サン・クルールの司祭 Ⅰ
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ゼフォールとラズリエルが遭遇した路地裏の殺人事件から数日が過ぎた。
流れた噂によると、殺されたのはモルゲントルン町役場の上級官吏である戸籍行政官とのことだった。人口管理を行う戸籍行政官の業務は町民の身分保証に直結するため、コアト族の生活に大いに関わる。
ラズリエルの推測通り、王国の警察組織である保安警務局からは、犯人は複数のコアト族で行政官を殺してから仲間割れを起こした、との見解が示された。焼死体はその結果の一つだとされたわけである。
当然のことながら、あの後ゼフォールは仮面の人物の襲撃を警戒した。理法魔術を使う者の冷酷さは注意すべきものだが、それ以上に剣士の技量は今思い出しても寒気がするほどだ。
彼らはあの現場に出くわした二人の目撃者をそのまま放置しておくような甘い奴らには見えなかった。
ところが、先輩はまったくその心配をしようとしなかった。何かしらの警護を検討することも提案したが、一笑に付された。
「ゼフく~ん、下僕がそわそわするのは構わないけど、あたしまで一緒にしないで。あなたみたいな小物とは違うの」
「まさか剣で刺されても死なないとか?」
「死ぬって。絵物語じゃないんだから、致命傷で死なないわけないでしょ。ま、生命力が美しさに比例するんだったら、百パー確実にあたしは不老不死の上に不死身でしょうけど」
「化け物自慢は顔だけにしてもらうとして、本当に護衛はいらないのか?」
化け物のコークスクリューパンチがこめかみをかすめた。
「キイィィィーッ、あんたが話をふったんじゃない! ……ま、いいわ。その件についてだけど、あたしはこう考えてるわ。巷の話しっぷりから、例の変態仮面’ズのおそらくの目的『コアト族のモルゲントルンでの評判の低下』は達成された。だから、こちらに手を出して逆に余計な足がつくような真似は控えてるのよ」
「だとすれば、あのとき逃げないほうがよかったのかもしれないな」
「いいえ。あのコンガリBBQ死体がある以上、それが可能な手段をもつ理法魔術師は疑われるだけよ」
「だが、正直に言えば、わかってもらえたかもしれない」
「何言ってるの。あたしたちは傭兵団の人間なのよ」
それは、つまるところ傭兵の実質的な信用は決して高くないということだった。先輩の自虐的な言葉はゼフォールが悩んでいるところで腑に落ち、ちょっとした自己嫌悪を抱かせた。
そんな感じでゼフォール自身は警戒を続けたが、しばらくしてそれも緩いものになった。傭兵の生活にも慣れてきて、余裕が出てきたのかもしれない。
そして、ある日、ゼフォールはラズリエルとともにカーツに呼び出された。
『サン・クルール教会から仕事をもらってこい』
団長が直々に話をし、至上命令だと念を押された。
俺は金にならない仕事には手をつけないぞ、とも言われた。これは妹捜しの依頼のことだ。早くその依頼料を稼ぎ出せという意味だ。
カーツには安い餌でうまく釣り上げられた気がしてならない。
また、ゼフォールは教会へ行くのは気が進まなかった。
正式な資格のある教戒師が金儲け主義の法定傭兵団に身をおいているのだ。のこのこ出向けば、なぜ教会にこないのだと突っ込まれることは想像に難くない。
ゼフォールはラズリエルの後に続いて丘の坂道を上った。
やがて灰光教の威光のごとき大きな建物が見えてきた。
サン・クルール大聖堂はモルゲントルンの中心部の丘の中腹に建っている。頂にはリーシュ伯爵の城館があり、丘には役場や伯爵の家臣の住居などが集まっている。
大聖堂が建てられたのは、モルゲントルンの城壁ができる前、リーシュ伯爵の城下集落が町と呼べるほど大きくなった頃。現在からおよそ二百年ほど前のことだ。
国王の大号令により東西を結ぶ街道が各地の分担で整備され、そこに繋がるモルゲントルンには人が集まるようになり、灰光教も教会を設置した。当時の豪商が何人も金を出し合い、大聖堂と呼べる規模で建立された。
それによって職人が多く移り住み、町は人口が増えてさらにふくらみ、そこに多くの商売人が立ち寄るようになった。
