仮面の暗殺者 Ⅱ
あまりにも突然の出来事だった。あの刺し方は物盗りではなく、殺すための動きだ。
彼らは剣を手に立ち上がり、強盗とそれに対峙するゼフォールを見た。
「殺せ!」
新たな声が響いた。
声のした暗闇から革の鎧を着込んだ男が二人の男を従えて歩み出た。こちらの三人はフードつきのマントをはおり、フードの奥は闇が濃くて人相まではわからない。
最初に現れた男たちは奇声を上げて我先に二人の強盗へと襲い掛かっていった。
革の鎧の男がリーダー格のようだ。彼は続いてゼフォールを指差す。フードの男たちは剣を抜き放つと、荒々しく駆け寄ってきた。
どうやら教戒師に話す機会も与えないつもりらしい。ゼフォールは目を細めた。
黒い杖の頭がねじられ、仕込み杖がその鋭い刀身をさらす。切っ先を右脇に下げると爪先に体重をかけ、こちらからも小走りに距離を詰めた。
フードの男は走り込む勢いを乗せて豪快に剣を振り下ろす。仕込み杖はそれを華麗に斬り落とした。
この一撃でゼフォールは相手の力量を悟った。腕の振りは力任せで足捌きもなっていない。ただし、度胸はある。戦い慣れしたゴロツキといったところだ。
ゼフォールは勢いを殺さず相手の手元まで入り込むと、刃を頭上で閃かせて袈裟懸けに斬りつける。男は避けきれずにフードの上から首の付け根を切り裂かれて倒れた。
あっさり味方がやられて、後続は慌てて足を止める。簡単に仕留めるつもりが、獲物が想定外の牙を剥いたのだ。今度は出方を探るように慎重に前進した。
ゼフォールは相手を見据えたまま、首を軽くねじる。血の臭いが宵の仕事の感覚を甦らせ、顔が慈悲の欠片もない無感動なものに変じた。静かに中段正眼に構えた。
どれだけ度胸があろうが、一対一なら技術がまったくない相手は怖くない。剣の速度は圧倒的にゼフォールが上だ。間合いに入った瞬間に最短距離で突き入れるだけで片がつく。
そのとき、視界で影が動いた。革鎧の男が走り出していた。ゼフォールは一瞬気に留めたが、注意はすぐに眼前の相手に戻った。
隙を衝いてフードの男の腕が動く。顔面を狙った斬撃が落ちてくるが浅い。仕込み杖が手早く弾くと火花が飛んだ。
ゼフォールは慌てず、二人を同時に迎え撃たずにすむよう距離を計った。
だが、革鎧の男の狙いはゼフォールではなかった。間合いの外を走り抜ける。その先にいるのはラズリエルだ。
気がかりの正体がわかり、ゼフォールはハッとした。
「ラズリィ、逃げろ!」
叫んだが返事はない。震えて動けないのかもしれない。ふくれ上がった緊張感が集中力を高める。
眼前の敵が剣を振り上げて襲い掛かってきた。
考えるよりも速くゼフォールの体は動いた。上着の懐から抜く手も見せずに紙片を抜き出し、大きく踏み込む。体当たりのように激しく体がぶつかり、呪式譜を握り込んだ拳が男のみぞおちに突き入れられた。
「衝撃を受けろ!」
直接撃ち込まれた衝撃に耐えられず、二人目のフードの男は血を吐いて倒れた。
背後では先輩技術顧問ののん気な呟きが洩れた。
「星のきれいな空……気持いいわあ」
急いで振り返ると、あと数歩で彼女という位置に革鎧の男はいた。すでに剣は抜かれている。
酩酊状態なのだろう。彼女は壁際で微動だにせず空を見上げるばかりだった。
このままでは間に合わない。いや、それを間に合わせるんだ、とゼフォールは全力で大地を蹴った。
と、スミレ色のドレス姿が前触れなしにゆらりと動く。転瞬、革鎧の男の目と鼻の先に彼女はいた。ぬっと突き出した手がフードの奥をわしづかみにし、彼女のにこやかな顔が闇に染まった。
「風流を理解できない男は嫌いよ。高嶺の花に手を出すのは百年早かったわね」
革鎧の男は苦しそうに呻き、手から剣が落ちた。それどころか、まるで金縛りにあったようにぴくりともしない。
ラズリエルのもう一方の手には呪式譜があり、指に挟んでひらひらさせていた。
「あら、あたしの魅力に痺れちゃった? ……って、見たことある顔ね」
軽口を叩く彼女は真面目な顔でフードの中を見つめた。だが、ゆっくり眺めている暇はなかった。
ゼフォールはぞっとするほどの殺気を感じ、足を止めないで本能的に刃を背後に振る。
キィンと澄んだ音がして、踏みとどまる音が続いた。
ラズリエルのそばで向き直ると、そこには一本の短い角の仮面をつけた剣士がいた。仮面の口元は剥き出しで、引き結んだ唇には血飛沫の痕があった。
怪しい剣士の背後では最初に現れた三人が地面に倒れ、ピクリともしていなかった。コアト族の強盗もその隣で息絶えているようだった。
まるで血臭を消そうとするかのように甘い香りが漂った。
不意に仮面の剣士が踏み込んだ。ゼフォールが反応するより速く間合いに入っている。咄嗟に上げた刃は弾かれ、その間に脇を抜かれた。血糊のついた刃がラズリエルの眼前でギラリと輝く。
が、その刃は前ではなく、後ろに動いた。それは強引に引き回したゼフォールの剣と噛み合った。
「キャッ!?」
仮面の剣士は止まらずにラズリエルを突き飛ばし、フードの男を担ぐや奥の闇に駆け去っていった。
ふぅ、と息を吐くゼフォール。が、その背後で何かが勢いよく噴き出す音が聞こえた。鮮烈な光が周囲を照らす。
