大城壁の外 Ⅰ
◇ ◇ ◇
理法魔術は、その祖イェールクリッドにより体系化された魔法技術のことである。秘密が多く閉鎖的な魔法を砕いてより技術として学びやすくしたものであり、この技術を利用する者を『理法魔術師』と呼ぶ。
論理的な手法によって魔法を努力で習得できるようにしたことで、理法魔術師は一般的な職業として世の中に定着している。
ただ、理法魔術が魔法を元にした以上、魔法は存在する。
理法魔術が一般的な技術となった反面、古来の魔法に憧憬が強く残った。それによって生じた運動がある。
『魔法復古運動』だ。
理法魔術師が強い市民権を得ると同時に古く不条理な魔法はおとぎ話や伝説の中に追いやられ、ある種幻想のように扱われるようになった。
その魔法を使う者は、プライドをもって自らを『魔法使い』と呼称した。
昨今では魔法学会などに顔を出すと、魔法使いを自称する者の姿を見ることができる。
その中には懐古主義的で強い衝動に駆られた集団が存在し、彼らは古の魔法の復権を静かに、しかし力強く唱えている。
そういった集団の活動を『魔法復古運動』といった。理法魔術を中心とする現代の魔法学会では、それらをロマンを夢見る時代遅れの集団と位置づけている。
先日の仮面の暗殺者とのやりとりで、ラズリエルは自分自身が魔法と関係があることを臭わせる発言をしていた。
確かな技術である理法魔術が使えるというのに、魔法などという不確かで理論の裏打ちのないものに現を抜かすところが彼女らしい。
これを要約すると、才能の無駄遣い、という。
ゼフォールはうんざりした気持ちで、鼻持ちならない黒髪の女性のことを思い出した。ラズリエルと同じ寄り合いに出席する女理法魔術師仲間だ。
あの彼女も同類なのだろう。でなければ、初対面であのような偉そうな言動はできない。
いったいラズリエルはどんな集会へ参加しているのだろう。自分を特別だと思い込んでいる理系妄想女子の集まりか。あるいは、腐女子系魔法使いのマーケットか。
どちらにせよ、世の中に益のある会合ではありえない。
ゼフォールは顔をしかめて意識を頭の中から外へと向けた。
暇潰しがてらの想像には飽きてきたが、風景も同じぐらい見飽きたものばかりであった。
白っぽい凝灰岩が行く手に立ち並び、それは瘤のように幾つも繋がって、それが次第に大きくなって山々へと続いている。
緑に乏しく荒涼とした光景が眼前に広がる。丘と丘の狭間が細々と開いて、幾つもの進むべき道を示した。
「どの道に行ったんだろ。だけど、こんなところに何の用事があるのかな~」
「さあな。それより、こんなところまでついてきて大丈夫なのか?」
ゼフォールは隣を歩くイーリスに尋ねた。
「いいの、いいの。家の仕事当番はあたしじゃないから」
「花売り以外でやることはないのか?」
「ゼフォールこそ傭兵のお仕事はいいの?」
「今日は非番だ」
「あたしもヒバン~」
この少女は確かな目撃者だ。ゼフォールは渋い視線と微笑で揶揄しながら密かに感謝の念を抱いた。
最初の出会いで雑草を売りつけられたときこそ苦々しい思い出になったが、一人より二人のほうが道行は楽しいものだ。
少し進むと丘ばかりではなく、林立する岩の塔がまざるようになった。岩肌はざらついて風化が進んでいることがよくわかる。砕けた岩が砂状になって、風に吹かれて飛ばされているのだ。
ゼフォールの知る限りで、ここの土壌は過去の火山灰が多くを占め、痩せた土地と言われている。しかし、こんな土壌でも水が充分にあれば、植物は育つ。
その証拠にところどころに点在する草地は茶色く枯れたものばかりではなく、緑のものも多かった。山から流れてくる水がそれを賄っているのだ。