「そして時代が百年下って、ハイリウムに目をつけられて以来、戦火が絶えなくなり、当時のリーシュ伯爵が国王の許しと助力を得て城壁を造ったわけなのです。これが名高いモルゲントルン大城壁であり、この丘から町が勇壮な防護壁に囲まれている様子が一望できます」
口数の少なさからゼフォールの気分を察したのか、ラズリエルが気を紛らわせるように道々モルゲントルンの来歴を説明をしてくれた。
「大聖堂の前には大城壁が築かれる前からの大きな広場があって、老舗の有名店がずらりと顔をそろえています。どこもお値段は張りますが、リーシュ伯爵をはじめ上流階級御用達のお店ばかりです。ある意味、この町の一番の中心は、このサン・クルール広場といっても過言ではありません」
咳払いの後、口調が戻った。
「まあ、というわけで観光客は必ずここに寄りたがるのよ。そのついでに大聖堂で祈りと寄付を捧げていくの。ちょっと、聞いてるの?」
ついでに捧げる祈りのご利益など推して知るべし。
篤い信仰心は期待できなくとも、篤い観光心は寄付という形で期待に応えてくれるのだろう。サン・クルール広場に到着したとき、荘厳な大聖堂前に屋外祭壇と巨大な寄付箱が設置されているのが見えた。
王都の本部教会とはまた違った趣である。眺めているうちに観光資源という言葉がゼフォールの頭をよぎった。
説明時のラズリエルの慣れた喋りに想像力が働いた。
「まさかと思うが、観光ガイドの仕事もやっているのか?」
「たまにだけど。主にあたしの仕事ね」
理解に苦しむとゼフォールはかぶりを振る。
「私たちはいったい何の技術顧問なんだ?」
「頭の悪い人にはできないこと全般?」
「つまり、何でもやる、ということか」
「ほ~ら、ゼフ君はお利口さんだから、わかってる。そのときはお手伝いよろしくね。そのためにわざわざ説明してたのよ」
「えッ!?」
当然のことながら、歴史の話は聞き流してしまった。
「それを先に言ってくれ」
「何のための同行よ。早く仕事を覚えるためでしょう。言っておきますけど、個人レッスンは高くつくわよお」
意地悪な薄ら笑いは彼女によく似合っていた。
二人は、午後になって人の増えた広場を横切り、大聖堂の前に到着した。
石造りの大聖堂は二つの太い塔を左右に備え、門扉のような正面の壁には巨大なステンドグラスのバラ窓があった。各所に意匠を凝らした彫刻が施されており、壮麗で重々しい外観は見る者に畏敬の念を抱かせた。
開かれた正面の扉をくぐって大聖堂に入ると、ひんやりとした空気が二人を包み込む。高いアーチ状の天井は奥まで長く伸び、その下には何百人もの信徒が座るであろうベンチが並んでいた。
静謐で崇高な雰囲気の中、二人は外側の側廊を通って奥へ進む。多数のロウソクに照らされた主祭壇付近に熱心に床を掃く男がいたので、ゼフォールは声をかけた。
下働きの男はラズリエルの胸を強調する服装にろくでもないものを見る眼差しを向けていた。しかし、ゼフォールが教戒師であることを申告したため、すぐに司祭に取り次いでくれた。
下働きの男が脇の扉から顔を出してゼフォールを呼ぶと、二人は奥の部屋へと通された。
狭い室内には仕事用の木製の机と椅子があり、その前に来客用の椅子がニ脚おいてあった。机では濃い焦げ茶色の髪をした女性が書類に目を通していた。司祭服を着ており、この真面目そうな若い人物が司祭なのだろう。
一区切りつくところまでと頑張って読み込んでいるようだったが、客の姿に手を休めて顔を上げた。
「初めまして、私は司祭のエリンです。教戒師の方とお聞きしましたが?」
と興味深げな目がラズリエルに向けられる。
ゼフォールは会釈して、その視線を引き戻した。
「私はゼフォール。教戒師です。先日までラグリーズ教会でお世話になっていました」
相手の正体がわかるやエリン司祭は机の上で手を組み、表情を凛々しく引き締めた。
「ああ、あなたがゼフォール氏ですか。ラシエル司祭から伺っています。どこの教会、教区にも属していない方とのことですが、本日はどのようなご用件で?」
「ええ、あの、ちょっとしたことなのですが……」
ラシエル司祭がどのような話をしたのかわからないが、突然構えられて、ゼフォールはつい言葉を濁す。
するとそのとき、思いがけない助け舟が出た。
