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3.水が引いた後は

 朝になると、ようやく空が見えた。

 雨が止んだのだ。


 するとみるみるうちに水は引いて行き、昼前には地面が見えてきた。

 それと同時に人々が出てきて、水が引く力を利用して押し流すようにブラシで掃除している。

 尾崎さんも炊き出しのボランティアに行き、私達は自分の家を片付ける事になった。

 水が出ないので、掃除をするにも水を汲むことから始めなければいけない。

 水は山の上に山水が引かれてあるから、そこに行けばいくらでも水はある。それにそこまで行かずとも、駐車場の脇のところにある塩化ビニール管からダボダボ水が溢れていた。

 けど、何度もそこまで行くのが結構大変だ。重い水を運ぶのも、妊婦には負担が掛かる。でも家を掃除しないわけにはいかなかった。

 やれやれとバケツを持って外に出ると、目の前には何故か元気な子供たちの姿がある。


「水、いりますか?!」

「あ、うんっ」

「どうぞ!」


 そう言って小学校高学年くらいの女の子が私のバケツに水を入れてくれ、その後すぐに駐車場の方に駆けて行った。他にも同じ事をしている子が何人かいる。自分の家が無事だった子達は、こうやって手伝いをしてくれているのだ。自転車置き場の自転車の泥を綺麗に洗い流してくれている子もいた。私の心はホッと明るくなった。


 誰でも必要な人は使ってくれと、軽トラに鍵を差したまま置いてくれていた人がいた。

 私と主人の車は山の上に逃がしていたお陰で助かったので、私の車は水没してしまった田川さんに提供した。ガソリンが残り少なくて申し訳無かった。何せ、ガソリンスタンドも水没して機能していないのだ。この時から私は、ガソリンが半分無くなると入れるように心掛けている。

 避難所暮らしは大変だろうからと、尾崎さんは私たち夫婦を何日も泊めてくれた。温かい布団で寝られるのは、本当に有り難かった。

 みんながみんな、損得考えずに助け合った事を、私は生涯忘れないだろうと思う。


 私の住んでいる場所は御察しの通りど田舎で、町へ通じる道は基本的に三箇所しかない。

 上への道、下への道、そして他県周りの道だ。

 下への道は崖崩れ八箇所、いつ復旧するか分からない。

 上への道は泥だらけで通行止め、他県周りのための橋は流れてきた丸太が何本も突き刺さって通れるような状態じゃなかった。

 携帯は電波塔が壊れたのか一切通じず、情報がとにかく無い。両親や友人達は大丈夫なのかと心底怖かった。


 四日後、何とか上への道が通じ、義両親の住む家に辿り着いた。電気も通らず携帯も繋がらなかったけど、水は問題なく使えた。とりあえずは一安心だ。しばらく義実家でお世話になる事にする。

 旦那様が会社に無事を伝えに行くと、そのまま働かされる事になったのは誤算だった。会社も水没していて、そっちに人手がいるんだそうだ。

 家の方の片付けは義父に手伝って貰ったり、車を借りて一人で片付けに行ったりした。

 家の家具は全滅状態だっだ。水を含んだ木の家具はもう使い物にならない。けど、外に運び出そうとしても水を含んだ家具は重過ぎた。こんな重いものを一人で運んではお腹に良く無いに違いない。

 外を見ると、少しずつだが他府県のボランティアさんが来てくれている。助けて貰えないかと声を掛けると、二人の男の人が笑顔で応じてくれて、家具を運び出してくれた。

 後にネットで調べて分かった事だけれど、阪神大震災の時にお世話になったからと来てくれた人、東日本大震災の傷もまだ癒えてないのに東北からわざわざきてくださった方もいたらしい。

