大城壁の外 Ⅱ
暗い通路を疾走する黒衣はまさに影だった。どの白刃も逃走者を捉えることはできず、ゼフォールはかすり傷一つ負うことはなかった。
しかし、それでも敵はゴツゴツした通路の横道から次から次へと現れ、次第に追い詰められていった。
人が一人通れる幅の通路でついに剣を抜く。モルゲントルンでの出来事を振り返ると、ためらいがあった。
が、仕方がないことだ。敵対者にかける情けはない。宵の教戒師として培った心構えがその気持ちを強固なものにした。
二人の男が抜き身を手に追いすがってきた。斬撃をかわすなり、ゼフォールの刃が男の腕を襲う。腕の内側を斬られた男は剣を取り落とし、二人目と代わる。
その男も同じところを斬られて武器を持てなくなり、後退を余儀なくされた。
剣にものを言わせれば男たちはゼフォールの敵ではなく、難なく切り抜けられるはずだった。しかし、先ほどの少年少女たちが武器を手に現れ、ゼフォールは顔を曇らせる。
さすがにこの狭い屋内で立ち回っているときに子供達を無傷ですませられる自信はない。
ゼフォールはそのまま後退し、ついには出口から遠い一階の広間へと追いやられてしまった。
そこでも十人ほどの男たちは働き蜂のように群がり、侵入者を壁際まで追い詰めた。
「役人の手先め、ここを調べていたのか?」
ゼフォールは黙ったまま答えることはしない。
「正直に答えれば、殺しはしない。我々のことをどこまで知ってる?」
その言動から、彼らはコアト族による反体制派組織で、おそらくここは活動拠点では、という疑惑が濃くなった。
彼らに対して遺恨はないが、すでに何人もの人を斬っている。その上、この拠点を知ってしまったが故に話し合いに応じる可能性は低い。しかし、これ以上の流血を避けるため、問い質してきたこのチャンスでうまく交渉ができないものか。
ゼフォールは構えていた剣を下ろした。
「ここには人を捜して迷い込んだだけで、早く出たい。他意はない」
「五人も怪我させておいて言う台詞か。町から離れたところにある怪しい穴倉だぞ。人捜しでわざわざ入るかよ」
「本当だ。信じてくれ」
怪しむ目付きが険しくなる。
「誰を捜している? どんな奴だ?」
「女剣士。それも腕の立つ」
途端にざわつき、囁きが走った。
「傭兵じゃないのか?」
「賞金目当ての奴に違いない」
「この辺りをうろついてるなら、ここがバレるのも時間の問題だぞ」
最初に口を開いた男がそれらを黙らせた。
「無駄口を叩くな! それでおまえは何なんだ? 賞金目当てに嗅ぎ回っていたんじゃないのか?」
「違う。灰の光に仕える者だ。他人を売るような真似はしない」
「信用できるか!」
疑り深いが、互いに剣を構える現状ならば仕方のないことだ。あまり気は進まないが、信用のありそうな人物の名前を出すことにした。神の嘘は救済の福音である。
「私はエリン司祭の元で働く祭士なんだ。人捜しも司祭様に言われてやっているだけだ」
「エリン様のところの下男なのか?」
司祭の名前は効果覿面だった。男たちの態度は見るからに軟化し、空気が和らいだ。
と、そこへ強烈な麝香の香りが漂ってきた。風の通らない室内に甘ったるい芳香が充満し、男たちは噎せ返った。
「逃がすな。殺すのです」
広間の入り口から声がした。物騒な台詞とともに現れたのは仮面の男だった。
額には短い一本の角。その仮面はまさに路地裏の暗殺者。ゼフォールのみならず、コアト族の男達も息を呑み、場の緊張感が一気に高まった。
「その男は傭兵だ。口を封じなければ、間違いなく我々のことを密告するぞ」
傭兵とわかるなり取り囲む輪から殺気が立ち上った。もはや説得できる雰囲気ではなくなった。
仮面から覗く唇が笑っている。口元に当てられた手には呪式譜があった。
ゼフォールは剣を片手で構え直し、腰のポーチからそっと呪式譜を抜き出した。あの男の残忍さがあれば、この広間のコアト族ごと焼き尽くすぐらいのことはしかねない。
そうなれば、この閉鎖空間では逃れる術はない。躊躇している暇はなかった。
ゼフォールの右手は呪式譜を握り込み、その裏拳が石灰岩の壁を打つ。
「大・衝・撃!」
背後で岩壁が砕け、破片が外へ飛び散る。そして、間をおかずに外気が中へ吹き込んだ。砂埃と激しい破砕音の残響に男たちが立ちすくんでいる隙にゼフォールは外へ走り出た。
そこは丘に挟まれた窪地だった。こんな地形で戦ったら、あっという間に押し包まれてしまう。ゼフォールはすぐ様坂を登り始めた。
背後をちらりと見やると、ポッカリとあいた穴から男たちがわらわらと出てくるところだった。最も注意すべきは仮面の理法魔術師だが、その姿はない。これなら背中を魔術で焼かれることもない。
ゼフォールはこの好機を神に感謝しつつ足を全力で動かした。
追いすがろうとする男たちの怒声が少しまばらになり、緩い斜面が終わろうというときだった。
喧騒を圧していななきが響き渡る。猛々しい雄馬が斜面の向こうから躍り上がった。その鞍上には鎧に身を固めた女剣士がいた。
女剣士は兜の内からゼフォールを一瞥するや、槍を構えて脇を駆け抜ける。
「突撃!」
後に続いて、騎馬の集団が雪崩のように下りていった。蹄鉄が雷鳴のように轟き、大地を揺らした。斜面は逃げ道から一転危険地帯となった。
邪魔物を意に介さない荒々しい突進だったが、ゼフォールはわずかな隙間を縫うようにして無事に騎馬群をやり過ごした。
振り返って見ると、コアト族の男たちは馬の壁に囲まれ、降参するところだった。鋭く視線を走らせたが仮面の理法魔術師の姿はなく、ひとまず安全が確認できた。
騎馬の一人が近づいてきた。
「教戒師殿、何をしている?」
それはよく見るとスコーデル傭兵団の女団長だった。
「カリーナ団長、また助けられました。あの男たちに襲われて危うく殺されるところでした」
「そうか。無事で何より。で、あの地下住居から出てきたな。あそこにはあと何人いる?」
「はっきりはわかりませんが、子供が何人かいるのは確かです。子供たちを保護してあげてください」
「確認できたのは何人だ?」
「子供は二人。中で五人の男を斬りました。あまり役に立つ情報がなくてすみません」
「いや、それで充分だ。おい!」
カリーナが大きな声で部下を呼ぶと、すぐさま一個小隊が馳せ参じた。
化粧っ気のない顔がニヤッと笑った。彼女の槍がゼフォールの鼻先に突きつけられる。
「教戒師殿を逮捕しろ! 容疑は外注妨害だ」
ゼフォールは思わず身構えたが、すぐに思い直して剣を納める。多勢に無勢であり、また走って逃げてもすぐに追いつかれるのは自明の理。そもそも人を探して迷い込んだだけであり、誠意を尽くして説明すれば誤解は解けるはず。そう考えて、ここはおとなしくされるがままに捕縛されることにした。
しかし、荒縄で後ろ手に縛られたゼフォールに説明する機会が与えられることはなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆




