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教戒師とゲス魔女の傭兵団  作者: ディアス
17/35

黒いチョーカー Ⅰ

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 『青天の霹靂』とは、晴れた日の雷鳴。

 いい天気だなあ、と油断しているときに突然落雷の音がすれば、誰だって目玉が飛び出るほど驚くものだ。


 今のゼフォールの心境はまさにそれであった。

 朝、いつものように先輩技術顧問を迎えに行くと、ちょうど自宅を出た本人にばったり出くわしたからだ。


 ゼフォールは反射的に天を仰いだ。雨は降らないようだ。雪も雹も石も槍もカエルだって降らない。

 当面天変地異はなさそうだと判断できると、安心してラズリエルに目を戻した。


 彼女は深い紺色の魔女ドレスと先の折れたトンガリ帽子を頭に載せ、化粧もバッチリ。腰に小物入れとメモ帳をぶら下げて抜かりなし。

 それどころか襟や腰を飾る白いレースが普段よりフォーマルな雰囲気をかもしていた。


 彼女のほうでもポーチを出たあたりでゼフォールに気づいて手を振った。


「あら、ゼフ君、おはよう」


「おはよう。今日は早いようだが、どうかしたのか?」


「今日からニ連休なの。じゃあね」


 普段と異なる絡み癖のない対応に驚き、足の止まるゼフォール。仕事でなければ、彼女も普通に起きられるらしい。それより聞き捨てならない台詞があった。

 思わず手を挙げて呼び止める。


「待ってくれ。その場合、迎えはいらないんじゃないのか?」


「そうよ」


 しれっと答えた先輩は何をいまさらと不思議そうな顔をした。


「屯所にあなたの姿が見えなかったから、ミーティングルームの黒板に書いておいたわ。昨日の帰りに」


 昨日のゼフォールにはそんなものを見る余裕はなかった。薬剤師からの依頼である薬草の採取に明け暮れていたからだ。郊外から町に帰り着いたときは日も暮れており、その日は屯所の受付カウンターでエルキスに報告とともに薬草でいっぱいの籠を渡してすぐに帰宅した。


 元々は技術顧問たるラズリエルが主体となる仕事であったが、出発するタイミングには彼女の姿は消えていた。モルゲントルンの地理に暗いゼフォール一人ではとても手が回らない仕事だった。

 しかし、途方に暮れていたところにたまたま通りかかったイーリスが手伝いを買って出てくれた。かの少女は孤児院の仲間をかき集め、全員で大城壁の外へ繰り出した。この人海戦術のおかげで何とか薬草をかき集めることができた。


 その日の昼食と夕食はゼフォールも含めて総勢十名という大所帯での食事となり、懐がかなり軽くなったが、これはやむを得ない出費だった。


 ゼフォールは万感の思いを込めてジト目で睨みつける。


 ラズリィ先輩はほのかに頬を赤らめると、小首をかしげてはにかむように微笑んだ。


 残念ながら思いは伝わらなかった。


 そこへ彼女を呼ぶ爽やかな声。


「ラズリエルさん」


 サン・クルール広場へ続く坂道から、長剣を腰に吊ったダブレット姿の凛々しい青年が下ってくる姿があった。


 その好青年は厳しい視線でゼフォールを威嚇しつつ小走りに近寄ってきた。

 それからラズリエルを淑女のごとく丁寧に扱い、まるで悪党から庇うように二人の間に割って入る。


「ならず者に絡まれていますか?」


「いいえ。この人はただの通りすがりよ」


 ラズリエルが小悪魔的な笑顔で否定すると、続いて彼はとろけきった表情でお茶に誘い始めた。小悪魔はどうしようかなと返答を焦らして楽しんでいる。


 うーむ、とゼフォールは唸った。

 身のこなしから腕の立つ剣士、そして物腰から位ある騎士と見て取れたが、これほどの好青年を篭絡しているとは、なかなか侮れない先輩である。


 不意に好青年が首をねじると、敵意のこもった視線を送って寄こしてきた。ゼフォールは本格的に恨みを買う前にその場を離れ、屯所へ向かうことにした。


 屯所では朝一番から受付係がカウンターで待機している姿があった。入ってすぐの広い玄関ホールにはカウンターがあり、そこに三十前後の傭兵が並んで退屈そうな様子で椅子にだらりと腰掛けている。受付係のエルキスとバルドーだ。