 旦那様は東日本大震災の時に仙台へボランティアに行っていたけど、「まさかボランティアされる側になるとはなぁ」と呟いていた。

 私も今度はボランティアとして助けたい。現地に行けなかったとしても、何かの形で助けたい。勿論、何も起こらない事が一番なんだけれど。

 上の道が通った事で、もっと先まで行くと携帯を使える場所もあり、私の両親や友人の無事の確認も出来てホッとした。皆、被害に遭っていたけど、私の知り合いで死亡者は出なかった。母が逃げる最中に泥水で足元が見えずにハマってしまい、足の指を骨折したくらいだった。




 こうしてくる日も来る日も片付けをして過ごしていた、ある日。


 私のお腹は急に痛み始めた。


 痛くて痛くて、本当に動けなくなった。

 子宮がぎゅうーーっと収縮するような感じで、触ると硬くなっている。まだ五ヶ月でお腹はほとんど目立っていないけど。私は青ざめた。無茶をし過ぎたせいだ。心当たりがあり過ぎる。

 洗濯物一つにしても、腰をかがめて手洗いだった。洗濯機という文明の利器は、電気が無ければなんの役にも立たなかったから。

 部屋の掃除に、義実家から通う毎日の運転。

 とうとうお腹の子が、悲鳴を上げてしまった。


 旦那様と義両親から絶対安静命令が出された。三日ほど本当に何もせず寝たきりで過ごすと、どうにか痛みは治りを見せる。

 でも不安だった。この子の心拍は、まだちゃんと動いてくれているのだろうか……と。


 不安がる私に、旦那様が仕事を休んで病院に連れて行ってくれる事になった。

 下への道はまだ開通されていないが、他県周りの道が開通されたからだ。

 私達は他県周りの道から二時間半掛けて、掛かりつけの産婦人科を訪れた。土砂崩れが無ければ三十分の道のりが、二時間半だ。どうやら私には病院を遠くする能力が備わっているらしい。


 そうして辿り着いた病院で、心拍を確認してもらう。


 トクトクトクトクトク……


 その音が聞こえた時、私は初めて心拍を確認した時よりも泣けて来た。


 無茶してごめんね。頑張ってしがみ付いててくれてありがとう……と。



 それから私は義実家に住むより、実家に住む事を選んだ。

 理由は、何かあった時にすぐに産婦人科に通えるのが実家の方だったから。

 実家も一階は水没していたけど、二階は無事だったのでそこで寝泊まり出来る。お風呂は公衆浴場を解放してくれていたので、それを利用した。


 旦那様は仕事の関係もあって、義実家の方で暮らす事になった。

 正直、自分の親の方が気を使わないので済むので、楽っちゃ楽だ。

 私は実家の掃除の手伝いをボチラボチラとしながら過ごす事になった。


 この水害に遭って困った事は沢山あったが、何より辛かったのは吐き気だったという事を記述しておかなければならないだろう。


 水害後、町の臭いは変わった。全てのゴミが外に出され、溢れかえっているのだ。生ゴミのような匂いがプンプンしてくる。

 この匂い、普通の状態でも気持ち悪くなるだろうが、特に妊婦には耐えられない臭いだった。何度便器に顔を突っ込んだ事か、分からない。元々吐きづわり気味ではあったけど、この時ほど酷かった事はなかった。

 町が次第に綺麗になって行く中、私のつわりも治まってくれたのだが。


 この水害の片付けをしている時に、子どもの性別が分かった。

 なんと、男の子だった。

 私は女の子を産む気満々だったので、正直心底驚いた。


 だって私は女だ。女のお腹に男が入っているとはどういう事だ。

 今の私は雌雄同体ってやつなのか!!


 そんな馬鹿な事を考えつつも、女親は男の子の方が可愛いって言うし、これで良かったんだと受け入れられた。


 そして十二月に入ると、ようやく普通の生活が送れるようになる。

 下への道も片側通行だけど開通し、家も片付き、落ち着きを取り戻した。

 一応ホッと一安心だが、まだまだ物語はこれからだ。最後まで付き合って頂ければと思う。

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