123 正妻と側室
「あなたが……王家など滅んでしまえばいいと思っているんじゃないかと……」
とくに驚いたりはしなかった。ずっと俺が考えていたことだったからだ。王に仕える家臣の中にもそれを危惧している者はいくらでもいるだろうし、王の耳に入れている者だって何人もいるだろう。
俺がこの国で最大の軍事力を有している、その事実は揺らがない。それは裏を返せば、俺が裏切ったら王国は今のままではいられないということだ。
ことわざに、トラを飼う老人というものがある。トラが外を向いている間は老人は安泰だ。しかし、トラが老人のほうを襲えばひとたまりもない。
問題はそのことをルーミーが初めて俺に口に出したことだった。
俺は妻を愛しているし、幸せにしたいと思っている。そこに誤りはない。
しかし、王の妹であるルーミーが王家の存続を願うなら、俺の目的とはまったく相容れない。
ずっと昔からわかっていたことだ。結婚が決まった時からわかっていた。その時はせいぜい小娘を利用してやればいいぐらいに考えていたから、罪悪感みたいなものもなかった。
でも、月日が経つにつれて、俺もルーミーを深く愛してしまっていたし、それはきっとルーミーのほうもそうなのだ。
すべてが幸せに収まる答えは最初からこの世界のどこにもない。
どちらにしろ、俺は摂政という強すぎる地位に立ちすぎた。仮にこのまま衷心から王に仕えたとしても、危険視されることはありうる。ナンバーツーとはそういうものだ。
俺が天寿を全うできても子供たちの代になって、誅戮の憂き目に遭うかもしれない。
もう、引き返すことはとっくにできなくなっている。
俺は手でルーミーをそばに寄せた。
みんな儀式と音楽に集中しているから、会話は聞こえないだろう。
「めったなことを言うものじゃない。俺は摂政としてやるべきことをやっている。陛下もそれはご存じだ。その証拠に、一度も兵権を取り上げようとなさったことなどない」
「はい、あなたは実に忠実にお兄様にお仕えなさっていますわ。わたくしもそこを疑ったことは一度もありません」
ルーミーの声はふるえていた。
「ですが……あなたが心の奥底で王家など滅んでしまえばいいと考えているとしたら……そう想像するととても怖いのです……。わたくしはどうすればよいのでしょうか……?」
「ルーミー、あまり憂鬱でいると、おなかの子に障る。もっと明るいことを考えろ」
「ごめんなさい……」
それきり、ルーミーは黙った。これは一度、真剣に話し合うしかないな。
今、王都にいると、ルーミーはかえって落ち着かないだろう。ここはよい機会だし、ルーミーが出産するまではマウストに戻ることにしようか。
「ルーミー、王都よりはマウストのほうが気候もいい。しばらく、あちらに戻ろう。俺もついていく」
「ですが、摂政としての政務もあるでしょうし……」
「俺がここで摂政として活躍すれば、ルーミーはまた不安になってしまうだろ。なら、少し暇をもらって、お前のそばにいてやる」
ルーミーは俺の胸に顔を押し付けて、泣いていた。
「ごめんなさい。ご迷惑をおかけして……」
「気にするな。お前の悩みに俺も寄り添えてなかった」
「これがあなたのわたくしへの愛ということもわかるんですわ。あなたがわたくしを愛してくれていることを疑ったことはありません。だから、だからこそ……わたくし、王家の娘として怖くて……」
もし、俺がルーミーの立場だったら、どうするのが最善なんだろうかと思った。
なかなか答えは出なかった。
●
俺はその夜、そのことをセラフィーナに相談した。
「旦那様も罪な人ね」
ふふっとセラフィーナは笑った。俺の職業の効果のせいもあるのか、俺に嫁いだ頃から容姿はまったく変わっていない。いや、むしろ今のほうが妖艶さが増しているかもしれない。
「しょうがないわ。乱世だもの。女は泣くものよ。わたしだって泣いてきたのだし」
まさにセラフィーナは実家が滅んだばかりだった。だからこそ、セラフィーナに聞きに来たのだけれど、他人事のように明るく振る舞っている。
「まだ、泣くぐらいどうということはないじゃない。男は泣くどころか、首を斬られるんだから」
セラフィーナはリアリストだなと改めて思った。
「それはそうだけど、どうせなら自分の妻を泣かしたくはないだろ。ルーミーは木石じゃないし、俺だって木石じゃないんだ」
「旦那様はあの子を愛しすぎてしまったのよ。もっとあっさり捨ててしまえばよかったのに」
わざと、きつい表現をセラフィーナは使った。こういう挑発っぽいことをセラフィーナはよく言う。
「まあ、あの子があんなに美しくなるんじゃ、愛したくなるのもわかるけどね」
「そう言われると、俺は何も言えなくなる。お前に聞くんじゃなかったな……」
こっちは真剣だったのに、すっかり茶化されてしまった。それで気がまぎれることも多いから、腹も立たないが。セラフィーナとも長い付き合いだ。
「すでにマウストに戻ることは決めているんでしょう? だったら、それについてわたしが言うことはないもの。そして、きっと彼女もいつか実家が滅びるのを見ることになるのよ。あなたにそんなことを言ったということは、あの子も鈍いようでいて、薄々感づいていたのよ」
「まあ、そういうことになんだろうな」
事実として、どこかで割り切らないといけないことはわかっている。結局は気持ちの問題でしかないのだ。
「でも、マウストに今、戻るというのは悪いことではないかもね」
セラフィーナはそこで表情を少し硬いものに変えた。
「何か策があるのか?」
「ここで旦那様の価値を高めてやりましょう。旦那様が王の座を狙っていると思ってる奴らに見せつけてやるのよ。摂政アルスロッドがいないと、この国が何もできないということを教えてやれば、頭を下げて旦那様に戻ってきてくださいと言いに来るわ」




