6.長男誕生!
手術室に入ると、服を全て脱がされた。
全て、である。
全裸、である。
それだけならまだ良い。
寝転がされて、剃毛。
さらには大の字にされて両手両足を動かないように固定された。
全裸で。
もう一度言う。
全裸で!!
なんだこの羞恥プレイ。
全裸で。大の字で。明るい部屋で。赤の他人の看護婦さんが何人も傍を通って行く。
未だ嘗て、こんな恥ずかしい思いをした事がなかった。どうやら母親になるには色んな羞恥を捨てなきゃなれないらしい。
くっそー、受けて立ってやらぁ!
ここでようやく決心が固まった。今更足掻いてもどうしようもない。覚悟を決めるしかないのだ。全裸での決意だ。
しばらくして、ようやくお腹の所が穴の空いているドレープを掛けて貰えてホッとする。
点滴を繋がれて、それからしばらくの間待たされた。
折角覚悟を決めたんだから、さっさとしてくれ状態だ。また勇気がしぼんで行く。
それから三十分ほど経っただろうか。ようやく先生が来てくれた。
「旦那さんも到着して近くにいるんでね。安心してね」
おお、旦那様も到着したのかー。
間に合って良かったなとホッとする。
帝王切開だから立ち会いは出来ないけど、やっぱり心の頼りにしている人がそばにいると思うと、心持ちが全然違った。
「じゃあ、麻酔かけて行きますね」
そう言うと先生は一度私を拘束していたバンドを外して、横向きにされた。腰の所に麻酔を指す、部分麻酔だ。
「麻酔しててもハッキリ言って痛いからね。頑張って」
そう言われても私はまぁ大丈夫だろうと無理矢理に思っていた。普通分娩に比べれば、麻酔をしているんだし……と。
しばらくして、先生が私のお腹を触って確認してくる。
「これ、痛いですか?」
腹の右側を触られた感触がした。ギュッてされてる感覚はあるけど、痛いかと問われればそんな痛いわけじゃない。
「痛くないです」
私は、ついそう答えてしまった。
この返事が、地獄を生み出すとも知らずに。
「じゃあ、こっちは?」
そう言いながら先生はどこかを触っているらしい。どこを触られているのかも分からなかった。
「……痛くないです」
「じゃあここは?」
「痛くないです……」
あれ、おかしいぞ? と少し思った。
最初に触られた時の感覚と、後に触られた感覚が明らかに違う。
でも、こんなもんなのかなと思ってしまったのだ。私は特に何も言う事もなく、手術は始まってしまった。
先生が「メス」と言ったかどうかは覚えていない。
ただ、次の瞬間に私を待っていたものは、地獄だった。
「いいーーーーーーーーーッ」
何で!? と叫びたくなる。
何故、先生は右側のお腹を切っているのだろうかと。
普通、お腹を切るときは真ん中ではないのかと問い詰めたかったが、そんなの言葉になるわけもない。
あるのは痛さだけ。右側腹部の痛みしかない。
「んーーーーーー!!」
とにかく悲鳴を押し殺して耐えた私は頑張ったと思う。
早く終わって!! 早く産まれて!!
もう頭の中はそればかり願っていた。
カチャカチャと鳴る金属の音と、ズルズルと吸われる血液の音。
気を失ってしまいたいと真剣に思った。しかし女の体は強く出来ているらしく、残念ながら気絶は出来ず。
恐らく時間にして十五分かそこらだったと思うが、何時間にも感じていた。
「よし、赤ちゃん見えたよ! 取り出すからね。もうちょっと、お母さん頑張れ!!」
ああ、もうちょいでこの地獄が終わる……良かった……
と思ったのも束の間。
先生の手がお腹に入って来るのが分かる。
痛い。痛いなんてもんじゃない!! 死ぬ!!
「うーーーーッッ!!」
「よしっ」
「うがぁっぁああああああッッ」
長男が取り出されたその瞬間、今までで一番の痛みが体を走った。
おにゃあ、という赤ちゃんの鳴き声が聞こえる。
生まれた……?
生まれた……!
しかし生まれたら痛みは無くなるかと思っていたのに、やっぱり右腹は痛いままだ。
どうなってんのー!!
もう気絶させてーー!!
「早く赤ちゃん、お母さんに見せてあげて!」
先生の言葉に、看護師さんが長男を顔のそばに近付けてくれた。
初めての対面だ。
まだ世界の見えぬ目、かわいい鼻、ちっちゃな手……
ああ、旦那様にそっくりだーー
そう思った瞬間、頭がカーーッと熱くなったようになり、自然と涙と言葉が溢れていた。
愛おしかった。
ようやく出会えた長男が、本当に。
「あり、が、と……」
その瞬間は、本当に痛みを感じなかった。
痛みよりも感動の方が大きくて。
いや、感動なんていうチンケな言葉じゃ表せられないくらい、全身が燃えるように熱くて。
無事に生まれてくれた感謝の気持ちで、いっぱいになった。
しかしそんな時間は一瞬で終わり、さっと連れられて行ってしまう。
その瞬間、また地獄が舞い戻って来た。戻ってこなくていいのに。
「うーー、うーーっ」
「このままでいける? 全身麻酔に切り替えようか」
先生の言葉にコクコクと頷く私。
無理。もう無理。早く意識を失わせて……
それからしばらくして、ようやく意識が……
うん?!落ちない!!
でも、目を開けようとしてもどうしても開けられなかった。
私は一度だけ全身麻酔を経験した事があるから知っている。麻酔が入った直後にストーーンとブラックアウトし、目が覚めたら全てが終わっている……それが普通だと思っていた。
なのにこれはどうした事だろうか。ブラックアウトどころか、目の前がキラキラと七色に輝いてすら見える。
お腹の痛みは少しだけマシになっているとはいえ、痛いままだ。そして寒い。指先、足先が凍えるように寒い。
毛布を被せて欲しいって言いたいのに、声が出ない。先生たちに伝えたいのに、一生懸命声を出そうとしても言葉にならない。先生、まだ痛いんですけど、って訴えが届く事はなかった。
先生と看護師さんの話す声が聞こえてくる。その言葉は日本語のはずなのに、まるで宇宙語を話しているかのように全く理解出来なかった。
カチャカチャという音も聞こえてくる。目の前が明るく感じるのは、手術のライトのせいかなってぼんやり思った。
でも、目の前の光は七色だ。そして光のトンネルになって景色が流れるように移動していく。
この頃から、先生たちの声が遠く聞こえなくなった。と同時に、『あ、私死ぬんだ』って理解した。
恐怖は全くなかった。それまで感じていた寒さがなくなって、むしろ心地良さすら感じた。
これが死ぬって事なら、全然怖くないな。
私は当然のように死を受け入れていた。
未練はいっぱいあるはずなのに、全くそんな事は考えていなかった。
今思うと、とても不思議な感情だ。
死ぬのって怖くないんだよって教えてあげたかったな……なんて光のトンネルをくぐりながら思った。
そして私はそこでようやく少し眠れたらしい。
手術後、私はすぐに目を覚ました。目の前には旦那様が座っている。
「赤ちゃんは……赤ちゃんは……」
しっかりしたつもりで伝えたはずなのに、上手く舌が回っていなかった。
「ちゃんと無事に産まれたよ。今眠ってる。心配しなくて大丈夫だから」
旦那様の言葉と声に安堵した私は。
もう一度目を閉じて、今度こそ暗闇の中へと落ちて行った。