1.妊娠の軌跡
パパママ誕生企画作品です。
登場人物は、全員仮名です。
私、長岡更紗が結婚したのは今からおよそ十年前。
はじめての出産は六年前だ。
今回はその長男の時の妊娠と出産に関して書こうと思う。
私たち夫婦には、中々子供が出来なかった。
病院に行って調べてもらうと、体外受精をした方がいいと言われて、とても遠くの病院を紹介してもらった。近くで体外受精の出来る病院がなかったからだ。
片道、三時間半。今は高速が通って二時間半で行けるようになったけど、とにかく当時は遠かった。
そして予約して行くにも関わらず、一時間以上は待たされる。
診察、会計等で病院に滞在している時間は約二時間。
それからまた苦手な運転で三時間半かけて家に帰る。
それが週に一度、あるいは二日に一度、酷い時だと「明日も見せに来てね」って気軽に言われる。
拘束時間は十時間以上。働いてる方がよっぽどマシだと思った。
遠くの病院に通院する日じゃなくても、注射の為に近くの病院……と言っても片道一時間、待ち時間一時間の所に毎日通わなきゃ行けない期間もあった。
今考えると、よくやったなと思う。
でも子供好きな旦那様のために……もちろん私自身も子供が欲しくて、頑張った。
そんな治療を二年半続けたある日、私は交通事故を起こしてしまった。
信号待ちで止まっていて、信号が青に変わってアクセルを踏んでしまったのだ。前の車はまだ発進していないというのに。
初めての事故で私はパニクった。
それでも相手が無事かを確認して、警察を呼んで、車の保険会社に電話して、旦那様にも連絡して、なんとか対処した。
冬の夕暮れ時は寒くて、受精卵の移植に失敗した証である月のものが気持ち悪くて、相手の方に申し訳なくて、警察官に絞られて……泣きそうになりながらずっとガクガク震えていた。
旦那様が私の両親に行ってあげて欲しいと連絡してくれたらしく、両親が一時間以上かけて事故現場へと来てくれた。
すでに相手も警察も居なくなり、フロントの壊れた車の前で、ポツンと立っている私。
母はそんな私を見て、「怖かったね」って抱きしめてくれた。
父は「もう心配しなくていいから、安心しろ」って笑ってくれた。
母親に抱き締められるのなんて、何年振りか思い出せなくて。
いい大人だというのに、声を上げて泣いてしまった。
家に着くと、当時夜遅くまで残業していた旦那様がもう帰って来ていた。
「大丈夫?」
って聞く旦那様に、私は思わず言った。
「次の移植でダメだったら、不妊治療やめたい」と。
旦那様はすぐに「分かった、いいよ」って言ってくれた。
それが本当に申し訳なくて、子ども好きな旦那様にそんな事を言わせてしまった自分が情けなくて。
でも、おそらくこの時には限界を迎えていたのだ。
なるべく愚痴らず、前向きにと思っていた糸が切れた瞬間だった。
私たち夫婦は、次の受精卵の移植がダメだったら……子どもを断念する事に決めた。
そのクールで取れた卵ちゃんは、胚盤胞という成長した姿になった。それもふたつも。
もうひとつ凍結保存した胚盤胞があったが、これは楕円の形をしていて受精卵のグレードとしては低く、移植しても着床しないだろうと言われていたので、予備として置いているだけだ。その予備があるお陰で、良い卵を何度も移植する事が出来ていたのだから、感謝をしなくちゃいけない。
私は今回育ってくれたふたつの卵ちゃんを『まんまるちゃん』と『かわいいちゃん』と名付け、楕円は『楕円ちゃん』と名付けて可愛がった。
と言っても、写真だけで実際見られるわけじゃないし、ナデナデも出来ないのだけれど。
不思議なことに、たかが卵でも、写真で見るだけでも、愛おしく感じるものだ。
一度全て凍結保存した後に体調を整え、一番グレードの高いまんまるちゃんを移植する事になった。
かわいいちゃんと楕円ちゃんも、もしまんまるちゃんの成長が止まってしまったら代わりに移植するという事で、一緒に融解された。
みっつの卵ちゃん達は順調に成長し、予定通りまんまるちゃんを移植して、かわいいちゃんと楕円ちゃんは再凍結保存された。
これで最後、と決めて挑んだ移植。
まんまるちゃんは、見事に私に着床してくれていた。
『信じられない』って思いと、『やっぱり』って思いが絡み合ってないまぜになる。
二年半、ずっと治療しても出来なかったのに。
でも移植した時、何となく上手くいきそうな気がしてた。何とも言えない不思議な感じだけど、『やっぱり妊娠してた』という感情があったのも確かだ。
まんまるちゃんは私のお腹の中で、順調に成長してくれた。
心拍も確認できて、トントントントントントンッという鼓動を聞けた時には思わず涙が溢れた。
旦那様も両親も友人も、みんなみんな喜んでくれた。
みんなが心から喜んでくれた事が、本当に本当に嬉しくて有り難かった。