 エルキスは短髪の男性で受付の主任を任されている。こめかみに妙な模様の剃り跡があるため、どこにいてもすぐに見分けがつくという特徴がある。

 だが、彼の真骨頂は繁忙時の顧客対応にある。どれほど大勢の人がきてもその話を聞き分けて瞬時に判断、指示、応対をすることができる。

 惜しむらくは、ラズリエルの顔を見るたびに乳を揉ませろと言う節操のなさである。手遅れになる前に、相手を選んで言わないと身を滅ぼすぞ、と忠告してやりたい。


 彼はニヤリと笑って言った。


「よう、ゼフォール。今日は遅刻じゃないんだな」


「先輩のお迎えがないからな。おはよう、エロカス、バルドー」


「誰がエロカスだ!?」


 ラズリィがいつもエロカスと呼んでいるので、ついエロカスと口走ってしまった。

 憤懣やる方ないといった風情でエルキスはカウンターに両手をつく。彼は悔しそうに言った。


「何か誤解があるようだな。俺は決して度を越してエロいわけじゃない。ただ女が好きなだけなんだよ。それのどこがエロいんだ。男として当然のことだろう。なあ、ゼフォール、おまえは女が好きじゃないのか?」


 この質問は内容的にノーと答えることはできない。死して教戒師の矜持を守るか、生きて汚辱にまみれるか。


「普通に女性は好きだよ」


「そう、それが正常な男の答えだ」


 エルキスは安堵の表情を浮かべて笑顔に戻った。


「なのにラズリィは俺のことをエロカスと呼んでひどいんだ」


「ああ、あいつは非人道的な奴だ」


「だろう、毎朝乳揉ませろと言うだけで変態扱いするんだぞ」


「それは変態だ」


 途端に彼の瞳の奥に危険な光が宿る。


「俺にそんなこと言っていいのか? 俺は私情で動く男だぞ」


 そんなことを自慢する時点でラズリエルと大差ない人物であることは明白だ。


「そもそも俺はここにただ挨拶するだけのために座っているんじゃない。仕事の依頼の一次受付をしているんだぞ。俺が依頼内容を分類精査して、誰が適任か考えて振り分けてるんだ。大きな仕事やお得意様からの依頼は団長や副団長へ上げてるが、それ以外は俺と相棒で誰に何をやらせるかを決めてるんだよ!」


 まくし立て終わると、エルキスは落ち着いた。しかし、鼻息が荒く、変態傭兵の不気味さが増した。


「おまえは妹を捜す時間がほしいんだろ。仕事の振り分けが俺のさじ加減一つだってことはどういうことかわかるよな」


 実権があるだけにラズリエルよりたちが悪い。ゼフォールは溜め息をついて謝罪した。傭兵とはこんな奴ばかりだ。


「私が悪かった」


 エルキスは満足そうに謝罪を受け入れ、にこやかに笑った。


「そうか。わかったか。ならいい。まあ、ついでだ、妹の情報があったら、拾っといてやる」


「いいのか。むしろ、探せないようにしてやる、とか言うつもりで間違えたんじゃないのか?」


「聖職者のクセに信頼というものを知らない奴だな。言っただろ、俺は私情で動く男だ。頑張ってる兄ちゃんには味方するんだよ。それに、なんといっても、金貨九十九枚の大仕事だからな」


