34 人質だった女
マウスト城に戻った俺はナグーリ県の情報収集につとめた。
空き時間はできるだけ、どのようにレントラント家と戦うべきか、考え続けた。
この考え事は政務中よりも、妻の部屋で休んでいる時のほうがはかどる。政務を一度切り離せるからだ。
なお、妻がいる区画には男は俺と一部の人間しか入れないことになっている。小さな後宮みたいなものと言えなくもない。
「旦那様ったら、また地図とにらめっこなんだから」
テーブルで地図を広げている俺にセラフィーナがそんなことを言った。
「しょうがないだろう。これまでにない規模の戦争になるんだから」
自分が県を率いる領主になって、それと同格の相手と戦うのは次が初だ。
もしも失敗すれば滅亡の憂き目にも遭う。
「仕方ありませんよ、セラフィーナさんも我慢してください」
そこにラヴィアラがお茶を運んできてくれた。ラヴィアラもこんな小間使いのようなことをしなくてもいい立場なのだが、昔からこういうことには気が利く性格だ。
「二人とも、おなかがふくらんできたな。できれば子供が産まれる前にレントラント家を滅ぼしたいんだが」
「アルスロッド様、いつになく気合いが入ってますね」
ラヴィアラがお茶を入れてくれながら、言った。
「けれど、いくらなんでもあと数か月のうちに県を一つ取るだなんて、いくらなんでも難しいんじゃないですか?」
「だろうな。ミノという隣の国を取るのは、オダノブナガさえ時間がかかったと言ってたし」
「オダノブナガ? 職業のことですか?」
「あっ……今の話は気にしないでくれ」
オダノブナガと会話しているということはあまり表に出さないようにしている。たいていの人間は信じられないだろうし。
「俺は本気だぞ。でないと、子供と戦争と両方考えないといけなくなるからな。でも、だいたい、作戦もついたかな」
俺はナグーリ県の地図に一箇所チェックをつける。
向こうが攻めてくる前にこちらが有利な状況を作ってやる。
「本当ならもっとわたしも旦那様のために尽くしたいんだけど、今は赤ちゃんが大事だから何もできないわね」
「それはラヴィアラもです」
二人は顔を見合わせて、「ねえ」と言っていた。
なんか、最近、セラフィーナとラヴィアラの距離が近くなってる気がする。立場が近いからだろうか。
「でも、旦那様……わたしも少しは旦那様のために心を砕いてるのよ」
なぜか心苦しそうにセラフィーナが言った。
「わかってるよ。君が俺のことをずっと見守ってくれてることは。君は職業どおり、俺にとっての聖女だ」
「ううん、もっと具体的なことなの。ラヴィアラさん、お願い」
そう言われるとラヴィアラは部屋を出ていった。いったい、何だ?
そして、ラヴィアラは女の子を一人連れて戻ってきた。年齢は十五歳頃だろうか。ピンク色の美しい髪をしていた。
セラフィーナの侍女にしてはドレスが豪華すぎる。かなり上の身分だと思うが、いったい誰だ?
「はっきりとお会いするのは、これが初めてかと存じます」
鈴が鳴ったような、きれいな声だった。
「どちらの娘さんかな? 家臣にあなたのような美しい方がいれば、すぐに噂になっただろうが」
「わたくし、マイセル・ウージュの妹、フルールと申します」
あっ、北ヶ丘城の領主の妹か。
「わたくしは、二年前までレントラント家の元で人質として暮らしていました。なので、内情も少しはお伝えすることができるかと存じます」
「それはありがたい。ぜひ、いろいろとご教示願いたいですね」
「はい、わたくしもそのつもりでございます」
本当に礼儀正しい人だと思った。自分が亡国の姫ということで遠慮もあるのかもしれないが。
セラフィーナが俺とフルールの間に入ってきた。
「ウージュ家の娘さんが送られてきた時に、この人はきっと旦那様の力になると思ったの。まず、とても頭がいいし、それに心根のほうも信用ができるわ」
フルールは胸に手を当てた。それは誓いを意味する仕草だ。
「ウージュ家を残してくださったご恩にわたくしは報いたいと思います。それに、次のレントラント家との戦いで、きっとわたくしの兄は最前線で戦うことになるはず。兄のためにもどうかよい戦になるようにしたいのです。そのためにお話できることはすべてお伝えいたします」
「その気持ち、ありがたく頂戴いたします。では、早速、いくつか質問してもよろしいか?」
「はい、どのようなことでも」
「レントラント家も戦の準備をしているだろうが、いつ攻めるのがよいでしょうか?」
わざと試すような質問をした。
「小麦の収穫時期と重なる頃合いがよいかと。徴発できる兵士の数も減ってくるでしょうし。とくにナグーリ県の南側は農地が肥沃で、しばらく人手がかかるでしょう。ただ、土地が広いので防御には向きません」
なるほど、たしかにすらすら言葉が出てくるな。
「では、敵が攻めてこないのは、いかなる理由と思われるか?」
「可能性はいくつかございますね。まず、彼らには自分の県を守るという意識しかないから。まだ、ナグーリ県自体はまったく奪われていません」
ありえることだ。昔から、広い土地を持っていると、保守的になることもある。
「次に、フォードネリア県で戦うのを避けたいから。農民を徴収した兵士は遠方に出向くのを嫌がるものです。まして、隣の県まではるばる向かうとなると士気が下がる恐れもあります」
それもある。だからこそ、俺は職業軍人を用意したかった。親衛隊はそのための下準備だ。どんな季節でも戦える軍隊があれば、敵が戦を避けたい時期に攻撃できる。
「最後に、最初から伯爵をおびき寄せて、叩く算段かもしれないから」
地図上のいくつかの砦にフルールは指を這わせた。
「敵の県の城砦はいずれも北寄りにございます。もし、ここまで攻め込んでフォードネリア勢が大敗すれば逃げるのは非常に大変です。その間に軍隊が崩壊するという恐れすらあります」
「フルールさん、あなたは本当に聡明な方だ」
おそらく、人質とは言いながら本国にナグーリ県の内情を伝える役目でもしていたのだろう。ただのカゴの鳥ではない。
これは思った以上に大きな将を得られたかもしれない。




