155 天下まであと二歩
戦争にも作法というものがある。俺は前王パッフスやタルムード伯アブシー・ハニストラに対して、事前に降伏勧告を行っていた。
あくまでも俺はサーウィル王国の摂政であり、国王ハッセ一世の義弟だ。王を僭称するパッフスにその罪を認め、こちらに降るように言う必要はある。相手は賊とはいえ、王族だ。それなりの礼儀というものがある。
無論、そんなものを今更相手が受けるわけはない。
巨島部についてまず俺が相対したのは、侵略者は断固として討ち果たすと述べた敵方の使者だった。逆にこちらに降伏することを求めてきたぐらいだ。
「摂政としての義務を果たさせていただく、そう前王殿とタルムード伯、サミュー伯にはお伝えください」
俺は丁重に使者を返した。こんなところで評判を落としても何もいいことはない。
オルダナ・ニストニアに船団の守りを任せて、俺たちは巨島部の先へと向かった。巨島部のドールン県、中ドールン県のほうに兵を動かす。
「どうも、湿っぽいですね。汗が噴き出てきます」
行軍中、ラヴィアラはしきりに汗をぬぐっていた。たしかに俺たちの故郷と比べると、はるかにむしむししている。
「暑いぐらいはいいが、疫病でも蔓延するとシャレにならないな。戦争は長引かせないほうがいい」
「どのみち、長期にわたって対陣できるほどの兵糧はないですよ。こちらの地の利もありませんし、一気に敵を叩けないと危険です」
ラヴィアラも今回の戦の要点はよくわかっている。
そうだ。船がなければ戻ることもできないところで俺たちは戦いに来ている。
もしも大敗したら、途端に俺たちは狩られる側にまわる。阿鼻叫喚の地獄絵図が待っている。
だから、俺たちがとるべき戦略は二つ。
撫でるように慎重に近場の土地から領有していくか。
あるいは、一気呵成に敵が再起できないほどの、最低でも追撃できないほどの大打撃を与えるか。
王都のハッセが俺に恐怖を抱いている以上、前者の時間をかけた安全策はとれない。
前王派をつぶす。
「幸い、そのチャンスは勝手にやってくる。向こうも俺に何度も攻めてこられたら迷惑だろうからな。引導を渡せるなら、ぜひともと思っているはずだ」
小さな砦を落としていった先に、西ハ二ストラ平野が広がっている。
前王派はそこでタルムード伯・サミュー伯およびほかの小領主も含めて、三万は下らない数でこちらに応じるつもりだ。
俺の軍もおおかたその程度。全兵力を注ぎ込めば数はいくらでも増やせたが、ハッセが信用できない状況で前線に兵を出しすぎることはできない。領土が広いということは、そちらに割かないといけない兵力も多いということだ。
それに気心の知れない将を使って、統率がとれないのも恐ろしい。こちらは島に渡ってきた侵略者だ。足並みが揃わないまま、敵とぶつかりたくはなかった。
兵は順調に小さな砦を落とし、西ハニストラ平野のほうに到着した。
すでに敵は平野の向こう側で待ち構えている。
当然、軍議が開かれる。久々の大戦中の大戦だ。こんな大規模な戦争は見たことがないという者も多いだろう。
とっとと攻め込んで、大打撃を与えてやろうという声がいくつも上がった。赤熊隊の隊長、オルクスはもちろんのこと、白鷲隊のレイオンまでも似たようなことを進言してきた。
あまり長く不慣れな土地にいたくないというのはわかる。それ自体は正しい。
だが――
――焦るでないぞ。勝算がないのに前に出るのは蛮勇でしかない。
オダノブナガ、俺も同意見だ。俺もそれだけ覇王に近づいてるってことかな。
長弓兵が敵のほうに多くいるのはわかっている。先に動けば不利になる。被害が多く出る。
「みんな、俺に命を預けてくれ。必ず、利子をつけて返してやる。俺にとってお前たちの命は財産だ。俺は財産を捨てるような真似はしない」
俺は将の顔を見やりながら言った。
「俺の職業は極めて特殊なもので、オダノブナガという。最初、その職業名を言い渡された時は、愕然とした。だが、俺はその職業を信じて、ここまで上り詰めた」
今もオダノブナガによる効果が生まれているだろうか。
もう、それも必要ない。俺自身が十分にオダノブナガ的な存在になった。
「だが、戦いはまだ終わっていない。ここでも俺は勝たないといけない。完勝して故郷に戻れるようにしないといけない。そのために俺が最善の手を選ぶ」
「ラヴィアラはこの命、あなたにお預けいたします」
まず、ラヴィアラが毅然とした表情でそう言った。
それが呼び水になった。
「お任せいたします!」「すべて、摂政閣下に託します!」といった声が連なる。
責任重大だが、もちろんその責任につぶされるつもりはない。
「ありがとう。結果は出す。心配しないでくれ」
それから、地図を見ながら、俺はゆっくりとこうつぶやいた。
「兵を動かす。この戦場から退くように見せかける」
俺は地図に指を這わせる。
「ありがたいことに、ここはどちらに向かっても敵地だ。略奪できる都市はどこにでもある。転戦を目指して動いたと思わせる。そして、敵に追いかけてもらう」
俺の指が適当なところで止まる。
「ほどよいところまで俺たちが動いたら、止まる。逆襲のはじまりだ。敵の前衛を全滅させる」
俺はもう一度、確かめるように言った。
「繰り返すが、全滅だ。誇張じゃない。俺たちに向かってきた奴を全員討つ。俺たちは侵略者だ。ただの腑抜けじゃないということを見せつける」
俺はハッセのようなお人よしではない。
善人か悪人かと問われれば悪人だろう。
それでいい。国を手に入れられるなら、悪人でけっこうだ。
俺は笑みを浮かべて言った。
「敵が俺たちに恐怖し、絶望すれば、何も言うことはない。みんな全力を尽くしてくれ」
天下まであと二歩というところだな。
これで勝てば、あと一歩だ。
そろそろ3巻の作業に入ります。そして、コミカライズも来年には何か発表できるかと! お待ちください!




