29 妹を嫁がせる
「政略結婚で、どこかに嫁ぐ準備はできているから」
アルティアの瞳を見つめた。病弱で触るだけで溶けてしまいそうな少女の姿はもうなかった。
どこに出しても恥ずかしくない伯爵の妹だ。
こんな強い目ができるようになったんだな。
「実は、ちょうど俺もお前の婚儀について考えていた」
「ナグーリ県のレントラント家かな? 当主の嫡男も三十歳ぐらいのはず」
この場で話すことはわからないが、別に隠さないといけないことでもないか。
「それはないな。いつか、ナグーリ県に俺が攻める可能性もあるからな」
基本的に敵国から来ていた妻は離縁されるが、そのまま夫や子供と一緒に戦争に参加することもある。そのまま、運命を共にする者もいたはずだ。
アルティアを送り込めば、ナグーリ県は確実に油断するだろうが、妹を騙し討ちの道具に使うのは避けたい。
「とすると、セラフィーナさんのご実家?」
「そうだな。それで同盟をさらに強化するという考え方もできるが、発展性という意味では微妙だ。現時点で両者は信頼関係を築けている」
それにしてもアルティアもよく周辺情勢を把握しているな。
「なら……オルビア県のナーハム家? ブランド・ナーハムという貴公子がいるとか」
「当たりだ。お前をやる価値があるかどうか考えていた」
アルティアはしばらく、思案していたようだったが、やがて、ラケットで左手をぱんぱんと叩きながら、
「よい球かどうかは叩いてみないとわからない」
と謎かけみたいなことを言った。
「嫁ぐ価値があるかどうか、その人を呼び出して見てみたらいい」
「血は争えないというか、アルティアさんも旦那様みたいな性格ね」
セラフィーナがあきれ半分、評価半分といった感じで言ったが、言いたいことはよくわかる。
「それで、どういう理由で呼ぶ? まさか品定めしてやるから来いとは言えないからな。間には戦争中ではないとはいえ、違う領主の土地もある」
「エアーボールを伯爵の妹としないかというのは?」
アルティアは球を拾うと、俺のほうに向けて、ラケットで軽く打った。
俺はそれを右手でキャッチする。なかなか重いボールだ。
「私、エアーボールは強いよ」
思わず声を出して笑ってしまった。
「わかった。アルティアの案に乗ろう! ブランド・ナーハムを呼んでやろう」
そうだ。アルティアのためにわざわざ来るぐらいの気概がないような奴に、どうして嫁にやらないといけないのだ。それだけの覚悟は見せてもらおう。
「旦那様は戦略は冷徹なのに、アルティアさんには甘いのね」
「かわいい女には男は甘くなる。そうでない男は聖職者にでもなったほうがいいな。たとえ、神殿でどんな職業を言い渡されてもな」
●
ブランド・ナーハムに書状を送ると、すぐに行くという連絡が来た。
途中、通過する領主にはかなりの額の通行料を払って、穏便にこちらの所領に入ってきた。
そして、マウストの丘にある仮の城で会見することになった。
「はじめまして、ナーハム郡など二郡の子爵、ブランド・ナーハムと申します」
噂のとおり、ブランドという男はなかなかいい目をしていた。
なんとも抜け目がないというか、顔を見合わせただけで利発であることがわかる。ただし、英雄の相というよりは、一人の将といった印象が強いが。
「子爵はいったい何の職業であると神殿で言われたのかな?」
「盗賊だと言われております。これまでも敵の守りが薄いところに兵を送って勝ったことが何度もありますね」
盗賊は状況判断力が通常の人間より三十パーセント上がり、さらに素早さが五十パーセント上がると言われている。機に敏い人間となるのも納得がいく。
もっとも、盗賊と言われる前からこの男は頭角を現していたはずだが。年齢的に、職業を言い渡される前から当主として戦争に出張っていたはずだ。
「なるほど。貴族に盗賊という職業が似合っていると言うと、侮辱に聞こえるかもしれないが、あなたの天職と思う」
「自分もそう考えています。それで妹君はどちらに?」
「庭で待っているので、今から案内いたそう」
アルティアとブランド・ナーハムとのエアーボールの試合は、ブランド・ナーハムの勝ちに終わった。スポーツで判断するのは多少横着だが、その動きが実に素早いのは間違いない。
この機動力で敵を倒していったんだろう。
試合の後、ブランドは俺の前まで来て、頭を下げた。
「どうか、妹君を我が妻に迎えたいのです。このような美しい女性は、オルビア県にはいません。さらに領主の妻にふさわしいほどに、凛とした表情をされていらっしゃいます」
向こうから言ってくるとはな。最初から目的がわかる程度には敏いということか。
アルティアの顔を一瞥した。
もう、気持ちは固まっているらしかった。
「わかった。ただし、妹のためだけという理由で、兵を貸したりはしない。君は俺が喜ぶような餌を常に用意するようにつとめてくれ」
「ありがたきことです!」
「それと、アルティアを泣かすようなことはしないでほしい。もう、アルティアは普通の人間以上に苦労をしてきた。俺も楽をさせてやりたいんだ」
「はい! お約束いたします!」
「妹は後日、こちらから送り届ける。ご心配なきよう」
こうして、ナーハム家との同盟は成立したのだった。
――あのブランドという男、浅井長政のような青年武将であるな。所領の広さが大名と呼ぶべきかどうかの境目程度なのも似ている。お市も幸せそうにしていたのだが。
今回のオダノブナガはどこか感傷的だった。
あんたも妹を嫁に出したんだな。領主なら当然か。
――その浅井長政に裏切られて、窮地に陥ったのだがな。帰る場所を失うところだった。あとで、滅ぼしてやったが。
おい、じゃあ、妹はどうしたんだよ……。
――その時は娘ともども助け出した。ただ、ずっと悲嘆に暮れていたな。
俺は絶対にそんなことがないようにする。
――まあ、せいぜい気をつけておけ。
その日の夜、俺はアルティアと二人、月を見ていた。
人払いもして、庭に設けたテーブルで、お茶を飲む。
「本当に月がきれいな夜だね、お兄様」
アルティアはわずかに口を開いて、嘆息しているようだった。
「そうだな、お前が嫁ぐことを喜ぶべきなんだろうが、どうしても素直にそう思えない。俺は悪い兄かもしれないな」
「ううん、そんなことがあるわけがない」
アルティアが強い声で言った。
「お兄様が心を砕いてくれなかったら、私はもう死んでいたと思う。私がよくなったのは、高台の屋敷に引っ越してからだし」
「俺も、お前がいなかったら兄のガイゼルの言いつけで砦の守備などしなかった。きっと、ミネリア側に降って、今頃、せいぜいそこで一部隊を率いる程度だったさ」
そうだ、アルティアがいなかったら、砦を守ることに命を懸けることもなくて、全然違う人生が待っていた。俺が伯爵になっているのもアルティアのおかげだ。
「私がお兄様の妹でなかったら、お兄様のところに嫁ぎたかったな」
冗談めいた声でアルティアが笑った。
「俺も、ぜひお前みたいな女なら娶りたかったよ」
「これまで、育ててくれてありがとう、お兄様」
「その分、幸せにならないと承知しないからな」
その後、アルティアを部屋まで送り返す時、胸に抱きつかれた。
アルティアが泣いているのがわかった。
「好きなだけ泣いていいぞ」
寂しいのは兄も妹もお互い様だ。
俺は静かに妹の未来が幸せであることを願った。
お前はいつか、王の妹になるんだからな。待ってろよ。




