裁判
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裁判の日、質素ながら赤いタペストリーが吊り下げられた裁判執務室にゼフォールはいた。保安警務局はアンリエット王国の機関だが、タペストリーにはリーシュ伯爵の紋章である蔦の絡まる塔が描かれていた。長官を兼任しているからである。
法定傭兵団法に関わる裁判のため、リーシュ伯爵じきじきの裁きとなった。さほど広くない部屋の中央に立つゼフォールの正面に伯爵が座り、右脇に文机とともに数名の書記官、左脇に椅子に座る判事官が控えていた。
ゼフォールは被告席で顔を伏せながらリーシュ伯爵を盗み見した。
伯爵は想像していたより若く、三十歳をさほど越えていないように見える。黒髪の天然パーマで顎のがっしりした男臭い容貌は好感がもてた。しかし、好感のもてる判決が下されるかはわからない。
この裁判はカーツ傭兵団に対するものであるため、本来ならカーツも呼ばれるはずだが、彼の姿は見えなかった。持ち前の口八丁でうまく自分の切り離しが成功したのだろうとゼフォールは安堵した。
リーシュ伯爵の淡々とした開廷宣言があり、裁判は始まった。
一等書記官がゼフォールに本人であることの確認を行い、続けて罪状が読み上げられた。
「ゼフォールは法定傭兵団法、第五条『外注業務の安定遂行』に反する行為を行い、スコーデル傭兵団の非常に重要な業務遂行を妨げた罪により、スコーデル傭兵団より訴えられた」
書記官の口が閉じ、少し間が空いた。罪を認めるかと問い質される瞬間を待ち、ゼフォールは気持ちを落ち着けた。
もちろん罪は認めず、結果を考えればむしろ加勢した状態だと主張するつもりだ。すると、判事官が有罪である証拠を述べるだろう。その内容如何では、反論できなくなるかもしれない。
その場合、『教戒師』という聖職者の身分を使って、法の裁きの外へ逃れるしかない。となると、その後エリン司祭にどやされ、サン・クルール教会でしばらく教戒師職に就くことになるだろう。
書記官は咳払いをして、リーシュ伯爵へ伺うように視線を向けた。リーシュ伯爵はおもむろに口を開いた。
「訴状の内容は今一等書記官が述べた通りだ。しかし、スコーデル傭兵団からの訴えが取り下げられたため、罪はないものとされ、本裁判は判決を下すことなく終了とする」
ゼフォールは開いた口がふさがらなかった。
「すまんな、ゼフォール君、一度訴えられて記録が残る以上、法定傭兵団法においては、この手続きを経てからでないと釈放できんのだ。許せよ」
リーシュ伯爵はイタズラの結果を楽しむいたずらっ子のような表情でそう言った。
「カリーナ・スコーデルが訴えを取り下げると、今朝言ってきた。裁判の準備をした書記官や判事官の労力を考えると、取り下げるぐらいなら最初から訴えるな、と言いたいな」
暗に騒ぎを起こすなと言っている。反応を伺うような視線が送られてきた。
「法定傭兵団法絡みは取り下げたとしても、徹底的に調査するところだが、今回は特別だ。教会からも申し入れがあった。教戒師ゼフォールはサン・クルールの職務のためにあの場所にいたのだ、とな」
青年教戒師の驚く様を見て、伯爵は満足そうな笑みを見せた。
「灰光教には灰光教の法があり、それは尊重すべきものだ。と言うのも、灰光教、そして教会は人々の依り代だからだ。エリン司祭には礼を言っておくんだな。あと、カーツ団長にはあまり面倒をかけるなと言っておけ」
「はい」
驚き覚めやらないゼフォールは短く答えた。
「よし、以上だ」
領主の言葉とともに書記官たちは部屋を退出する。ゼフォールも一礼してきびすを返した。
「ゼフォール君」
呼び止められた。文句ならすでに言付かったので、用はないはず。隙のない笑顔の仮面をかぶって伯爵へ振り返った。
「はい、何かご用でしょうか?」
伯爵は両肘を机につき、手を組んだ格好でゼフォールを見ている。観察するような視線が不気味で、仮面の裏をまさぐられている感じがして落ち着かない。
リーシュ伯爵はふっと微笑んだ。
「調書の出身地欄にはアンルードと書いてあったが、君は王都から来たのかね?」
「いえ、ここに来る前はラグリーズにいました。ラグリーズ教会でお世話になっていました」
「ラグリーズか。あそこは私の所領だ。気っ風のいい住民が多く、実にいい土地だ。ただ近年、大都市からの流れ者による治安の乱れが問題とされていたが、最近ではそういった報告がめっきり減っていてな。それがなぜか、君は知っているか?」
「いえ。ただラグリーズでは、ラシエル司祭の教えが大地に染み込む雨水のようにしっかりと浸透しているので、悪事をしづらい雰囲気なのでしょう」
当たり障りのない内容で返すが、とりとめのない話の真意がつかめず居心地が悪い。
「ほう、なら、今度ラシエル司祭に手紙を送って感謝を伝えるとしよう。ところで、ゼフォール君、これは調書になかったのだが、君の名字は?」
