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教戒師とゲス魔女の傭兵団  作者: ディアス
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サン・クルールの司祭 Ⅱ


 外は日が傾きかけ、サン・クルール広場は遅い午後ののんびりした雰囲気に変化しつつあった。人の数はむしろ増えており、大聖堂や遠い城壁へ目を向ける観光客らしい姿が目立った。


 大聖堂の正面アーケードを抜けたところでラズリエルが少し気落ちしたようにかぶりを振った。


「かる~くあしらわれたわ」


「初対面ならあんなものだろう。眼中になかった法定傭兵団を意識の片隅に留めてもらえる程度には話ができた。これからの努力次第さ」


 そうね、とラズリエルは力なく呟いた。腰のポーチに右手を載せていじっている。その無意識な動作は彼女の繊細な面を感じさせた。

 本来なら、ゼフォールが頑張らなければならないところだが、今回はある意味仕事を断ることしかしていなかった。彼女の憂いを含んだ横顔はちょっとした罪悪感をもたらした。


 ゼフォールは咳払いをして注意を惹くと、明るい口調で礼を述べる。


「さっきは話を切り出してくれてありがとう。とても助かった」


「あら、どういたしまして。それより、ゼフ君にお礼を言われるなんて雨が降るわ」


 と怪訝そうに空を仰ぐ。薄雲がゆるゆると浮かぶ程度の快晴だ。

 二人は縫うように広場を通り抜け、下り坂に到達する。その頃にはラズリエルも元気が戻り、腹立たしげにエリンに関する感想を述べた。


「ところで、あの司祭、若いくせに随分と偉そうね。上から目線で何様のつもりなの」


 ラズリエルの言うことはもっともだったが、司祭という地位は決して軽いものではない。


「うん、事実、彼女は偉いんだ。統轄教会の司祭は主席司教の下で統轄司祭として働く役目を与えられ、祭位階でも最上位の者だ。その広大な教区の実務を取り仕切るのだから、当然かなりの権力をもっている。それに、あの見た目、おそらく私より年下だ。その若さで司祭というのは優秀なだけでなく、実績もあるに違いない」


