96 晴れる日を待つ
――ほう、武田勝頼に手痛い傷を与えた時のようになりそうであるな。
オダノブナガもこれで大勝した経験があるんだったな。
――もっとも、あれは敵が攻めざるをえない状態に持ち込んだ時点でこちらの勝ちだったのだがな。力押しで突破口を開けばいいとこちらの守りを甘く見た武田の失態だ。あやつら、信玄の亡霊に悩まされおったのよ。信玄晩年は輝かしいようでじわじわ武田が八方ふさがりになりはじめる歴史そのものだ。
タケダが何者か知らないけど、鉄砲が威力を発揮したことは間違いないみたいだから、俺はこれに乗る。あんたも賛成なんだろ。
もう、鉄砲でマチャール辺境伯の軍を待ち構えるのはほぼ確定していた。
家臣たちもこれで圧勝だというムードが出来上がりつつあった。
「よし、オルトンバだったか? とことん、その鉄砲の実力を見せてくれ! 赤熊隊も見届けてやるからよ!」
オルクスもすっかり鉄砲肯定派になっていた。
「はい、私も長らくこれの改良をやっておりましたんで、一世一代の晴れ舞台だと思っております。ただ……少しばかり懸念がありまして……」
今になって、オルトンバの顔色が悪くなった。
「おい、オルトンバ、どういうことだ?」
俺も懸念の話は聞いていないぞ。
「どうも雲行きが怪しいんです。いや、雨がすでに降りだしてますかな。北方は春頃は雨の日が多くてですな、雨の中では火がつかないもんで」
そう、まさに外からは雨の音がしとしとと聞こえていた。雲も分厚いし、いつやむかわかったものではない。
「ラヴィアラ、お前は天気も詳しかったか?」
自然の現象についてはエルフはかなりのたくわえがある。
「はい……ううん、最悪、二日以上続くこともあるかもしれませんね……。それぐらいには空も重たいです。これだけ重たいと、なかなか光が差してこないかと……」
つまり、鉄砲が使えるまでは粘るしかないということだ。
「ああ、そういうことかよ! わかったぜ! オレが前に出て、マチャールとかいう連中を止めてやるぜ!」
オルクスが吠えた。
「こっちが攻めて攻めて、それで晴れたらさっと引けばいいんだよ! そしたら連中はごっそりこっちに攻めてくるだろ。そこを鉄砲ぶっ込んでくれればいいんだ」
オルクスはやけくそのように言っていたが、それが一番現実的な方法だ。雨が止むまで向こうに出張れるかは天気からしても怪しいが、まずはこちらが攻めないと時間は稼げない。
「よし、前に出たい者はいるか? 相当、危険はともなうが、川を渡って、向こうに一撃を浴びせてくれ。もちろん、それなりの褒美は出すつもりだ」
これにはオルクスに続いてノエンとマイセルが進言した。
「別に怖くはないです。これまでも、そんな戦いばかりしていましたからね。むしろ、こちらが日常だと思い出しましたよ」
「ノエン殿と同意見です。摂政家の一門として、このマイセル、命懸けで奉公いたします」
うん、攻撃力としては申し分ない。こいつらが蹴散らされるなら、どのみち撤退するしかないだろう。
「よし、まずは先鋒の部隊が進め。鉄砲を扱う兵は完璧に使いこなせるように確認作業をしておけ。運悪く外し続けたら、そいつが死ぬからな」
●
こうして、俺とマチャール辺境伯サイトレッドとの戦いがはじまった。
敵の数はおよそ六千だという。こちらにはおよばないものの、辺境伯などと名乗っている割には、かなりの軍勢の数だ。周辺の領主もマチャール辺境伯に実質、服属しているわけだ。
こちらの数は一万ほど。マウスト城に一定の兵を残しているし、王都にも兵は置いておかないといけない。その他、ニストニア家も周辺の監視に当たらせるため、むしろ兵士を貸しているぐらいだ。
「遠征となると、まだまだ超大軍で圧倒というわけにはいかないんですね」
砦でラヴィアラは静かに自分の出番を待っている。今は鉄砲を触っていた。
「敵も平原で素直に正面からぶつかってくれないしな。大軍であればいいって問題じゃない」
「でも、二万ぐらいは問題なく動員できたんじゃないですか? アルスロッド様の今の力なら遠方でもいけたはずです」
「そりゃ、動員はできるさ。でも、動員できる期間が大幅に短くなる」
俺はパンをちぎって、口に入れた。あまり上等なパンじゃないから口の中がすぐに渇く。
「長期戦になった場合、とても食糧が足りなくなる。それで現地調達だなんてことになれば、恨みを買って俺の敵が増えるだけだ」
「あっ、なるほど……」
ラヴィアラの鉄砲をいじる手が止まった。
「俺たちは王国の兵なんだ。それが略奪をしまくるわけにはいかない。小領主同士の小競り合いとは次元が違ってるんだ。背負ってるものが全然別になってるんだよ」
戦争にきれいも汚いもない。
それは事実だが、事実を口外して許されるかはまた異なる問題だ。
王国の軍隊が農村を襲うようになれば、北方はそれこそ一枚岩になって、王国に歯向かうだろう。それだけは避けないといけない。
「やっぱり、アルスロッド様はたくさんのことを考えていらっしゃいますね」
ラヴィアラの笑顔はずっと昔から何も変わらず、俺を勇気づけてくれる。
最近だと、少しずつ娘がラヴィアラに似てきているなと思う。娘が成人する頃には王女様と呼ばれるようにしてやりたい。これだけ人を殺してきてなんだが、自分の子供は本当にかわいい。
「本音を言えば、俺も目の前の敵をひたすら倒すだけっていうほうが楽なんだけど、そういうわけにもいかないんだ」
「それは大丈夫ですよ。アルスロッド様は策略を考えるのもお好きですから」
ずいぶんな言われようだ。
「それとな、一万の兵にしたのはもう一つ理由がある。小回りが利かないと、反乱が起こった場合、反転できないからな。裏切ってくれるのはいいが、その瞬間、万事休すじゃ困る」
その言葉にラヴィアラの顔が曇った。
「セラフィーナさんのご実家は、本当に攻めてくるんですかね……? 戦わないといけないんですかね……?」
「ラヴィアラ、俺たちは目の前の敵を倒すことだけ考えていればいいんだ」




