表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/12

6.長男誕生!

 手術室に入ると、服を全て脱がされた。

 全て、である。

 全裸、である。


 それだけならまだ良い。


 寝転がされて、剃毛。


 さらには大の字にされて両手両足を動かないように固定された。


 全裸で。


 もう一度言う。


 全裸で!!


 なんだこの羞恥プレイ。

 全裸で。大の字で。明るい部屋で。赤の他人の看護婦さんが何人も傍を通って行く。

 未だ嘗て、こんな恥ずかしい思いをした事がなかった。どうやら母親になるには色んな羞恥を捨てなきゃなれないらしい。


 くっそー、受けて立ってやらぁ!


 ここでようやく決心が固まった。今更足掻いてもどうしようもない。覚悟を決めるしかないのだ。全裸での決意だ。


 しばらくして、ようやくお腹の所が穴の空いているドレープを掛けて貰えてホッとする。


 点滴を繋がれて、それからしばらくの間待たされた。

 折角覚悟を決めたんだから、さっさとしてくれ状態だ。また勇気がしぼんで行く。


 それから三十分ほど経っただろうか。ようやく先生が来てくれた。


「旦那さんも到着して近くにいるんでね。安心してね」


 おお、旦那様も到着したのかー。

 間に合って良かったなとホッとする。

 帝王切開だから立ち会いは出来ないけど、やっぱり心の頼りにしている人がそばにいると思うと、心持ちが全然違った。


「じゃあ、麻酔かけて行きますね」


 そう言うと先生は一度私を拘束していたバンドを外して、横向きにされた。腰の所に麻酔を指す、部分麻酔だ。


「麻酔しててもハッキリ言って痛いからね。頑張って」


 そう言われても私はまぁ大丈夫だろうと無理矢理に思っていた。普通分娩に比べれば、麻酔をしているんだし……と。


 しばらくして、先生が私のお腹を触って確認してくる。


「これ、痛いですか?」


 腹の右側を触られた感触がした。ギュッてされてる感覚はあるけど、痛いかと問われればそんな痛いわけじゃない。


「痛くないです」


 私は、ついそう答えてしまった。

 この返事が、地獄を生み出すとも知らずに。


「じゃあ、こっちは?」


 そう言いながら先生はどこかを触っているらしい。どこを触られているのかも分からなかった。


「……痛くないです」

「じゃあここは?」

「痛くないです……」


 あれ、おかしいぞ? と少し思った。

 最初に触られた時の感覚と、後に触られた感覚が明らかに違う。

 でも、こんなもんなのかなと思ってしまったのだ。私は特に何も言う事もなく、手術は始まってしまった。


 先生が「メス」と言ったかどうかは覚えていない。

 ただ、次の瞬間に私を待っていたものは、地獄だった。


「いいーーーーーーーーーッ」


 何で!? と叫びたくなる。

 何故、先生は右側のお腹を切っているのだろうかと。


 普通、お腹を切るときは真ん中ではないのかと問い詰めたかったが、そんなの言葉になるわけもない。

 あるのは痛さだけ。右側腹部の痛みしかない。


「んーーーーーー!!」


 とにかく悲鳴を押し殺して耐えた私は頑張ったと思う。


 早く終わって!! 早く産まれて!!


 もう頭の中はそればかり願っていた。

 カチャカチャと鳴る金属の音と、ズルズルと吸われる血液の音。

 気を失ってしまいたいと真剣に思った。しかし女の体は強く出来ているらしく、残念ながら気絶は出来ず。

 恐らく時間にして十五分かそこらだったと思うが、何時間にも感じていた。


「よし、赤ちゃん見えたよ! 取り出すからね。もうちょっと、お母さん頑張れ!!」


 ああ、もうちょいでこの地獄が終わる……良かった……

 と思ったのも束の間。

 先生の手がお腹に入って来るのが分かる。


 痛い。痛いなんてもんじゃない!! 死ぬ!!


