39 長男と長女
子供が生まれる時、男はそこに立ち会うことはできない。出産に関しては女がすべてを取り仕切るのだ。
そのため、俺は早く朗報が来いと祈りながら、政務を行っていた。ある意味、政務があってちょうどよかった。必要以上にやきもきせずにすむ。
実のところ、子供が無事に産まれるかどうかより、母体が健康かどうかということのほうが気にかかっていた。
夕方の頃だった。セラフィーナの侍女が走って政務室に入ってきた。
「お産まれになりました! 男の子です!」
「そうか! 母体は、母体は大丈夫か?」
「はい……奥方様も疲れは見えますが、出産にともなう常識的な範囲のものです。お子様をご自身でお抱きになるぐらいのことはできておりますし」
「ならば、すべてよし!」
俺は政務机から立ち上がった。
「あの……奥方様も今はお疲れですし、もう少しだけお待ちいただけないでしょうか……? お子様も産まれたばかりの時は体調が急変することもございますので……」
「むっ……そうか……。わかった。そちらがいいように取り計らってくれ」
どうやら、俺が興奮しすぎて、少し侍女がひるんだようだ。慣れない男が赤ん坊を落としでもしたら大変だとでも思ったんだろう。
「仕事がたまっているのは事実だからな。あとで見に行く。セラフィーナの準備ができたら教えてほしい」
そして、あらためてセラフィーナと対面することになった。
ベッドで寝てはいたが、たしかに顔色も悪くなかった。
「旦那様、わたし、頑張ったわ」
「ああ、これで後継者の心配もなくなったな」
俺はセラフィーナの手を握った。
「後継者になれるかは、まだわからないけれどね」
そこはセラフィーナはリアリストだ。
「旦那様はもっともっと偉くなるから。それを継げるだけの人材にこの子がなれるかはまだわからないもの。もしかしたら、たとえばラヴィアラさんの子供のほうが賢いかもしれないし」
「母親は自分の子供を跡継ぎにしたいものだと思ってたけどな」
「わたしはまず英雄の妻でありたいのよ。後継者を誤って、国が傾くだなんてことはしたくないわ」
「君みたいな聡明な妻を持って、俺は幸せだ」
子供も抱いてみたが――
「男か女かよくわからないものだな」
「それはそういうものよ」
と笑われた。
しばらく領内は祝賀ムードに包まれていた。
いろんな人間がここぞとばかりにあいさつにも来るし、相変わらずそれの応対で大変だった。
もっとも、俺としてはもう一つ、気に掛かることが残っていたのだが。
セラフィーナから遅れること二か月、今度はラヴィアラの子が産まれそうということになった。ハーフエルフは普通の人間と違って子供が母体にいる時間も長いと聞いていたから、スケジュール的にはおかしくはなかったのだが――
「どうやら、逆子のようで、少し苦労されているご様子です……」
侍女がそんなことを言ってきたので、いても立ってもいられなかった。
「ラヴィアラのほうは大丈夫なのか? どうなんだ?」
「必ずラヴィアラ様だけでもお助けいたしますので……」
俺はがらにでもなく、マウスト城下にある神殿に行って神に祈った。
どうか、すべてがつつがなくすみますようにと。
こういう時、男は祈ることしかできないからな。
――お前も、こんな敬虔な側面があるのだな。
うるさいな、職業は黙っててくれ。
――この覇王も神仏にすがりたい場面は何度かあった。だがな、結局、神仏はすがる対象でしかないのだ。最後は人間が切り開いていかねばならん。とはいえ、母子健康はたしかに祈るしかないことだな。存分に祈れ。この覇王も祈ってやろう。
まさか、職業に励まされるとはな。
こんなことを神官に告げたらどういう反応をされるだろうか。
俺のそばにいる神官はかつて俺にオダノブナガという職業を授けてくれたエルナータだ。俺の出世に伴って、マウストの地にまで来てもらった。彼からすれば、職業を授けたのは神であって、彼自身ではないことになるのだろうが、こういうことは縁起を担ぎたい。
神像の前で祈っていると、誰かがその横に並んだ。
伯爵の横に並ぶとはずいぶんと不敬なふるまいをする者だなと思ったが、すぐに思い違いだとわかった。
「セラフィーナ、君が来るとは聞いてなかった……」
「ええ、言ってないもの。でも、わたしが神から賜った職業は聖女なのよ。ここに来てしかるべきだとは思わない?」
そう言うと、セラフィーナはひざまずいて、真剣に祈りを捧げはじめた。
古語から成る神への言葉が紡がれていく。それはセラフィーナの専門的な教育と、高い教養を示している。
あらためて、セラフィーナの高潔さに心を打たれた。
セラフィーナはプライドの高い人間だったけれど、それに見合うだけの努力をずっと続けてきたのだ。
やがて、セラフィーナの言葉は終わった。最後に神像に頭を下げた。
「わたしは旦那様の身近な守り神に――女神になりたいの」
「本当に君が妻でいてくれて、よかった。ここが神殿でなかったら、今すぐ抱きしめたいぐらいだ」
聖女の祈りはしっかりと神に聞き届けられたらしい。
マウスト城に戻ると、ラヴィアラの出産報告が侍女によって届けられた。
「女の子がお産まれになりました!」
「ラヴィアラは、無事なのか?」
ラヴィアラは幼い頃に両親を亡くした俺にとって、唯一の肉親も同然だった。
侍女は破顔して言った。
「はい、ラヴィアラ様はよくご辛抱なさいました!」
俺は心底ほっとした。
「もしかすると、戦よりも気をもんだかもしれないな」
俺は来年の領内の税を引き下げる旨を発表した。ナグーリ県の民の心もつなぎとめておきたかったし、ちょうどよいタイミングだったかもしれない。
あとでラヴィアラと対面した時、二人で泣きながら抱き合った。
「俺の子供を産んでくれてありがとうな」
「ラヴィアラもアルスロッド様の子供が産めて本当に幸せです……」
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そして、俺が二人の子供の父親になった頃、政治的にも大きな動きが起きた。
王族のハッセの身元がわかり、俺のマウスト城にやってきたのだ。
次回から新章に入ります。次は王都入りを目指します!




