158 覇王の生き方
「どうして、すぐに南下して前王派にとどめを刺さないのかと思ったら、これが目的だったんですね」
ラヴィアラはタルムード伯アブシー・ハニストラがよこした降伏文書を読みながら、言った。
「これで巨島部の北側ではアルスロッド様に立ち向かおうとする敵は存在しなくなったも同然ですね」
「そういうことだ。屈服する連中を受け入れるのにも多少の時間はいるからな」
状況を把握して、どちらにつくかを決断し、急ぎの使者を送るだけでも、どうしても数日がかかる。だから、前王の行宮とも言えるソフェリにとどまった。まずは北側だけでも制圧しておきたかった。
「どのみち、俺は長く巨島部にはとどまっていられない。今頃、マウスト城もヤグムーリ城もハッセにつく領主に狙われている。だからこそ、巨島部は沈静化させてから出ていきたい」
俺はテーブルに広げた巨島部の地図をペンでゆっくりと塗りつぶしていく。
色をつけているのは、自分の支配下に入った箇所だ。まだ、いくつか小領主が残っているが、その連中もタルムード伯が俺の下についたと知れば、臣従に来るだろう。
「あと、次にサミュー伯サルホーズ・サミューとぶつかる戦は絶対に負けられないからな。大敗したら、すべてがひっくり返る。しかも、場所も巨島部の一番果てと来ている」
サミュー伯家は伝統ある家系だが、決して長い間、安泰だったわけじゃない。むしろ、つい五十年前まで百年以上続く一族間の抗争を繰り返していた。まだ、国内が「百年内乱」に入る前の時代からだ。
それでも他家に滅ぼされることもなく存続できたのは、地の利のせいが大きい。巨島部の奥地まで攻めてこられる勢力は限られている。実際にはサミュー伯家の分家ぐらいしかいなかった。王家も自国のことであるのに辺境の地の争いを黙殺した。
そして、長い抗争を繰り返したせいで、結果的にサミュー伯爵家はサーウィル王国内でも、最も独立独歩の気風が強く、都市はほとんど異国のようだという。
「地域的にも他大陸の風を強く受けているらしい。三叉戟という特殊な槍状の武器を振り回す一団がいたり、精鋭部隊は将が死んでも最後の一兵になるまで戦い続けるとか」
ラヴィアラは身震いした。
「精鋭部隊って、血契隊ってやつですよね? 部隊の中でお互いに相手の垂らした血を飲んで、現世で絶対に破らない盟約を結ぶっていう……」
森に住むエルフの一族でもあるラヴィアラにとって、血を使った儀式を行う連中は苦手らしい。
「今の当主のサルホーズ・サミューも、他大陸の王家一族の娘を母親に持つって噂まである青い髪の英傑だ。両腕両足に無数の傷があるっていう。いろいろと今までと勝手が違う。これまでのような感覚で行くと危うい」
「聞けば聞くほど怖い相手ですね……。このあたりの森はラヴィアラの知っている森と比べてもずいぶんと黒々としています。それがさらに濃くなるんですよね……。同じ国の中で戦っているという気すらしません……」
でも、そこで俺は真面目な顔を自分から崩した。
自分でもなぜかわからないぐらいにおかしくてたまらなかった。
俺は声を出して笑っていた。声を押し殺しきれなかった。
「あの……アルスロッド様、いかがなされました?」
「オダノブナガ、お前は晩年はあまり前線にも出なかったらしいな。うん、その戦い方のほうが正しい。戦場には部下の司令官を送り込めばそれでいい。王者は自分から戦いに出向かないもんだ」
「アルスロッド様、どうなされました?」
悪い、ラヴィアラ。別に悪霊が憑いたわけでもなんでもないんだ。ただ、気が高揚してるだけなんだよ。
「でもな、俺はやっぱり戦場を駆けたい。できることなら、自分の剣で、最後の敵を叩き斬って、天下を手にしたい。そのほうがずっと面白いだろ?」
――それが面白いかどうかはお前次第だ。ワシは別に面白いとは思わん。危険が高すぎる。本願寺攻めの衆の加勢で足をケガした時も、策のほうに問題があったと考えただけだった。
オダノブナガはそう言うけど、本気で俺を否定しているわけじゃない。長い付き合いだからわかる。
――しかし、本能寺で戦った時、案外と面白いとは思ったのはたしかだ。戦場の味というやつ、久しぶりに賞味したと感じた。田楽狭間で高台の今川に突っ込んだ時もああだったわ。
ほら、そうだろう。お前だって、結局は武人なんだ。
――そういえば、息子の信忠も二条御所でなかなか奮戦したようだった。あいつの剣の腕は相当なものだったからな。そのせいで、逃げるという手が思いつかんかった。信益ぐらい臆病なら、あっさり逃げの一手になって、おそらく織田の天下は数年の遅れだけで済んだものを。
「覇王が末裔のことをああだこうだ考えるな。そりゃ、子は愛おしいだろうけど、覇王ってのは自分が楽しむために生きる奴のことだ。天下の平定とか統一とか、それは理屈だ」
――お前、声に出してしゃべってると、ラヴィアラに変に思われるぞ。
「別にいいんだよ。覇王がほかの誰かのことを気にしてるほうが変だ。それじゃ、覇王にならない。あと、ラヴィアラは絶対に俺についてきてくれるからな」
「あの……よくわかりませんが……ラヴィアラはアルスロッド様にどこまでもついていきます……。死に場所も一緒です!」
「よく言った」
俺はさっとラヴィアラの肩を抱く。
それから、その唇に長いキスをした。
キスが終わって、顔を離して、俺は言った。
「俺のすぐ横をついてこい。巨島部を統一される瞬間をお前に見せてやる」
「はい! お供させていただきます!」
ラヴィアラの元気な声は俺が弟みたいな扱いだった頃から本当に変わらないな。




