135 マウスト城の茶室
久しぶりに再会したヤーンハーンはまさに商人然とした、ゆったりとした布を羽織っていた。
「ご無沙汰しております、摂政閣下」
大人びた笑みで、ヤーンハーンは会釈する。
「王都のほうはどうだ? いや、いきなりそんな話をするのは無粋というものだな。ぜひ、お前に見せたいものがあるんだ。案内しよう」
俺が連れていったのは、おもちゃのように小さな茶式専用の部屋だった。
入口はとくに低く、かがまないととても入れない。
中には、テーブルがあり、ホストと客人が相対するようにできている。
「俺も茶式を広めるために作らせてみた。お前の感想を聞きたい」
「実に素晴らしいです」
すぐにヤーンハーンはかがんで、茶室の中に入っていった。
「なるほど、なるほど。内部もよくできていますね~。ただ、少しばかり豪華すぎるのが玉に瑕ですが。もっと材料も質素なほうがいいんですよ~」
「職人が粗末に作るのを恐れたせいだ。俺に罰せられるのでは思ったんだろう。事前にあまり立派にしすぎるなと言っておいたのだけどな」
「それでも茶式はできます。一席設けましょうか。お茶の用意も持ってきていますので」
俺も、もとよりそのつもりだった。そのために作ったようなものだ。
ヤーンハーンは静かにお茶の準備を進めた。凛然とした空気が狭い茶式を支配する。
王都の外で飲むこの緑色の苦いお茶も悪いものではなかった。
「お茶の味、変わったかな」
「お茶は一期一会ですから。その場その場で違う味がするのでしょう」
茶式の時のヤーンハーンには商人的なすれた部分はない。修道女と会っているような気持ちにさせられる。
こうもまとっている雰囲気を変えられるというのは、ヤーンハーン自身の能力とも言えるが、この狭い茶室の効果もあるんだろう。ここに入ることで、気持ちのリセットが自然と図られる。
「お味はどうでしょうか?」
ヤーンハーンは絵の中の母親のように、落ち着いた表情をしている。
「苦い。けれど、嫌な苦さではないな。ほっとする味だ」
「それはよかったです」
静かに、まるで彫像のようにヤーンハーンは微笑んだ。
少しばかり、音のない時間に部屋が包まれる。それも不快な沈黙ではなかった。
心についた垢をそぎ落としてくれるような沈黙。
「さて、それで王都のことをお話ししてもよろしいでしょうか?」
「ああ、ぜひ詳しく教えてくれ」
ようやく、本題に入る。もっとも、茶室の中では、本題は茶式を行ことなのかもしれないが。
「ついに征西の計画が具体化しましたよ。総大将はやはり陛下が、副将には結局、王の親類に当たる公爵・侯爵の筋から三名」
それから先も、ヤーンハーンは情報をどんどん開陳していった。気味の悪いほどにつまびらかな軍事情報だ。
これだけのことがヤーンハーンの耳に入っている時点で、王は機密の扱いが下手なことだけは確かだ。より本格的な作戦まで敵にもれたらどうするつもりだろう。
「領主層が嫌がっていたのは知っていたが、結局、王族でどうにか形式を整える羽目になったってことだな。これなら失敗したところで、責任は副将クラスに押しつけられる」
「そう、負けた場合も王族の中で尻ぬぐいをすると領主層に伝えることで、動員を了承させることにしたようですね」
落としどころとして、そのようにするしかなかったんだろう。王族であれば、王が懇願すれば、ずっと抗い続けることもできないだろうし、ある意味、王と運命共同体の部分があるから、前王と戦うことにもモチベーションが湧く。
「厭戦気分の領主を並べるよりはまだマシな配置だ。マシなだけだけどな」
「では、この戦、勝てないと見てよいでしょうかね?」
「敵がさらなる腰抜けの可能性もあるが、王軍の指揮官は素人の集まりもいいところだ。初戦で敗退したら、もう戦う気力は萎えるだろう」
最初の一回で勝てばどうとでもなる、それはおそらく敵方もわかるんじゃないか。そして、それぐらいなら不可能なことじゃない。
「精鋭を正面にぶつけて、敵の出鼻をとことんくじく。できれば将の首一つでも二つでも取る。それだけの戦果を挙げられれば、やむなくついてきた大半の領主はもうダメだと思い込む」
「ちなみに、王軍はどうにか二万二千、敵はカルク子爵を核にした連合軍で一万。倍は陛下のほうが多いですが」
俺はにやっと笑った。
「倍以上の数で負けてみろ。ハッセの軍は一気に瓦解するぞ」
さて、そろそろ進軍経路も考えておかないといけないな。
「王軍が負けて戻ってきた時はまだマウストに残っていればいい。しかし、ハッセが死んだ時点で、すぐに軍を王都に進める」
「やはり、閣下は陛下に死んでほしいのですな」
「別にそうは言ってない。前王の派閥が力を持ちすぎるのは怖くもある。どっちがいいかはなんともわからない。ただ――すべての可能性を考えて行動するだけだ」
征西の時期もヤーンハーンから確認した。
まだ月日はある。どうやら、ちょうどルーミーが出産した少しあとというところだった。
「いよいよ、大きな戦いになりますね」
ヤーンハーンが俺の瞳をじっと見据えた。
「三年後、閣下は王になっているか、あるいは墓の下か、どちらかでしょう」
「王になれていることを祈っているさ。しかし、祈っているだけではどうにもならないからな」
茶室の中だったけれど、知らないうちに手に汗がにじんできている。
俺もそれなりに気がはやっているらしい。
陛下、俺もある意味、遠方で戦っていますから、どうか思いきり敵にぶつかっていってください。そうしなければ、敵のほうからぶつかっていきますよ。
信頼できぬ者を前に出さない、兵法の基本をどうか思い出してくださいませ。