素早く振り向くと、ゼフォールが斬り捨てた男たちが炎に舐め尽くされるところだった。その傍らでは、別の角仮面の人物が嫌な笑いを浮かべて見下していた。その手に握られた呪式譜が燃えさかる火の中へくべられる。
新たに現れた仮面の怪人は理法魔術師だった。そいつはゼフォールとラズリエルに向き直る。そして、ニヤニヤと笑ったまま動かない。二人からは十歩ほどの距離だ。
理法魔術は、本来人を殺したり、ものを壊すためのものではない。だが、この火力は充分に殺人的だ。これはまともな理法魔術ではなく、あの仮面の男も純粋な理法魔術師ではないに違いない。
ゼフォールは剣を片手で構え直して、懐に手を伸ばした。額には冷や汗が浮かんだ。
殺人目的の魔術に対して剣で対抗するのは現実的ではない。こちらが間合いに入る前に魔術を使われたらそれで終わりだからだ。呪文を唱え終わった瞬間に魔術は発動し、この場合ゼフォールの体が炎上する。
対応策としては、一か八か一気に間合いを詰めて相手に使う隙を与えないか、同様に理法魔術で対抗するしかない。
火をつけるだけの魔術なら、発動させるための呪文詠唱時間は短い。だが、それでは死体を炭化させるほどの火力には至らない。火力を上げるためには、そのための呪文を上乗せして象徴印の出力を上げるか、強力な象徴印を描いた呪式譜を準備しておくかだ。
暗殺者なら短い呪文ですむ後者を用意してあるはずだ。
となると、安全なのは対抗魔術で相手の発生させた魔術効果を打ち消すことだが、相手が必ずしもゼフォールを狙うとは限らない。この距離なら後出しジャンケンで有利な行動を選択するほうが確実だ。
そのとき、尻餅をついていたラズリエルが立ち上がった。
「くっさい臭いがすると思ってけど、やっぱりいたのね」
ゼフォールは視線を仮面から逸らさずに警告を飛ばす。
「ラズリィ、気をつけろ。奴は理法魔術師だ」
「そうねえ。でも、ちょっと違うかしら」
そして、彼女は挑発的に指差した。
「あなた、『恍惚派』でしょ。麝香の香りがぷんぷんするけど、培養液の臭いが隠しきれてないわよ」
死体を焼く炎が仮面の穴から覗く目元を照らした。見えた一瞬に憎しみの光が感じられた。
「あたしも理法魔術だけじゃなくて、魔法がちょっぴり使えるの。さーて、この薬は何かしらねえ?」
とポーチから白い丸薬を取り出し、意味ありげに歯の間に挟んだ。その手にはすでにペンが握られている。
「ウフフ、試してみる?」
すると、仮面の理法魔術師は後退し、剣士とは逆の方向へ姿を消した。
ラズリエルはつまらなさそうに丸薬を噛み砕いて呑み下す。それからペンを器用にくるくると回してからポーチに収めた。
ゼフォールは、何か強い作用のある丸薬だったのではと心配になり、尋ねた。
「その丸薬は服用してよかったのか?」
「ただの酔い覚ましよ」
素っ気なく答えてから先輩は死体の山を見て歩いた。
「貧乏人二人組みは運がなかったわね。それより、あの襲撃者、何者かしら。最初の三人もコアト族みたいね。そして、こっちのお金の有りそうなのは……身なりからすると、役人かしら」
細い顎に手を当てて難しい顔をした。
「ちょっとキナ臭い現場に居合わせちゃったかな」
殺人は危険な現場に決まっている。発言の意味を図りかねて尋ねた。
「どういう意味だ?」
無知を哀れむ視線が実に腹立たしいが、無視して話を促した。
「そんなの決まってるじゃない。コアト族はモルゲントルン周辺では嫌われてるのよ。当然、制度面でも福祉とか色々と差別されてるわ。その状況でコアト族が役人を殺せば、世間の考えはもっと厳しいほうへ向くでしょうね」
つまり、政治的な意図があるのでは、ということだ。政治や思想が絡むと個人というものの意味や価値はかすむ。だから、簡単に人を殺せる。
「おそらく役人を殺した三人は利用されただけで、始めから始末される予定だったのよ。フードの奴らにね。コアト族が役人を殺した、とするために」
ラズリエルは眉をひそめ、少し寂しげな顔で黒焦げの死体を眺めた。普段見せないような表情である。これだけ人が殺され、さすがの先輩も心を痛めているらしい。慰めようとゼフォールは歩み寄る。
が、先輩の口から笑いをこらえる声が聞こえた。クックックッと辺りを見回すその顔は実に邪悪きわまるものだった。
反射的にゼフォールは固まる。まさかこれから物色タイムが始まるのかとこれまでにない戦慄を覚えた。
「あの世で現世のお金は使えないわよねえ。必要のないものを片付けてあげるのは、親切ってものよね。ンッフ~ン……」
とそこへ、不気味な嬌声にかぶせるように話し声が聞えてきた。騒ぎを聞きつけた人が様子を見にきたのかもしれない。
眼前には死体に覆いかぶさらんとするこの上なく怪しい女性がいる。このままここに留まっていては、間違いなく犯人とみなされるだろう。選択肢は他になかった。
「きゃあ!」
ゼフォールは有無を言わさずラズリエルを担ぎ上げると、すたこらさっさと逃げ出した。
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