5.逆子のまま……
そんな事があってから、私は慎重に過ごしていた。
しかし新しい年を迎えても相変わらず逆子のままで、どれだけ逆子が治る体操というのをしても戻らなくて。
帝王切開というのは、一度切ると二人目、三人目も帝王切開になる事がほとんどだ。
さらに四人目は子供を作るなと注意されるらしい。まぁ不妊症の私にはそんな心配はなかったが、やっぱり産むからには普通分娩が良いと思った。一生に一度くらいは普通分娩を体験してみたいではないか。
検診日だった一月二十五日。
産婦人科の先生は私のお腹を確認して、こう言った。
「残念だけど、逆子は治ってないね。もう治らないだろうし、逆子体操やめていいよ。二月十五日に入院して、十六日に帝王切開しようか」
ガーーン、という金だらいの落ちる音が私の頭で鳴り響いた。
あれだけ頑張ったのに……
ちょっと……いや、かなり凹んだけど、逆子で普通分娩なんて怖い事が出来るはずもなく。
仕方なく、私は「分かりました」と呟いた。
出産は怖い。普通分娩でも怖いし、帝王切開でも怖いのは変わらなかった。
むしろ普通分娩でと意気込んでいた私は、帝王切開の方の覚悟が全く出来ていなかった。
帝王切開怖い、嫌だ。
二月十六日までに覚悟を決めておかなきゃ。
そう思いながら産婦人科を後にした。
そしてそのまま買い物をしようと大きなスーパーへと向かう。
明日、一月二十六日は旦那様の誕生日だ。ケーキ作ってご馳走を用意してお祝いしよう。
しかしスーパーに一歩足を踏み入れた途端、異変を感じた。
何かが……漏れた?
慌ててトイレに駆け込むも、少しシミがついているだけ。
おしっこを漏らしちゃったんだろうかと不思議に思いながら、買い物を始めた。
グルリと一周し、レジに向かおうか、もうちょっと何か見ていこうかと立ち止まった瞬間だった。
またもパシャ、と何かが出た。
えええ??
まさか……破水?!
買い物かごをその場に置き去りにし、可笑しな歩き方でトイレに駆け込む。
トイレに座った途端、また何かがバシャッと出た。おしっこなのかと思ったけど、色は付いていない。透明の液体だった。
破水なのかと思いつつ、私は破水と判断出来なかった。
何故なら私は、羊水を透明だとは思っていなかったのだ。
だって、羊水は透明だと誰も教えてはくれなかった! 何となく、血でも混じってんのかなと赤い色を想像してしまっていたのだ!!
まだ大丈夫だろうと高をくくり、ナプキンは持ち歩いてはいなかった。
仕方なく大量のトイレットペーパーを股に挟み、よろよろとトイレを出る。
目の前にいる小さな赤ちゃんを連れた女性に、よっぽど『羊水の色って何色ですか?』と聞こうかと思ったがやめた。変態認定を受けて通報されてはかなわない。
もうこのまま車に乗って病院に向かおうかと思った。けど、レジを通さずに置き去りにした買い物かごが気になる。
放っておいても店の人が気付いて片してくれるかもしれない。でも生物や冷凍物も買っていたから、気付かれるのが遅かったらそれは店の損失となってしまうだろう。
せめて一言、お店の人に伝えて戻しておいてくれと頼みたい。
店の中に戻るもレジの人はとっても忙しそう。
サービスカウンターに行くも、めちゃくちゃ混んでる。こんな時ですら割り込める度胸のない自分が恨めしい。
しかも周りを探しても、何故か品出ししてる人は見当たらない。いつもならすぐに見つかるのに。
しかし人を探してる間にレジ通しちゃった方が早くないか? と気付き、比較的空いていたセルフレジで破水しながらピッピと買い物を済ませた。
その荷物を車に乗せて、ようやく病院に電話する。
「多分、破水したと思うんですけど、今から行った方が良いですかっ」
この期に及んでまだ破水じゃないかもしれないと思う私がいた。
だって、もしこれがおしっこだったら笑いものじゃないか!
破水ってもっとジャバジャバ出て来るもんだと思ってたし、なんか想像と違うよ破水ーーーー!! と心の中で絶叫する。
「破水したら出産になるので、すぐに来てください。慌てず、落ち着いて来てくださいね!」
「はわはわはわはわ、はい……っ」
電話を切った後、今度は自分の母親に電話を掛けた。とにかくすぐに病院で母と落ち合いたい。旦那様は仕事中だから抜けられるかどうか分からないし、職場から病院まで一時間以上掛かる距離だ。
「お母さん!? は、は、は、破水した!!」
「えええーーーー?!」
予定日より一ヶ月も早い破水に、電話の向こうで母も驚いて声を上げている。しかしさすが母の判断は早かった。
「分かった、すぐ行く。今どこ!?」
「自分で運転出来そうだから、病院まで来て! あと、旦那様と向こうのお義母さんに連絡入れといて欲しい。それと旦那様に、来る時には家に寄って入院バッグ持って来てって伝えてっ」
母は分かったと言ってくれたので、すぐに電話を切って病院に向かった。
病院に向かう途中、携帯が鳴ったので、こんな時に誰だよと思いながら路肩に寄せて電話に出る。相手を確認すると病院からだった。
「途中で陣痛が始まると危ないんで、タクシーで来てくださいね!」
「いや、もう車運転してるんで、このまま行きますっ」
「ええ? 大丈夫ですか!?」
「痛みないんで大丈夫ですっ」
タクシーも呼ぼうかなとは少しは考えたのだ。でも車を汚しちゃうかもしれないと思うと、自分で運転した方がマシだった。本当はちゃんとタクシーを呼ばないといけなかったらしい。
病院に着いて「さっき電話した、破水した長岡ですっ」と伝えると、予約の順番をすっ飛ばして診察室に連れられた。
いつもの診察室なら着替える場所があって、脚を広げられる椅子に座って、先生と患者の間にはカーテンで遮られている。でもこの時は先生を目の前にして看護師さんもいる中で、はい、脱いでーという感じだった。恥ずかしくて死ねる。しかも股の間には、大量のトイレットペーパー。
「あの、ナプキン用意してなかったんで……」
と誰ともなしに言い訳すると、看護師さんが「そうよね。いきなりだったからびっくりしたよね」と言ってくれて心底ホッとした。
「破水だね。じゃあ今から緊急帝王切開になるから」
先生がさらっと言って、私の鼓動は一瞬止まる。
緊急……
帝王……
切開……
今日、帝王切開にしようと決めたばかりで!
今日、帝王切開するとか!!
まだ何の覚悟もしていませんけど!!
はわわわわーと狼狽えていると、母が看護師さんに案内されて診察室まで入って来てくれた。
「さらちゃん大丈夫!?」
「はわわわわ、お母さん、今から帝王切開だって……」
腹が決まる前に腹切りを迫られ、頭が真っ白になる。
「だ、旦那様には連絡ついた?」
「出産になると思うって言ったら、仕事切り上げてすぐ来るって」
旦那様が来てくれるんだと思ったら、ちょっとだけホッとした。会社からこの病院まで一時間かかるから、間に合うかどうかが気に掛かる。
そんな不安がる私に、先生は何枚かの紙を手渡して来た。
「じゃあこれ、手術の同意書にサインをください」
その場で先生に迫られ、はわはわしながらサインを書き入れる。びっくりするほど手が震えて字が汚かったのはしょうがない。
「じゃあ今から手術室行きますね」
看護師さんに車椅子に乗せられ、私は抵抗するすべもなく手術室へと連れて行かれてしまった。