「うーーーーッッ!!」

「よしっ」

「うがぁっぁああああああッッ」


 長男が取り出されたその瞬間、今までで一番の痛みが体を走った。

 おにゃあ、という赤ちゃんの鳴き声が聞こえる。


 生まれた……?

 生まれた……!


 しかし生まれたら痛みは無くなるかと思っていたのに、やっぱり右腹は痛いままだ。

 どうなってんのー!!

 もう気絶させてーー!!


「早く赤ちゃん、お母さんに見せてあげて!」


 先生の言葉に、看護師さんが長男を顔のそばに近付けてくれた。

 初めての対面だ。

 まだ世界の見えぬ目、かわいい鼻、ちっちゃな手……


 ああ、旦那様にそっくりだーー


 そう思った瞬間、頭がカーーッと熱くなったようになり、自然と涙と言葉が溢れていた。

 愛おしかった。

 ようやく出会えた長男が、本当に。


「あり、が、と……」


 その瞬間は、本当に痛みを感じなかった。

 痛みよりも感動の方が大きくて。

 いや、感動なんていうチンケな言葉じゃ表せられないくらい、全身が燃えるように熱くて。


 無事に生まれてくれた感謝の気持ちで、いっぱいになった。


 しかしそんな時間は一瞬で終わり、さっと連れられて行ってしまう。

 その瞬間、また地獄が舞い戻って来た。戻ってこなくていいのに。


「うーー、うーーっ」

「このままでいける? 全身麻酔に切り替えようか」


 先生の言葉にコクコクと頷く私。

 無理。もう無理。早く意識を失わせて……


 それからしばらくして、ようやく意識が……

 うん?!落ちない!!

 でも、目を開けようとしてもどうしても開けられなかった。

 私は一度だけ全身麻酔を経験した事があるから知っている。麻酔が入った直後にストーーンとブラックアウトし、目が覚めたら全てが終わっている……それが普通だと思っていた。

 なのにこれはどうした事だろうか。ブラックアウトどころか、目の前がキラキラと七色に輝いてすら見える。

 お腹の痛みは少しだけマシになっているとはいえ、痛いままだ。そして寒い。指先、足先が凍えるように寒い。

 毛布を被せて欲しいって言いたいのに、声が出ない。先生たちに伝えたいのに、一生懸命声を出そうとしても言葉にならない。先生、まだ痛いんですけど、って訴えが届く事はなかった。


 先生と看護師さんの話す声が聞こえてくる。その言葉は日本語のはずなのに、まるで宇宙語を話しているかのように全く理解出来なかった。

 カチャカチャという音も聞こえてくる。目の前が明るく感じるのは、手術のライトのせいかなってぼんやり思った。

 でも、目の前の光は七色だ。そして光のトンネルになって景色が流れるように移動していく。

 この頃から、先生たちの声が遠く聞こえなくなった。と同時に、『あ、私死ぬんだ』って理解した。

 恐怖は全くなかった。それまで感じていた寒さがなくなって、むしろ心地良さすら感じた。


 これが死ぬって事なら、全然怖くないな。


 私は当然のように死を受け入れていた。

 未練はいっぱいあるはずなのに、全くそんな事は考えていなかった。

 今思うと、とても不思議な感情だ。

 死ぬのって怖くないんだよって教えてあげたかったな……なんて光のトンネルをくぐりながら思った。


 そして私はそこでようやく少し眠れたらしい。



 手術後、私はすぐに目を覚ました。目の前には旦那様が座っている。


「赤ちゃんは……赤ちゃんは……」


 しっかりしたつもりで伝えたはずなのに、上手く舌が回っていなかった。


「ちゃんと無事に産まれたよ。今眠ってる。心配しなくて大丈夫だから」


 旦那様の言葉と声に安堵した私は。

 もう一度目を閉じて、今度こそ暗闇の中へと落ちて行った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