「はあ!?」


 素っ頓狂な声とともにラズリエルは美貌を引きつらせた。目は見開き、全身がわなわなと震えている。

 その激しい怒りの表現にゼフォールの胸では鼓動が三倍に加速した。エリンを持ち上げたことがよほど癪に障ったのだろうか。


 白くて細い指が不愉快そうにゼフォールに突きつけられる。


「女性の年齢を外見で図ろうなんて、ありえない。あたしの歳もそんな風に当て推量してるんじゃないでしょうね! そんなことしてたらズン引きよ」


 突然叫んだ理由がわかり、ゼフォールの頭は急速に冷えた。それもカチンコチンに。にべもなく氷の舌で切り返す。


「ズン引き? ドン引きの間違いだろう」


「え? あ……そ、そんなことあるわけないでしょう! ズン引きというのはね、ドン引きよりももっとずっと引くって意味なの!」


 狼狽した先輩は意味のわからない言い訳を続ける。


「つまり、あなたの発言に引いてるってこと。そう、最上級はズドドン引き」


「ドン引きなのかズン引きなのかどっちだ」


 ラズリィ先輩の動きが止まった。やおら両手を下目蓋に当て、泣き真似を始める。


「えーん。ゼフ君がいじめるうよう~」


「謝れば許してやる」


「前から気になってるんだけど、あたしにだけ態度と言葉遣いがちがくない?」


 根に持つわけではないが、ゼフォールの頭の中ではどん底クズ酒場を初めて訪れるきっかけとなった発言が思い起こされた。

 だが、あれは彼女の行いの中では、大したことではなかった。日常での振る舞いを考えれば、むしろ善行に含まれるぐらいだ。


 だから、冷めた笑顔で言ってあげた。


「知るか」


「やっぱり差別されてる~。しょぼーん……」


 がっくりとラズリエルの肩が落ちる。

 鈴を転がすような耳に心地よい声はついフォローを入れたくなる可憐さだが、台詞がそれを阻んでいる。この戦術に引っかかったら負けだとすでに学んでいるゼフォールだった。


 今日は他にやりたいことがあった。それは、もちろん妹の目撃情報集めだ。

 早く止めて欲しいオーラが感じられるラズリエルに声をかけた。


「楽しんでいるところ、悪いんだが、屯所へ戻る前にどん底クズ酒場(どんぞこ)へもう一度寄りたい」


「慰めるために奢ってくれるの?」


「違う。今日も頑張って情報集めをするのさ」


「あ、そう。仕方ないから付き合ってあげる。気が変わったら、いつでも奢られてあげるから」


 この返答は無視してゼフォールは歩き出す。こうして二人は寄り道することとなった。


 今日はルロイ傭兵団の連中がいないことを祈りつつ、目的のためには何度も足しげく通わなければならないな、とゼフォールは腹をくくった。


 どん底クズ酒場の看板が見えたときには、風景が夕日に赤く染まり、家路を急ぐ人が増えていた。


 店の前までくると、数人の傭兵に絡まれる黒い髪の少年の姿があった。十四、五歳ほどの少年はお使いなのか、大きな荷袋を抱えたまま立ち尽くしており、憎々しげに相手を睨んで拳骨を喰らった。


 ラズリエルが眉をひそめ、気分悪そうに言った。


「見ない顔の連中だわ。仕事で余所の町からきた傭兵かしら。それに、あの子供、たぶんコアト族の子ね。だから意地悪されているのよ。弱い者いじめなんて、他人の町で好き勝手やってくれるわ」


 ゼフォールの記憶にモルゲントルンに初めてきた日のことが甦った。あのときと同様、傭兵という職業に身をおく者の根本的な下劣さ、そういうものが眼前の連中には感じられる。


 傭兵の一人が少年を突き飛ばすと、抱えた荷物ごと倒れた。

 少年は何も言わずに立ち上がり、どこかに逃げ場はないかと見回す。そこへ別の一人が背後から小突き、そちらへ振り返るとさらに別の一人が小突いた。


 ゼフォールの下腹に熱くドロドロとしたものが溜まりだした。教戒師の杖を握る力を強くして苛立ちを我慢する。これはモルゲントルンを訪れて以来溜め続けたフラストレーションでもあった。


 決して怒りを面には出さず、ゼフォールは淡々とした口調で先輩に尋ねた。


「ラズリエル技術顧問、質問だ。法定傭兵団同士は争ってはいけないと副団長から言われているが、相手が法定傭兵団でなければ問題ないのか?」


 態度の微妙な変化に気づいたラズリィ先輩は茶々を入れずに答える。


「ないわね。暴力行為は一般的に違法だけど」


「私は傭兵の仕事で一度でも暴力を振るったことがあったか?」


 ははーん、わかったぞ、と先輩は豊かな胸の前で手を合わせた。


「いいえ。せいぜい『肉体的説得』をしただけよ。聖職者らしい極めて穏やかな対応だったから、別れ際は皆、いい笑顔だったわ」


「もう一つ質問するが、あの無法者たちが法定傭兵団の者かわかるか?」


 ラズリィ先輩は笑みのこぼれる口元を手で隠し、とてもおしとやかな声で言った。正解を教えてあげましょう、と。


「たぶん違うわね。法定傭兵団はそれぞれ法定傭兵団徽章(エンブレムバッジ)があって、それを身につけないといけないの。どこに所属しているかはそれを見れば一発でわかるようになってるのよ」


 初耳のルールにゼフォールは思わずラズリエルの顔を覗き込む。


「私はまだもらってない」


「あたしが預かってる」


「なぜ渡さない」


「忘れてた。てへっ、ペロ」


 ゼフォールのジト目は諦めたように前方に戻された。


「後でちゃんと渡してくれ。それより、今の話によると、あいつらは法定傭兵団ではないようだな」


「そうね。それに、そもそも教戒師が傭兵に戒めを与えたところで、法定傭兵団法のどこにも抵触するわけないわよ」


「フフッ、さすがは頼れる技術顧問だ。少し待っていてくれ」


「どうぞ、お気の済むままに」


 ゼフォールは肩の力を抜いて軽く回す。

 気づかれるより早くするりといじめの輪の中に入った。

 

 闖入者に驚いた傭兵たちは怒鳴りつけた。


「何だ! てめえは邪魔するな!」


 それを無視して、ゼフォールは少年にこの場を離れるように促す。少年は突然現れた人物に戸惑いながらも脱兎のごとく走り出した。

 傭兵の一人が立ち塞がろうと動いたが、それを教戒師の黒杖が阻む。おかげでコアト族の少年は無事逃げおおせることができた。


 獲物を逃がされたことで敵意のこもる視線がゼフォールに突き刺さる。


「何なんだ、このクソ坊主は」


 彼らは慣れた様子で新たな獲物を取り囲んだ。普段からこういうことをよくやっているに違いない。そう考えると、ゼフォールの虫の居所はますます悪くなった。


 傭兵の一人が首を振ってなじるように言った。


「おいおい、コアト族の連中はご立派なお役人を殺してんだぞ。だから、この町の治安のために、わざわざ俺たちがコアトのクソガキが変な気を起こさないように教えてやってたんだ。それを何で逃がすかね、おまえは。ええ?」


