99 鉄砲の恐怖
その日の早朝は、気温が上がったせいか、わずかに靄がかかっていたが、日がのぼってくるにつれて、それも消えていった。
「本当に最高の快晴だな、ラヴィアラ」
「はい、勝ってさらに最高にしましょうね!」
陣の中で俺たちはそんな話をした。たしかに、これで負けたら最低の快晴になるからな。
さすがに早朝から敵はやってこない。さて、待ち受ける準備はできたけど、ちゃんと来てくれるかな。
地形的に背後に兵を置いて前に突っ込ませるということもできない。覇王はそういう手がとれたらしいが、そこまで覇王の時と同じじゃないからな。
この日、一番忙しいのはオルトンバだろう。柵の前に控える兵たちの様子を見て回って、鉄砲を正しく撃てるかどうかの確認をしていた。ちなみに柵は兵がいないかなり前方にも設置されている。敵軍の速度を落とすことができれば。それだけ鉄砲で狙う側も楽だ。
そこにヤドリギが姿を見せてきた。それを見越して俺も付近にはラヴィアラしか置いていない。
「マチャール辺境伯サイトレッドは自分も含めて渡河して攻めこんでくるように決めました」
「わかった。連絡ご苦労。ずいぶん息が切れているようだから、休んでいろ」
涼しいというより冷たい顔をしているが、それでも何度も顔を合わせているから、急いでやってきたのはわかる。
「近くにおりますので、何かあったらお呼びください」
そう言って、ヤドリギは姿を消した。
さて、大勝負になりそうだな。
「ラヴィアラ、お前は鉄砲を撃ちやすい場に移動しておけ。敵はいずれ来るぞ」
「はい、手前からどんどん撃ち殺しますから!」
射手という職業が鉄砲にどう機能するかはわからないが、少なくとも武器としての目的はまったく同じだから、どうにかなるんじゃないか。
そして、やがて低い音が遠くから響いてきた。
敵軍が川の浅いところからやってくる。さすが、地の利はあるというか、どこから渡るべきか心得ているらしい。
そして、川を渡り終えたあたりから、昨日聞いたような轟音が響いた。
付近の小高い丘で待ち構えていた部隊が高みから鉄砲を撃った。
何人か倒れる者が出たか、少し遠すぎてわからないが、どっちでもいい。本番はもっと先だ。
俺はオルトンバの横について様子を伺うことにした。敵の狙いは俺だろうし、俺のところに大物がくれば、それだけオルトンバが狙いやすい。
「いけそうか?」
「視界良好ですし、晴れてもいますんで、申し分ないですな。すでに効き目は上がっているようです」
もう、すでに銃撃の音は何度も響いていた。そして、だんだんと悲鳴のようなものも聞こえてきていた。
まず、引き寄せるまでは離れた高台からの狙撃が中心だ。どこから撃たれているかわからないから、敵兵の恐怖心を煽る。
そして、その攻撃を乗り切って近づいてくる連中に対して、柵の内側から鉄砲を向ける。
「さあ、お前たち、とことん撃て!」
俺が号令するまでもなく、撃てとは命令しているが、景気づけに叫んでやった。ちなみにしっかり耳は手でふさいでだ。
轟音のあとにはばたばたと馬に騎乗した敵の武将クラスが倒れていく。無論、雑兵にも銃撃は加えられる。
なかには恐怖心を抱いて足を止めそうになる者もいたが、これにも鉄砲は火を噴く。
「なんだ、この武器は!?」「止め方がわからん!」「あまり近づくな!」
そんな声が聞こえだす。見たことのない武器で攻撃される恐怖心は並大抵のものじゃない。説明のできない事態に出くわす時、人間の思考はたいてい濁る。そここそ狙い目だ。
丘の茂みに隠れるようにして、ラヴィアラも狙撃しているのが見えた。かなり距離が開いているはずなのに、騎馬兵をきっちり射殺している。
だが、やはり圧巻なのはオルトンバで、一発撃つごとにかなり遠くの兵を削っている。そのせいか、こちらの手前の柵を突破しようとする敵兵もいなくなってきた。無理をして突撃をかけた者がことごとく倒れているからだ。
敵の騎馬軍団の勢いは完全に殺した。
その時点で、この戦い、俺の勝ちだ。
敵の勝利条件はこちらの防御網を突破することしかない。だが、それが可能な攻撃力はおそらくもうほとんど残っていない。
相手の最大の敵は恐怖心だ。不安を胸に抱きながら突っ込むことはできない。
「いいかげん、敵の攻撃はやんだか。ならば、俺が全軍率いて掃討してやるか」
まだ、辺境伯を見ていない。おそらく、前に出ていた将の討ち死に率が高すぎて、出られなくなったのだろう。
しかし、そんな辺境伯側の中で、こちらに突っ込んでくる部隊がある。周囲の仲間たちは倒れていくが、大将格の者はまだ馬から落ちてはいない。
「我こそはマチャール辺境伯サイトレッドの妹、タルシャ・マチャールである! アルスロッド・ネイヴル、覚悟するがいい!」
そうか、勇壮と知られていた妹だな。波打った髪をなびかせながら、走ってくる。
オルトンバの鉄砲がそのタルシャの馬を撃つ。馬は倒れるが、それでも、跳び降りると、そのまま俺のほうに向かってくる。
血がたぎるのを感じた。
「お前たち、あの女武将は撃つな! 俺が直々に相手をする」
どうせ、この戦、俺たちの勝ちだ。ならば、少しぐらい遊んでもいいだろう。
俺は剣を抜いてタルシャの前に立つ。
「名前を呼ばれたから出てきてやったぞ。どうして負け戦で突っ込んできた?」
「ぬかせ! たとえ負け戦といえども、こんなところで退いたら、どのみち我が一族はおしまいだ! ならば、背を向けずに戦ったほうがマシだろう!」
「なるほど。間違いとも言えないな」
マチャールの剣はとにかくまっすぐで、迷いがない。ここに来るような奴の剣だ。
「敵であるのが惜しいほどの剣だな」
「どうやら、我が職業は高名な武人かもしれんのだ。シンゲンというのだが」
シンゲン? それ、覇王が言ってた奴じゃないのか!?
――よし、アルスロッドよ、全力で戦え! そしてなんとしても勝て! この覇王も一対一で信玄に勝ったとい気分を味わいたい!
勝手なこと言うな! でも、まあ戦わないって選択肢はもちろんないけどな。
それと、完全に対等な状態なんてものはない。ここまで来る時点でこの女は疲弊している。
俺は剣を思い切り横に薙いだ。
それで、タルシャの剣が弧を描いて飛んでいった。
じわじわと99話まで来ました。次回100話です!