奥に分け入ると、今度はブドウやアーモンドの木が自生している土地があった。特にブドウは畑に見えるほどたくさん生えていた。続いて黄色いカボチャが幾つも実る土地が現れた。
「これは畑じゃないのか?」
黙って肩をすくめる少女は、あたしの畑じゃないわよ、と言いたげだ。
「こんなところに畑を作ったら不便だろう」
見返るとモルゲントルンの巨大な城壁がある。荒々しい大城壁の向こうには小高い丘と瀟洒な城が見えた。ここから町までは毎日畑を耕しにくるのは面倒な距離だ。
イーリスも同様の感想をもったらしい。
「まあ、町の人じゃないよね。ただ、コアト族の人たちが山地に住んでるって聞いてるよ」
「ここに来るまでの間に民家はなかったはずが」
「あ~、それは……えっとね、この辺には地下都市があるんだって。院長が言ってた」
「地下都市?」
「大城壁が造られる前は、ハイリウムが攻めてきたときに町の住民は山地に逃げ込んで難を逃れたって話よ。そのとき、見つからないように地面に穴を掘って、そこで生活していたんだって」
詳しく話を聞いてみると、それは簡単な洞穴ではなく、凝灰岩を深く掘り抜いて、何層にもなる地下住居であり、何百人もが避難できる隠れ家であった。
また、それは一つだけではなく、あちこちに造られ、合計何万人もの住人が避難したこともあったそうだ。
そうした住居の一部にコアト族が密かに暮らしているのだ。
ゼフォールは杖をしっかり握り、警戒を強めた。住めるような場所があるということは、山賊も身を潜めやすいということだ。
西方街道を荒らしている盗賊の根城もあるかもしれない。
だが、リセルが何度もこの辺りを訪れているのなら、周辺を含めてもう少し見て回るべきだろう。彼女の通った痕跡は見つからなかったが、それは後をつけられないように動いている可能性を示唆した。
地面の様子から人通りのありそうな道を選んで足を踏み入れた。
灰白色の岩塔と平らな台地は雨風による浸食でできたもので、自然の造形だったが、気がつくとボツボツと穴の開いた岩壁があるのが見えた。
人の手による窓のようであり、おそらくイーリスの話にあった洞窟住居だろう。
そのとき、窓穴の一つに人影が動いた。こちらからの視線を避けるように窓縁の奥に身を潜ませている。
ゼフォールはポーチから紙片を取り出すと、口ごもるように呟いた。
「視せろ」
ゼフォールの視界の中で風景に赤い炎のようなものが所々に重ね浮かぶ。炎は命の力が放つオーラであり、例の窓穴のある岩壁にはそれがいくつも存在し、ざっと見て五十を数えた。
洞窟住居内部で数世帯のコアト族が生活しているのだと仮定しても、さすがに多すぎる。むしろ、何かの集団と考えたほうがよい。こんなところに身を隠す連中だ。ろくな奴らではないはず。
スコーデル傭兵団長の言葉が脳裏にチラついた。褒賞金金貨十枚。九十九枚の足しになる。
隠秘蹟用呪式譜を見ると象徴印や魔術定理を記したインクはまだ滲んでいない。この状態なら、あと二、三度は使えるはずだ。
一計を案じたゼフォールは声を大きくして、さも一区切りつけようという風に言った。
「よし、薬草の生えてる場所も確認できたし、そろそろ町に戻ろうか」
えっ、と不思議そうに見上げるイーリス。その傍らにしゃがんで、囁いた。
「こちらを窺う怪しい人影が見える。先に町に戻るんだ。私は確認してから帰る」
「どこ!?」
「こら、キョロキョロするんじゃない。最近は町の近くも物騒だ。普通に帰ったと思わせないと、相手によっては帰りの道中に襲撃されるかもしれない」
この町では実体験として盗賊や政治的暗殺者には出くわしたのだ。楽観的な考えは通用しない。
その住人だけあって、イーリスも危険を理解してゼフォールの手をとった。
「だったら、一緒に帰ろうよ」
「リセルのことをもう少し調べてからだ」
「危ないんでしょ?」