 実際のところ彼らのことは読み切れない。

 ゼフォールが曖昧な表情で黙っていると、受付主任は勝手に喋り続けた。


「とりあえず、その妹の特徴を教えてくれ。特技や好きなものは?」


「剣の技量は超一流だ。好きなものはキラキラした飾りのあるもの。食べ物ならリンゴだな」


「ほう。なら、髪や目の色は? 顔立ちは美人か? 背は高いのか?」


 訊かれたことに答えていくと、質問はどんどん増えていった。しかも偏って。


「胸はラズリィより大きいのか? 腰のくびれは? 尻は丸いほうか、細いほうか? セフレはいるのか?」


 相棒のバルドーに頭を引っぱたかれ、エルキスは我に返った。


「ああ、もういい。充分だ。妹さんが素晴らしく美人でグラマーで性格のよい女性だと理解できた。俺も何か情報を聞いたら教えてやるぜ。その代わりと言っては何だが、妹さんが見つかったら紹介してくれ。ラズリィはおまえに譲る。ラズリィとお幸せにな」


 おまえの頭はすでに幸せそうだな。そう思ったが、そこはグッとこらえて笑顔で別れを告げるとその場を後にした。


 朝の全体ミーティングのためにミーティングルームへ入ると、すでに数人の傭兵が人待ち顔でたむろっていた。彼らと挨拶を交わした際にニヤニヤと笑われた。

 嫌な予感がして黒板を見ると、その片隅にラズリエルの走り書きが残されていた。


『ゼフ君へ……明日からニ連休。浮気しちゃイヤよ。×(キス)×(キス)×(キス)、ラズリエル』


 その下には怒りに満ちた別のメッセージが記してあった。


『ラズリエルへ……勝手に休むな! 黒板に私用メッセージを書くな! 説教だ! ゴライン』


 ゴラインというのは副団長の名だ。

 ゼフォールは憮然とした面持ちで上の一文だけ消した。自分は関係ないと書きたい衝動に駆られたが、そんなことをすればますます同類扱いされるため我慢した。


 やがて人が集まると朝のミーティングが行われた。副団長の号令で始まり、全体への周知の後、昨日定時までに仕事が終わらなかった活動の進捗報告を要求された。何人かが名前を呼ばれ、立って報告をする。

 ゼフォールも例に洩れずご指名を受けたが、薬草集めは完了してエルキスに報告済みのため、それ以上のことは言われなかった。副団長は何かを追求したそうに唇と頬を歪めていたが、口にはしなかった。朝は忙しいのだ。


 その日、ゼフォールに割り当てられた仕事はなかった。ラズリエルが休みのため、むしろ一人でも頑張ってやってみろと言われるかと思っていたのだが、逆に休みなしで働いていたので、少しゆっくりしろと言われた。単に技術顧問向きの仕事がなかっただけだろうが。


 受付でエルキスからその指示を聞いた後、ホールに戻った。


 これはリセル探しのよい機会だった。


「ふぅ……」


 浮かない顔で溜め息をつく。


 エリン司祭の言葉が頭のかすめたのだ。妹を探すために教戒師の責務を放棄したことが思ったより心に重くのしかかっている。


 教戒師に与えられた『戒めの秘蹟』とは、不道徳や神の教えに反する言動に対して戒めと更正のための教えを与える行為を言う。ただし、宵の教戒師はその秘蹟をもっと深いところで行う。


 平和であろうと、乱世であろうと、世の中は常に苦界くがいだ。そして、苦しみに喘ぐのは金のない者、力のない者。

 そういった人々を神の名において苦しみから解放する。あるいは害悪を生み出すものを絶つことが宵の教戒師の使命である。


 教戒師の道を選んだのは養父の勧めがあったからだが、そこにやりがいを見出したのは自分自身だった。だが、妹を探すためとはいえ、戒めの秘蹟をおろそかにして、本当によかったのか。