「ありません。平民の孤児なので、名乗るべき姓を知らないんです」
「そうか。孤児で聖職者になる道を選ぶとは、立派なものだ」
これらの質問があら探しなら早々に退散したほうがよい。辞去の意が伝わるように再度頭を下げた。
「養父がおりましたので、その影響です。それでは、失礼します」
が、まだ解放してもらえなかった。
「待ちたまえ。もう一つだけ訊かせてくれ」
「何でしょう?」
「その黒いチョーカーは君のものかい?」
ゼフォールの微笑が瞬間的に氷結した。
「はい。養父に頂いたものです」
「メダルに刻まれたデザインには見覚えがあるな。向き合う隠者と騎士」
「露店で買ってもらった、ありふれたものですよ」
鼻で笑うような吐息が洩れた。
「……ふむ。それもそうだな。宰相閣下の家紋に似ていたので気になったが、有名な紋章だからわざと似せて作られたのかもしれんな」
ゼフォールが口をつぐむと、伯爵は笑って手を振り退去を促した。
レンガ造りの瀟洒な保安警務局を出ると、入り口のそばに群青色のロングドレスの女性がいた。無駄にデカい胸を強調するように腕組みをして、道行く人の視線を集めている。
ゼフォールは手に持った上着で顔を隠してコソコソと脇道へ逸れようとした。
「ゼっフくぅ~ん」
すぐに見つかった。
「お勤めご苦労!」
まるで刑期を終えた囚人を出迎えるような挨拶にカチンときたが、ここは我慢した。そうからかわれる原因を作ったのは自分だからだ。
上着がめくり上げられ、からかうような顔が覗き込んできた。
「どう? 楽しかった?」
「ああ、毎朝起こしにいかなくてすむからな」
「ひっどーい。せっかくゼフ君のために頑張ったのにぃ」
「むろん、感謝している。恩着せがましいところを除いて」
いつものように軽口で返すと、彼女の顔は呆れたものへと変じ、口からは重々しい吐息が洩れた。そして、険しい眼差しが向けられた。
「むしろ、恩に着なさい。まったく……面倒なことを起こしてくれて」
それは、彼女からは聞いたことのない声色だった。厳しく叱る話し方。そう、先輩が後輩へ大事なことを教え諭す姿がそこにあった。
「今回の件で団長は下げたくもない頭を下げ、カーツ傭兵団は苦汁をなめたのよ。あなたはカーツ傭兵団の一員としての自覚を持ちなさい」
自分の肘をつかみ、腕組みをしたラズリエルは、今回のことでどれだけの人間が動いたのかを静かに語り始めた。
カーツはゼフォールを救う方針を打ち出し、ログやエルキスなど傭兵団の面々はカーツの決定に従った。
イーリスは役場へ面会に訪れ、ラズリエル自身自分は仮面の暗殺者からカリーナを救った。
そして、極めつけはスコーデル傭兵団との不利な条件での業務提携だった。
このすべてがゼフォールの心に重くのし掛かった。その重さが呟やかせる。
「カーツはそんな決断をしたのか……」
所詮は、仮初めの団員。ゼフォールは自分のことをそう思っている。
妹を探す旅に余計なしがらみは不要である。一人の人間に負える責任などたかが知れている。その上限は、やはり人間一人分なのだ。
そして、ゼフォールの負う責任は妹のものだ。
だが、カーツは団員全員の責任を背負っていた。
ゼフォールは辛うじて首を横に振った。この町に来るべきではなかった。
「私は教戒師だ。除名されない限り、灰光教が後ろ楯となる。カーツはそこまでする必要はなかった。事件の前に追放したことにすれば、サン・クルール教会がひきとったはずだ」
次の瞬間、ラズリエルの右肘がゼフォールの喉に食い込んだ。そのまま赤レンガの壁に強く押し付けられる。普段の振る舞いからは想像もできない激しさと力強さだった。
ゼフォールは苦しくて咳き込んだが、肘は顎下にしっかりはまって外れない。
「あなた、バカなの!? いったい何しにきたの? バイト感覚で軽く小銭稼ぎがしたかっただけ? だったら、そこらで好きに稼げばいいじゃない」
ラズリエルの声は怒りに満ち、瞳は真っ赤に燃える炭のように熱い。
「妹を探すために入団したんでしょう!」
声が出ないのは単に喉を圧迫されているからだけではなかった。迫力に圧されてゼフォールは小さく頷いた。
「あたしたちを……カーツ傭兵団を軽くみないでよね」
ドライに振る舞うラズリエルの秘めた情熱はゼフォールの心に棘のように食い込んだ。
言いたいことを言い終えて気が済んだのか、肘がようやく離れてくれた。
ゼフォールは喉を押さえつつ呑み込みづらい生唾を無理矢理呑んだ。それから気になっていたことを尋ねた。
「教会に……サン・クルール教会にも話したのか?」
「カーツがね」
「そうか」
やはり、この町に来るべきではなかった。
沈黙がおり、ゼフォールは滑るような足取りで歩き出した。唐突な行動は先輩を困惑させた。
「ちょっと、どこへ行くの!?」
「教会だ。あとで屯所に顔を出す。団長にはそう伝えてくれ」
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