ほうていようへいだん』ですか」


 自分で言って教戒師は顔をしかめる。


 戦争で手っ取り早く戦力を確保するために金で兵士を雇うことがある。それが傭兵だ。ただし、手っ取り早い反面、忠誠心は期待できないし、単なる食い詰め者で即戦力にならない者も多い。

 戦乱の多い時代の為政者は、質のよい即戦力を有事にすぐ利用できる体制が欲しいと考えた。そのため、法整備がなされ、利用価値の高い傭兵団はならず者の愚連隊と一線を画するようになった。こうして戦争がないときに国や地方領主の仕事を請け負う公式に認められた傭兵団が生まれた。


 それを『法定傭兵団ほうていようへいだん』という。


 彼らは領主から認可を得ており、領主は自領にいる法定傭兵団を宮廷に報告する義務があった。国が法定傭兵団を予備戦力とみているためだ。法律が発布されたのは五十年前。三十年前に大きく改正され、現在の形となった。

 今では、彼らは規律を守り信頼できる団体として商人や市民からも依頼を受けて活動するようになった。


 ただし、気性の荒い連中が仕事の完遂を優先するあまり平気で地域の調和を乱すことが多々あり、教会関係者からは煙たがられている存在でもあった。

 ゼフォールが嫌厭けんえんする所以ゆえんである。


 その表情を見て男は苦笑する。


「聖職者の方はあまり関わりのない連中かもしれんが、私らみたいな商人は重宝させてもらってるんだ」


 ちょうどカーブを曲がる遠心力を感じたときだった。

 馬がいななき、馬車が急な制動を受けて傾いた。ゼフォールは咄嗟にベンチの背もたれを掴み、体を支えた。初老の男はぶつけた後頭部を押さえ、自分の座席にしがみつく。

 外から疾駆する蹄の音が聞こえ、前方へと走り抜けていった。


 幸い馬車は倒れず車体をきしませてすぐに停止した。車内では多少の悲鳴が上がったが、大きな怪我をした人はいないようだった。ただ、重いものが落ちる音があったことから、屋根の上から荷物がいくつか落ちたようだ。


 何事かと乗客の何人かはぶつくさ文句を言ったが、興奮することもなく全員が席に座りなおした。が、あってしかるべきの御者からの報告と謝罪がない。

 カーテンを開けてみても、小窓からは特に変わった様子は見られなかった。


 よし、俺が聞いてくる、と男が一人立ち上がると、続けて二人が同様に立った。

 それを止めるゼフォール。


「それなら私がいきましょう。私が出口に一番近いですから。皆さんは談笑でもして待っていてください」


 そして、黒い杖を上げて教戒師であることを示した。


「荷物に問題があった方には順に伝えるので、そのときにきてください」


 三人は黙って座席に座った。どうやら座りっぱなしなことが退屈であるらしい。

 しかし、教戒師がわざわざ待てと言ったので、彼らは待つことにした。何かあれば呼んでもらえるわけだし、と。

 初老の男が、うむうむと頷きながらこっそり囁いた。


「素晴らしきかな、奉仕の心。さすがは教戒師様だ。わしの鞄は焦げ茶の大きな肩掛けなんだ。最初に見てくれんかの」


 人付き合いの良さをこういう風に発揮するところが商人らしいなとゼフォールは苦笑し、肯定の意味で頷きを返す。


 実は、馬車が止まった直後に外では声がしていた。教戒師の鋭敏な耳が捉えた声は複数の人の声だ。

 が、今は聞えない。沈黙にはいくつか種類があるが、これは穏やかな沈黙ではない。


 ゼフォールは車外に不穏な気配を感じていた。身軽な格好でいきたいので、ロングコートや手荷物は席において、教戒師の杖だけを手に持つことにした。


 最後部の昇降口を開いて降りると、余計な物音が入らないように扉を閉めてしまう。


「よいしょ」


 バタンと閉まる音の直後、前方から殺気立った声が聞こえた。


「何の音だ! 下手なことをすれば、皆殺しにするぞ」

 

 ゼフォールは手ごろな石を二つほど拾い、左右を確認する。大きな岩がある右の上り斜面側を避け、見通しのよい左の下り斜面側から馬車の前に回る。

 すると、御者席で黙ってクロスボウを構える御者の姿があった。その先には道を塞ぐように荷馬車が止めてあり、四人の男がその前で剣を手に立っていた。


 想像したとおり、盗賊だった。


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