 教会を訪れて以来、そのことが脳裏で行ったり来たりしている。


「おい、ゼフォール、邪魔だ。やることがないなら家に帰れ」


 忙しく立ち働く傭兵の遠慮のない声が背中にぶつかった。ゼフォールは舌打ちをして踵を返すとホールを出た。


 こんなことでは時間の無駄にしかならない。とにかく行動をするべきだ。

 しかし、教戒師としての矜持が妹探しに足枷をはめる。


 再度溜め息をつくゼフォール。少し気分転換をするべきなのかもしれない。働きすぎのせいで考えが凝り固まっている。


「そうだな……」


 とりあえず、エイマス孤児院を訪れるのがよいかもしれない。昨日はあれよあれよという間にイーリスに連れ出されたため、院長に挨拶すらできていない。

 思考が第三の道を見つけ、気分が楽になった。


 ゼフォールは少し軽くなった足で屯所を後にした。


 ログが傭兵仕事のないときに働いているエイマス孤児院は、その名の通りエイマスという老人が運営しており、現在九人の身寄りのない子供が生活していた。

 孤児の半数はアンリエット王国の主流であるアィンリッツ人やケイン人で、もう半分はコアト族との混血児で浅黒い肌をしている。


 ゼフォールは道を尋ねながら移動すると、町の南ブロックにある孤児院へとたどり着くことができた。


 玄関をあけるや黒い杖を持つ姿を見てイーリスが抱きついてきた。


「ヤッホー、ゼフォール、今日も何かお手伝いある?」


「いいや。顔を見にきただけだ。昨日は助かった」


「エッヘン。また何かあったら、真っ先にあたしに言いなさいよね。手伝ってあげるから。まあ、今日は紙クズ拾いをするよう皆に言うわ」


 紙は再生可能であり、書き損じなどの屑紙を拾い集めて古紙屋に売ることで多少の小銭稼ぎができるのだ。

 それにしても、この少女は性格的に物事を仕切る仕事が向いてるようだ。


 声を聞きつけたエルミールもやってきて三人で雑談をした。その後、エイマス院長に紹介してもらった。院長は愛想のよいお爺さんで子供たちと朝食の後片付けをしていた。杖をつくほど腰が曲がり、ほとんど子供たちが片付けているようだ。

 エイマスはゆっくりしていってほしいと言い、仕事に戻っていった。


 そこへ待ってましたと、イーリス、エルミールの二人が現れ、意気揚々と孤児院の中を案内してくれる。

 年季の入った建物は補修跡が多く、それも完全ではない。雨漏りや壁の隙間風など家屋を傷めるものあり、ゼフォールはその修繕を買って出た。


 見るからに好々爺のエイマス院長はしきりに感謝してくれ、イーリスとエルミールが手伝いを申し出た。手伝いとは言いつつも、珍しいらしく二人は作業中の手元を食い入るように見つめた。


「そんなに見られるとやりにくいな」


 ゼフォールは土壁の隙間を粘土質の土で埋めると理法魔術で乾燥させ、その上に薄く漆喰を塗った。

 そして今度は、それが乾き切る前に拾ってきた枝の先端で象徴印と理法魔術の呪文式をさらさらと書き込んだ。

 そのあと、自然乾燥させてさらに上から漆喰で塗り固めた。その後呪文を唱えて、理法魔術を発動させることで漆喰壁は雨風に強い壁に生まれ変わった。全部で三箇所の補修を終えると午前中も終わりかけてしまった。


「よし。色が目立つが、補修した壁はこの先十年は問題ないだろう」


 二人は驚いたが、特にエルミールは感動すらしていた。


「ゼフォールさん、教戒師は左官屋の仕事も勉強するんですか?」


「いや。本職の仕事には遠く及ばないし、比べるものじゃない。教会でも普通は本職を雇うが、私は渡り歩くことが多いから、色々と自分で直す必要に迫られてね。ちょっとずつかじってる程度だ」


「へ~、いろんな事ができるようになるんですねえ。僕でも聖職者になれますか?」


 イーリスの小馬鹿にした眼差しが発言者を突き刺す。


「あんたが? どんくっさいのに?」


「いや、エルミールは勤勉そうだから、真面目に取り組めばなれるかもしれないな」


 ヘヘンと彼は胸を張った。


「あんたがなれるんなら、あたしは楽勝ね」


「イーリス、おまえは聖職者向きじゃない」


「何でそんなことわかんのよ!」


 少女はムキーと怒ったが、その怒りを発散する前に大きな物音に気をとられた。玄関の方向からだった。

 イーリスとエルミールは顔を見合わせると走り出す。ゼフォールは黒杖を手に二人の後に続いた。


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