「いざというとき、私一人なら走って逃げられる。言いたいことはわかるな?」
足手まといだと遠回しに言われて、ムッとした顔になったが、それ以上言い返すことはなかった。手を引かれるまま、彼女も踵を返した。
そして、丘のコブに視線が遮られた辺りを見計らい、ゼフォールは手を離した。
「寄り道をせずに帰れよ」
「そっちも気を付けてね」
「ああ」
「抜かるんじゃないわよ」
余計なひと言には苦笑を禁じ得なかったが、彼女の心配そうな瞳に感謝の念を抱いたゼフォールであった。
イーリスが充分離れた頃合いを計り、ゼフォールは来た道を小走りに戻った。ものの五分とかからずに例の窓穴の窺える凝灰岩の陰にその身を潜めることができた。
用心して覗くが、先ほどと何ら変わるところはない。改めて観察すると、他にも小さな明かり取りの小穴がいくつも確認できた。
再度透視の隠秘蹟を使って岩壁の人影の位置を確認し、窓際から人が離れている隙にその岩山に近づいた。
岩山の回りを忍び歩いて、すぐに入り口を見つけた。坂道が少し上がったところに人が通れる大きさの穴がぽっかりと空いていた。
坂は周囲から丸見えだったが、そこは街の反対側にあたり、監視者はいなかった。ゼフォールは素早く坂を駆け上がり、内部へ侵入した。
洞窟住居の中は暗かったが、訓練を受けた教戒師の視力はすぐに慣れた。ゼフォールには満月に照らされた夜並みに明るく見える。
入ってすぐは左右に部屋があり、おそらく門番が待機する部屋なのだろう。門番部屋には人はおらず、部屋の間の細い通路を足元に注意しながら、密やかに進んだ。
所々に下からは見えない位置に穴があり、中の様子はよくわかる。
小部屋をいくつか過ぎると縦穴が現れた。降りるための梯子はない。いや、よく見ると縁に鉄の楔が打ち込まれていて、そこからロープが垂れ下がっている。
階下を窺うと人のいる気配はないので、そのロープを伝って静かに降りた。
ゼフォールとしては、危険なことをするつもりはないが、この集団の正体を確認することだけはしなければならないと考えていた。
考えにくいことだが、万が一、リセルが囚われていたら、彼女の救出を考えなければならないからだ。報奨金の件はあったが、役場への届け出は必要に応じてすればよい。
降りた先にはやはり無人だったが、四方に通路が伸び、その一つには火影が揺らめいていた。おそらく人がいる。
ただ、そちらへ直接向かうのは危険だ。回り道をして人のいない通路から行くべきだろう。
そう考えて振り返ったときだった。
人の声が聞こえた。背後の通路だ。ゼフォールは咄嗟に左手の通路に隠れた。そちらは明かり取りの穴がなく、より暗かったからだ。
気配を消す呪式譜を取り出し、呟く。
「気づかれるな」
息を殺してじっとしていたおかげで、見つかることはなかった。教戒師の黒い着衣はいつも通り闇に紛れてくれた。
通り過ぎたのは二人組みだった。案に違わず、どちらもコアト族の男で標準的な市民の装いだったが、市民には似つかわしくない剣を帯びていた。
さて、とゼフォールは思案する。内部構造がわからないため、リセルがいるかもしれない場所の見当がつかない。であれば、人のいそうな場所を知っている人間を利用するのが一番だ。
そのため、今通り過ぎた二人組の後をつけることにした。
しかし、踏み出してすぐにその足は止まった。十字路の向かいの通路から、少年と少女が現れたのだ。
ちょうど数歩手前で二人は止まる。少年が幾分年かさで、少女は消えるように少年の背後に隠れた。その少年の顔には見覚えがあった。
どん底クズ酒場で助けた少年だった。ゼフォールは安心させるように笑顔を見せる。
次の瞬間、少年は叫んでいた。
「敵だ!」
ゼフォールは身を翻して逃げた。