「うるさい。どうせ殴りたいだけなんだろう。さっさとこっちにこい、このクズめ」


 そう吐き捨てて、ゼフォールはスタスタと人目のない路地へと歩いていく。この見下した態度に傭兵たちは激怒し、我先に走って追いかけた。


 そして、一分後……。


 路地裏には三人の傭兵の気絶した姿が横たわった。


「傭兵なんてこんなものか」


 鮮やかに三人を打ち倒したゼフォールに息の乱れはなく、フンと鼻を鳴らした。

 と、そこに声が掛けられた。


「教戒師殿、そんな半端者を基準にしてすべての傭兵を見くびらないで欲しいわ」


 見ると路地の入り口に腰に剣を吊った女がいた。整った顔立ちに濃い化粧で、身なりは剣士風だ。

 どことなく見覚えがある。化粧のせいですぐにわからなかったが、失礼になる前に思い出せた。駅馬車を襲った盗賊を退治してくれた法定傭兵団の隊長だった。


「あなたはスコーデル傭兵団の……。あのときはありがとうございました。私はゼフォールといいます」


「仕事の一環だ。依頼には含まれない相手だったが、私は悪行を見過ごすような野暮な指揮はしない。私の名はカリーナ・スコーデル」


 これ以上の礼はいらないと彼女は手を振った。そして、歩み寄ってくると続けて話した。


「教戒師殿は息災でなによりだ。ところでカーツのところに入団したそうだな」


「ええ」


「仕事と関係のない情報を集めるおかしな教戒師のことが噂になってるぞ」


「おかしな……」


 常識外れと言われて絶句した。自分を指差して問い返す。


「私のことですか?」


「ああ。傭兵らしくない振る舞いは目立つ。カーツは傭兵団を大きくするために死に物狂いだ。傭兵向きじゃなくても新しいものを取り入れたがる」


「どういう意味ですか」


「教戒師殿も傭兵としてやっていくなら、傭兵らしくしろ、ということだよ。それと、義気はいいが、あまり格好をつけると、傭兵同士だ、不要な疑いをもたれるぞ。ただ、少年を助けたことは評価するけど、ね」


 彼女は、ケチをつけているのか、褒めているのか。意図を測りかねてゼフォールは小首をかしげてみせる。


 カリーナは否定するように首を横に振った。


「いや、馬鹿にするつもりはない。うちは伝統的に警備や護衛などを得意としている。要は戦い一辺倒な仕事ぶりが売りなんだ。モルゲントルンを拠点にしている限りはそれでもよい……」


 一度言葉を切った後、溜め息をつく。


「うちにも教戒師殿のように器用な者がいれば、業務の幅も広がるのだけど」


 そこへ険しい顔をしたラズリエルが現れた。


「あら~、カリーナじゃなーい。相変わらず、押しつけがましい恩を売ってるの?」


 しれっと放った嫌味は、切れ味鋭い皮肉で返された。


「ラズリエル・サリメイルか。フラれすぎて、とうとう初心うぶな聖職者にまでつきまとうようになったのかね?」


「ちょっと聞き捨てならないわね。まるであたしがもてない女みたいに言わないで」


「事実だろう。さて、次の仕事の打ち合わせがあるので、失敬する。忠告はした。教戒師殿、さらば」


 ラズリエルはンベ~と舌を出して見送ると、入れ替わりに路地に入ってきた。


「彼女はスコーデル傭兵団の三代目団長。スコーデルはカーツの目の上のたんこぶなのよ。老舗の大手だからって、お高くとまっててね。鼻持ちならない奴よ」


 二人の見目麗しい女性は互いにそりが合わないことを自覚しているが、特に関係改善をおこなう予定はないようだ。

 そして、これはカーツ、スコーデル、それぞれの傭兵団に置き換えることができるのだろう。


 ゼフォールは腕組みをして感慨深く思った。教会でのたまった内容以前の問題だ、と。おそらく商売敵である限り、傭兵団同士が仲良くすることは難しいものなのだ。


 ふと見ると、先輩は地面に倒れている傭兵たちの懐をあさっていた。


「ウケケケッ、全部もらってあげるわね~。これもモルゲントルン経済の活性化のためだから~」


 不穏当な呟きを聞き流し、ゼフォールは顔に手を当ててうなだれる。傭兵同士が仲良くなることは絶対にないと確信がもてた瞬間だった。



 ◇ ◇ ◇


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