「初めまして、あたしはラズリエル・サリメイル。あたしたちはカーツ法定傭兵団の技術顧問なんです」
もちろんラズリィ先輩である。
「このたび、ゼフォール君が入団したのですが、彼が事前にサン・クルール教会に挨拶をしておきたいといったので、ご挨拶に参りました」
「そうでしたか。彼についてはラシエル司祭からご連絡をもらったので、てっきり教会に身を寄せるものだと思っていましたが……」
ちらりとゼフォールを見る。そして重々しくひと言。
「残念です」
あきらかに嫌味が含まれおり、ゼフォールは曖昧な微笑で会釈するに留めた。
代わりに先輩が満面の笑みで机に近づいた。この五日間で見たことがないほど背筋をきれいに伸ばし、屯所で見せるような子供っぽい雰囲気は遥か彼方へ消え去っている。身なりはともかく、この瞬間、彼女は世故に長け、良識をわきまえた大人であった。
「ご認識の通り、彼は灰光教の教戒師です。本来、教会を訪れ、世話になるべきでしょう。それが筋だと、私も思います。その点で彼は恥を知るべきです」
と、したり顔で非難する先輩。もう慣れっこになったゼフォールは漫然と聞き流す。
「ただし、この町では法定傭兵団が多くの仕事を請け負い、モルゲントルン住民を援助、あるいは保護しています。法定傭兵団の働きがなければ、生活が立ち行かないことも事実です。ですが、残念なことに、教会と法定傭兵団はどちらも人々のために尽力する立場なのに協力関係を築けていません。そのため、彼は聖職者として法定傭兵団に入団して、教会との間を取り持つことを考えているのです。馬車の両輪はともに回り、モルゲントルンという荷台をまっすぐ走らせなければならない」
自分のありもしない志を吐露され、さすがにゼフォールも目を細める。
話の筋は強引だが、なるほど、彼女は確かに技術顧問だ、と納得できた。いつぞや出会った大きな顎の傭兵にはこんな話術は持ち合わせていまい。
「間を取り持ってあなたは何をしたいのですか?」
エリン司祭の視線はラズリエルを通り越し、ゼフォールに注がれた。口調はハキハキとし、要点を衝いている。彼女からはつぶらな瞳と強いクセ毛があいまって少女めいた印象を受けるが、中身は楚々とした顔立ちに見合った大人だった。そして、有能でもある。
成り行きからラズリエルが答える。が、その内容は抽象的だった。
「もちろん灰光教が人々を救う活動に役立つことですわ」
「私はゼフォール氏の口から聞きたいです」
ぴしゃりと言い返された。
エリンはまっすぐゼフォールを見つめ、ゼフォールもまた見返した。
彼女はまだ若いにもかかわらず堂々とした態度で、普段からもっと年上の司祭とも渡り合っている姿が垣間見える。
彼女の聞きたい言葉はわかっている。極めて単純なことだ。サン・クルール教会、ひいてはこの教区にどのような利益があるのか、である。
先輩は口を挟まず、目配せを送って寄こした。任せたから、うまく話せという意味らしい。
ゼフォールは表情を変化させずに語り始めた。
「ラズリエル技術顧問が申し上げたとおり、やりたいことは、このサン・クルール教会とモルゲントルンに有益となる協力関係の構築です。教会は手の回らない案件をカーツ傭兵団へ下ろすことで迅速な問題解決を実現し、信徒からの期待に応えられ、この地域に安寧をもたらし、信仰は揺るぎないものとなるでしょう」
「そして、その傭兵団は他の多くのライバルを出し抜いて新たな利権を独占する、と」
ゆっくりと言葉を選んで話す様子から、まるでどこに斬りかかろうかと品定めをしているような気配が感じられた。
ゼフォールは静かに首を縦に振った。
「そのとおりです」
すると、彼女の口からは堰を切ったように言葉が流れ出た。
「言いたいことはわかりました。ですが、それなら、教会は昔からの信頼と実績のある傭兵団を選びます。秘蹟に類することはそれに応じた位階の聖職が行わなければなりませんし、運営に必要な雑務は奉仕職の祭士が片付け、その他の労務は雇いの下男の仕事です。そもそも教会は様々な事柄において信徒たちとの交わり、親密な関係を養うべきものです。それを下請けに出せば、信徒たちが聖職者と接する機会は失われ、彼らは教会はいったいどうしたのだと心配するでしょう。その上、代わりにやってきたのが金目当ての傭兵団となれば、それは不信にも発展しかねません。教会は忙しさにかまけて、信徒を大事にしない。そういう思いは信仰の大きな妨げとなります」
最後に見損なったと言いたげな表情が浮かんだ。
「あなたは教戒師だから、その程度のことはわきまえてるはずです。単に仕事をくれということでは、お話になりません」
まさに正論だった。しかし、正論とは大概建前に属する。正論に対してはそれと矛盾する実情を突きつけるに限る。実情については、もちろん教戒師であるからして、わきまえていた。
ゼフォールは挑発と取られないよう、できる限り誠意を込めて話した。
「ですが、手が回らないのは事実ではありませんか? これだけ大きな町です。各聖職位においては秘蹟だけですでに手一杯ではありませんか? 何も大金を傭兵団に落としてもらいたいと考えているわけではありません。エリン司祭、あなたが目を通す仕事の中に誰がやってもいいものがあれば、それはわざわざ聖職者がやらなくてよいのではないでしょうか。我々が信徒の足元を照らす光としてしっかり輝いていれば、信仰は揺らぎません。もし、現状で秘蹟そのものが滞るような事態に陥るようなら、そのほうが大事だと思います」
秘蹟とは、職位ごとに与えられている役割だ。助祭なら告解に対し赦しを与え、教戒師なら善への背信を戒める、といったものである。これは、神の恩寵の再現であり、聖職者の本分であり、信徒に対する義務でもあった。
そこまで聞いてエリンの顔色が変わった。途端に厳しい口調で彼女は言った。
「そこまでわかっているなら、あなたはなぜ教会にこなかったのですか? 専門聖職の中でも祓魔師に並んで教戒師の仕事は扱いが難しいものが多くて教会は困っているのですよ」
非難するような台詞にもゼフォールは曖昧な微笑を崩さず見つめ続ける。
気持を切り替えたのか、溜め息とともにエリンの口調は戻った。
「まあ、それについては深く問いません。ラグリーズで引き止められたけど断った話も聞いてますから。確かにゼフォール氏の言うとおり、雑事には外注に出したいものもあります」
ここぞとばかりにラズリエルが口を挟む。
「あら、もし教戒師のお仕事があるなら、是非カーツ法定傭兵団へご依頼いただければ、このゼフォール君が全力で対応させていただきますわ」
「ふむ……。『教戒師』の仕事をですか?」
エリン司祭が考えるように視線を床に這わせる。ラズリエルが畳み掛けるつもりで口を開いたが、それはゼフォールに制止された。
「『教会』の仕事をです。私は法定傭兵団として教戒師の仕事を請け負うつもりはありません」
ゼフォールはきっぱりと言い切って、すぐに口を閉ざした。
エリンの眉間に皺が寄りムッとしたように見えたが、それはすぐに消えた。彼女は二度目の溜め息とともに言った。
「実に頑固な方ですね。『宵の仕事』が溜まっているので、とても残念です。あと、ラズリエル氏、まことに申し訳ないのですが、仕事をあなたのところに回すことはできません。当教会はどの傭兵団にも依頼をかけていません。そのため、どんなに些細な仕事だとしても特定の傭兵団だけに仕事を与えるのは公平性を欠きます。もし、依頼するとしても入札で決めることになります。悪く思わないでください」
頭ごなしに言われてラズリエルは笑顔を強張らせる。しかし、不公平をそそのかしたら、この女司祭の性格上、自分たちがその不公平をされる側におかれるだろうと容易に想像できた。
「わかりました。公平さは大事ですね。では、もし、依頼の際はご贔屓に願います、エリン司祭様」
エリンは話は終わりだと部屋の入り口に目を向ける。それから席を立ち、二人を扉まで送った。
「私が長々と話をしたのは、ゼフォール氏がとてもやり手の教戒師だと聞いたからです。モルゲントルンには不正や暴力に脅かされている人たちがたくさんいます。この意味はわかりますね」
ゼフォールは終始微笑のままだった。
「ええ。もちろん」
「本当に町の人のことを考えるのであれば、それをゆっくり考えてみてください」
満足できない面会となったが、二人はおとなしく部屋を出て、来た廊下を戻っていった。




